鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

甲州街道を歩く-野田尻から犬目を経て大月まで その17

2017-08-18 07:06:17 | Weblog

 

 JR猿橋駅前を過ぎると、右手に桂川の流れを隔てて岩殿山の山塊が見えてきます。

 その岩殿山の左手奥に見える山稜は、滝子山とその北に連なる山々。

 岩殿山の南側の段丘上には大月の市街地も見える。

 まもなく現れた道路標示が、「東京から92km」を示すもの。

 「殿上橋」バス停を過ぎると、岩殿山は右手斜め前方に塊り感のある山容を見せてきます。

 しばらくして国道20号は、巨大な鉄管とコンクリート構造物を跨ぐように延びていきますが、その構造物が「駒橋発電所」でした。

 鉄管を通すコンクリート構造物の穴は5つあり、見上げるとそのうち左側2つに太い鉄管が通され、右側3つは鉄管が撤去されています。

 コンクリート構造物の色は黒くなり、またところどころ雑草が生えています。これが完成したのは、大月市郷土資料館の解説によれば明治40年(1907年)のことであるから、110年の歴史を経ていることになります。

 鉄管に水が流れおちるということは、この構造物の上部には川から水が引かれているということであり、その川とは桂川であると思われますが、すると桂川の上流からこの発電所の上部まで水を引いていることになります。

 その用水はここからは当然ながら見ることはできません。

 「おおつき 観光ガイドマップ」によると、この駒橋発電所は東京電灯(現東京電力)初、日本最大(当時)の水力発電所であり、東京の早稲田発電所まで送電され、その後本格化する水力発電長距離送電の草分けになったという。

 「近代化遺産」というべきもの。

 猿橋から渓谷の下方に見えた構造物も、東京電灯の八ツ沢発電所(明治45年に送電を開始)の一号水路橋(長さ42.7m)で、建設当時は日本最大であったという。

 この「八ツ沢発電所施設一号水路橋」は国指定重要文化財になっています。

 明治40年代に、日本最大の水力発電所(駒橋発電所)と、発電所(八ツ沢発電所)の国内最大の水路橋が、この猿橋付近にあったことになります。

 京浜地帯、とくに東京の「電化」の普及推進と、桂川(相模川上流)とは密接な関係があったということになります。

 「駒橋発電所」を過ぎてまもなく、左手の山の斜面にあったのが「関場の石仏群」。段上に石仏がずらりと並んでいましたが、それらが何のために設置されたかは案内板のようなものはなくわからない。

 「横尾橋」バス停を過ぎると「富士吉田 甲府」と「甲府 大月市街」の分岐点を示す道路標示があり、そこで右折したところで道沿いに展開する家並みがかつての「甲州街道 駒橋宿」でした。

 ここで目を引いたのは「丸石道祖神」が道端の人家前にあったこと。

 今まで甲州街道を歩いてきて初めて見掛けた「丸石道祖神」でした。

 この丸石を神体とする道祖神は、中沢厚さんの『山梨県の道祖神』によると、山梨県下において「本流」とも言える道祖神であって、その歴史は縄文時代にまで遡るものであると考えられるという。

 山梨県下では600~700ほど確認されるという(当時)ことですが、その一つがここ駒橋宿にあるということになります。

 「道祖神」と刻まれた台石の上に、大きな饅頭のような形の丸石がどっかりと乗っていました。

 

 続く(次回が最終回)

 

〇参考文献

・『山梨県の道祖神』中沢厚(有峰書店)



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