鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

甲州街道を歩く-高尾から小仏まで その11

2017-04-24 06:26:27 | Weblog

  「猪の鼻トンネル列車銃撃事件」の供養塔・慰霊碑に立ち寄った後、畑道を下って「蛇滝口」バス停のところに戻り、ふたたび街道を歩き始めました。

 前方の上には圏央道の高架橋が左右に走り、街道はその下を潜って西へと延びています。

 その高架橋を見上げて潜るところに「高尾梅の郷まちの広場」がありました。最近整備された施設であるようです。

 そこに八王子市エリアマップがあり、近辺の地理を確かめてみると、高架橋を潜った先左手に高尾山への登山道がありました。上りが「約60分」、下りが「約40分」。高尾山ケーブルの高尾山駅の手前に「蛇滝」があり、それが「蛇滝口」の由来であるでしょう。

 広重が「高尾へ近道あり」としている「近道」とは、この蛇滝口から上って行く登山道であったと思われます。

 八王子ジャンクションの北には「八王子城跡」があり、蛇滝口の近くからも登山道があります。

 街道左側に沿って流れる川は「小仏川」とありました。

 私は「南浅川」の上流だと思っていましたが、名前は「南浅川」ではなく「小仏川」でした。

 エリアマップを確認してから間もなく、左手に「蛇瀧水行道場入口」と記された標示があり、またそれからしばらく進むと屋根に換気のための小櫓がある木造平屋の建物が同じく左手にありました。壁の下は板張りで上は白壁。由緒ある建物のように思われました。

 街道は小仏川に沿ってゆるやかにカーブを繰り返し、「摺差」というバス停に差しかかったのが11:44。

 その右手に「曹洞宗 白雲山 常林寺」というお寺がありました。

 「蛇滝口」を過ぎ、圏央道の高架橋を潜って、この「摺差」というバス停があるあたりからは、前方に現代的な構造物はなくなり、ようやくかつての甲州街道の雰囲気を濃厚に漂わせる景観が連続してきました。

 私は甲州街道を東京日本橋から何回かに分けてずっと歩いてきましたが、やっとこのあたりで甲州街道のかつての風景を味わえる気分になってきました。

 さて広重ですが、駒木野の関所を過ぎたところで「江戸身延参り三人」、そして「小なし宿柏屋の女房」と道連れになりました。

 「江戸身延参り」とは、江戸から身延参詣に赴く旅人であり、「小なし宿柏屋」とは駒木野宿の入口にある小名字(古名字)の柏屋という店のことであり、合わせて四人の旅人と道連れになったのです。

 広重を含めて五人の一行が、小仏峠の坂道を登って行ったことになります。

 天保12年(1841年)4月3日(旧暦)のことで、見上げる空は晴れ渡っていました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『大田南畝全集 第九巻』(岩波書店)

・『報告書』(山梨県立博物館)

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