鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

笛吹川流域の道祖神祭り その11

2018-02-19 07:35:06 | Weblog

 

  「奉納 道祖大神 下柚木相模組中」の「下柚木」は「しもゆのき」と読みます。

 道祖神御仮屋の前には2本の金属製の柱があり、その「道祖大神」と墨書された幟(のぼり)は左側の柱に結わえ付けられています。

 右の柱の傍らには竹柱が横たわっており、これも幟の柱であるようですが旗は付いていません。

 もとは2本の幟が御仮屋の両側に立っていたことになります。

 左の幟の竹柱と右側の鉄柱の間には細い注連縄(しめなわ)が架け渡されて結界となっています。

 杉葉で作られた御仮屋の下部からは密集する多数の丸石が露出していました。

 いわゆる「複数型」の丸石道祖神。

 この杉葉の御仮屋の中がどうなっているかはわかりません。

 この「下柚木」の道祖神が特徴的なのは、先にも触れたようにその背後に大きな岩が屏風のように密着していること。

 その大岩の背後は半円状のきれいな断面となっていて、大きな岩を人工的に加工したもののように思われます。

 この大岩はもともとここにあったのか、それともどこからかここへ運んできたのか、見た限りではよくわかりません。

 その大岩を背として道祖神が祀られていることになります。

 こういう道祖神は、私は初めて目にするものでした。

 杉葉で作られた御仮屋のない道祖神がどういうものであるのか(御仮屋の下部に密集している丸石は見えるものの)、ここでも実際に見てみたいものだと思いました。

 道祖神の前の道は舗装された幅の広いもの。

 この幅の広い舗装道路が作られる前にはこの道祖神の前には細い旧道に沿って広い道祖神場があったのかも知れませんが、そのあたりのことはよくわかりません。

 この道祖神の「どんど焼き」が行われる場所は近くには見当たらず、また一般に「御仮屋」とセットとしてある「御山飾り」も付近には見当たりませんでした。

 この「下柚木」の道祖神を見てから笛吹川左岸の道を南下して、途中で右折して笛吹川を渡って国道140号とぶつかったところが「室伏」(むろふし)で、そこから「室伏」バス停にある道祖神場にふたたび立ち寄りました。

 この印象的な道祖神場の写真を撮影した後、国道140号を山梨市方面へ向かい、途中で山梨市北にある「窪八幡神社」に立ち寄りました。

 「縣社 大井俣八幡神社」とあり、たまたま立ち寄ったところですが、予期していたのとは大いに反して大変見応えのある神社でした。

 八幡神社の本殿や拝殿、また摂社若宮神社の本殿や拝殿をはじめとして多数の重要文化財があることに驚きました。

 多くは室町時代後期の神社建築であるという。

 甲斐源氏、特に国主武田氏の崇敬が篤く、武田信虎や武田信玄(晴信)らによって造立されたものが、ここにこういう形で残っていることに感動しました。

 昭和26年や昭和28年に解体復元工事が行われているということで、まるで信玄時代の建物を見ているかのように簡素ながら堂々とした建物群でした。

 その窪八幡神社の参道を大きな鳥居の見える笛吹川方面へと歩いていくと、その鳥居手前の右手に藁束で作られた道祖神御仮屋があり、その御仮屋から突き出た竹竿には「山梨市北東組若者中 道祖大神」と墨書された提灯が架かっていました。

 さらにその左下には大太鼓が一台置かれていました。

 

 続く



最新の画像もっと見る

コメントを投稿