鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.10月取材旅行「ふたたび押切と桐生」 その3

2013-11-22 05:42:49 | Weblog

 太田→妻沼→丸山→松原橋(渡良瀬川に架かる橋)経由で、桐生市街に入り、桐生駅構内の駐車場に車を停めたのが11:30過ぎ。

 まず駅近くのお店で昼食を摂り、それから桐生駅構内へと入りました。

 すると構内通路の脇に、「毛武游記に沿って 渡辺崋山 写真展」と墨書された看板が立っていて、その下部には「開催期間10月20日まで 時間 午前10時~午後6時」とも記されていました。

 またその左脇にはもう1枚、立て看板があって、そこには「中学生・高校生 大歓迎! ! 渡辺崋山=和製ダビンチが桐生の町を歩いた。その軌跡を見てみよう。 漏れなく記念品を進呈!!」と記されていました。

 別の案内を見ると、この写真展のテーマは、「崋山と歩く桐生と周辺の旅」であって、会場は「JR桐生駅なか『桐生市民活動推進センター“ゆい”』」、主催は「崋山と歩く会」(代表岡田幸夫)であることがわかりました。

 「いきいき元気 桐生観光協会」とか「ようこそ桐生へ」と記された旗看板なども並んでいます。「ようこそ桐生へ」を見ると、桐生市のマスコットキャラクターが「キノピー」といって、のこぎり屋根工場(絹織物工場)の三角屋根を3つ、髪型としているキャラクターであることがわかります。

 さっそく会場へと入ってみると、中には何人かの観覧者がすでにいましたが、まず目に入ったのは、桐生本町を崋山が雷電山から描いたスケッチが印刷された大きな1枚の布でした。

 今から200年近く前の桐生本町の様子が、ありありとわかる絵であり、私は雷電山のその崋山が描いた場所へと登り、そこから崋山と同じように桐生市街を見下ろし、その現在の景観をデジカメで撮影したことがあります。

 これほどに大きく拡大印刷してみると、崋山がスケッチとは言え、よほど丹念に桐生本町の俯瞰図を描いたことがよくわかります。

 この桐生本町の一角には、崋山の愛する妹茂登(もと)が嫁いだ絹仲買商の岩本茂兵衛の家がありました。

 売られていると聞いていた崋山関係の本は、その会場の中央に、『「毛武游記」に沿って  崋山と歩く桐生と周辺の旅 江戸から桐生・みどり・足利・太田を往く』として置かれており、定価は700円で発行しているのは「渡辺崋山と歩く会(岡田幸夫代表)」でした。また崋山の足跡をもとにした「観光マップ」やも記念絵葉書も置かれていました。

 販売されているところは、となりの“ゆい”の受付でした。

 “ゆい”の受付で、冊子と観光マップをセットで購入した後、会場の展示パネルを見てまわりました。

 

 続く

 

〇参考文献

・『渡邊崋山と(訪瓺録)三ヶ尻』(熊谷市立図書館)



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