鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

馬場孤蝶の『明治の東京』に見る明治東京の景観 その6

2010-07-03 05:44:16 | Weblog
 孤蝶によれば、寄席で演ぜられる芸のうち、中心はやはり落語でした。彼によれば落語が大成されたのは明治14、5年頃から見てそう古いことではなく、したがって、落語の中に出てくる人物の身分とか気質(かたぎ)というものは、噺家(はなしか)なり客なりが実見したものではないにしても、大体想像だけはつくぐらい、接近していたものでした。であるから、少なくとも明治20年ぐらいまでは、落語は大部分当時の風俗の写実であったと見られなくもない、と孤蝶は言う。

 たとえば侍などについても、侍という生活を実際やったことのある人々が、当時、かなり生存していた時代であったから、侍なるものに対しても、当時の人々は相当の理解と想像を持つことができたのです。

 また家屋の具合でも、衣服道具などにおいても、「封建時代のものと、そう大した違いはなかった」のであり、その他の風俗や習慣のようなものも、消え去ったものでさえ、大抵はまだ何らかの痕跡を留めていた時代であったのです。

 孤蝶の少年時代や青年時代においては、落語の材料は、すでに死んでしまったものではなく、十分に生きているもの、もしくはかなりに息の通っているものでした。

 落語家の方から見ても、話そのものの雰囲気なるものは、個人として落語家その人を取り巻いていた雰囲気とそう甚だしい相違はなく、落語家は地のままで芸を演じることができました。

 要するに、芸人は自信をもって芸を演じることができたし、客の方も安心して、気持ちよく芸を鑑賞し享受することができた時代であったのです。

 「当時の寄席で演じられた芸は、殊(こと)に落語は、内容的にいって、当時の東京趣味を具体化したものであり、且(か)つ前にいった通りの客の性質であったので、当時の落語は東京趣味の具体化であり得た」のでした。

 寄席が繁盛した理由はまだある。

 当時は、「交通の不便などがあって、短時間のうちにそう遠方まで遊びに行くことはできなかったので、人々はその住居(すまい)の最寄最寄で、娯楽の場所を求めなければならなかった」こと。つまり交通上の理由。当時は、遠方に行く方法としてはほとんどが徒歩。ほかには乗合馬車や船などがあるばかり。であるから人々は住いの近くに娯楽の場を求めたというのです。

 孤蝶がかつて住んでいた本郷近辺では、小石川の鶯橋(うぐいすばし)のたもとにあった「初音亭」や本郷の消防署の西隣にあった「伊豆本」や、菊坂町にあった「菊坂亭」、そして本郷にあった「若竹」などがそうでした。

 ちょっと足を伸ばせば、麹町の「山長」や「富士本」、柳橋の「新柳亭(しんりゅうてい)」、小川町の「小川亭」、池之端の「吹抜(ふきぬけ)」、麻布の「福槌」、京橋の南鍋町の「鶴仙」、日本橋木原店(たな)の「木原亭」、瀬戸物町の「伊勢本」、神楽坂の「藁店亭(わらだなてい)」、根津の入口あたりの一軒、駒込の蓬莱町あたりの一軒、牛込の弁天町あたりの一軒などがありました。

 通った寄席の中でも、孤蝶の印象に強く残っているのは柳橋の「新柳亭」。この「新柳亭」は、もとの両国橋のたもとから神田川の川岸へ出る横町があった(そのまま進んで神田川に架かる橋が柳橋)のですが、その右角にあった寄席で、大川に沿うて建っていました。入る時の気分も快かったが、楽屋寄の方へ行くと、隅田川(大川)の川波の音が聞こえてきました。この「新柳亭」は「女義太夫の定席」であったのですが、両国橋が架け替えられた時に取り払われてしまったという。

 落語家の中で孤蝶の印象に残っているのは、ヘラヘラ坊万橘(まんきつ)、橘屋円太郎、立川談志、円朝、円生、禽語楼(きんごろう)小さん、橘屋円喬(えんきょう)など。


 もっとも円朝を、孤蝶は一度しか聞いていない。

 円朝は、どういう風采、どういう話し振りであったか。

 「体格の好い、なかなか品格のある男であったように覚えている。どういう話であったか、それは記憶に止(とど)まっていないが、咄(はなし)のうちで一寸(ちょっと)教訓的な言葉が出たが、若い書生客から弥次(やじ)が出たので円朝は真(す)ぐ調子を変えたが、それでも少し話の感興が殺(そ)がれたように見受けられた。唯如何にも落着いた、飾り気を嫌った、描写式─会話を余り用いないという意味─の咄口(はなしくち)であったように記憶する。」

 円生は、「骨太ではあったが、痩せた、顔に凄味のある男であった」らしい。

 孤蝶は、寄席で「女義太夫」も聴いています。その「女義太夫」については、次回にまとめてみましょう。


 続く


○参考文献
・『明治の東京』馬場孤蝶(現代教養文庫/社会思想社)
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社会思想社 現代教養文庫
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