鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

甲州街道を歩く-笹子峠~甲府まで その4

2017-09-28 07:51:35 | Weblog

 

 天保7年(1836年)8月21日(旧暦)の早朝、白野(しらの)宿近くの天神坂林に結集した郡内一揆勢(600人~800人、あるいは2000人とも。実数は不明─鮎川)は、下和田村の武七、犬目宿の兵助の二人を頭取として天神坂林を出立。

 白野宿→阿弥陀海道宿→黒野田宿を経て、郡内と国中の境である甲州街道最大の難所と言われる笹子峠を越えて駒飼宿の手前まで迫って来たのは21日のお昼頃。

 鬨(とき)の声を上げ、鉦(かね)を鳴らし、太鼓を叩きながら、気勢を上げて笹子峠を越えてきた一揆勢に対して、国中(くになか)側の峠の麓にある駒飼宿ではどのように対応したのでしょうか。

 このあたりのことを具体的に示す史料としては『甲陽乱妨記』があります。これは「天保騒動」から2ヶ月後の10月(旧暦)にまとめられたものですが、どういう記録をもとにまとめられたものかはよくわかりません。

 この『甲陽乱妨記』によると、郡内の一揆勢は、笹子峠を「狼煙(のろし)を五ヶ所ニ打(うち)あけ、かね、太鞁(鼓)を鳴(なら)し、乱調子ニ時(鬨)の声をあけ」て、越えて来たという。

 鳴り物や鬨の声で気勢を上げて峠を下って来た一揆勢に対し、駒飼宿ではどう対応したか。

 『甲陽乱妨記』には、「駒飼宿名主村役人、宿の入口に出向(でむき)平伏(へいふく)ス」とあります。

 駒飼宿の村役人(名主・組頭・百姓代)らが駒飼宿の入口まで出向き、一揆勢を平伏して出迎えたというのです。

 この時、峠を越えて来た一揆勢の先頭にいたのは頭取である下和田村の武七であったらしい。

 「此時下幡(下和田)の武七、真先(まっさき)押来り、今日より弐百俵ツゝの米を郡内へ差送るか、右之段聞入たらハ、当宿者(は)免ス(めんず)へし、出来ぬと申せ者(は)、是非ニ及(およば)ぬ、片端より打潰(うちつぶ)スへしと申けれハ…」

 一揆勢の先頭に立ってやって来たのは頭取である下和田村の武七であり、「今日から200俵ずつ米を郡内へ運送せよ。そのことを承知するなら駒飼宿で打ちこわしは行わないが、もし不承知ならば片端より打ちこわしを行うから覚悟せよ」と、出迎えた村役人たちに言ったというのです。

 多数の一揆勢の圧力を背景に、今日(8月21日)から郡内へ200俵の米を運送するようにと駒飼宿の村役人たちに命じたということになります。

 そこで村役人たちが「酒飯等を出しけれハ」、一揆勢は「不残(のこらず)昼飯休息」したという。

 駒飼宿では、峠を越えてやって来た郡内の一揆勢に対して酒や昼飯を振る舞い、一揆勢は駒飼宿で険しい峠越えの疲れを癒したことになります。

 『並崎の木枯』によると、郡内一揆勢が峠を越えて駒飼宿にやって来たのは「廿一日八ツ時頃」で、「人数百五拾人程押来り、頭取体(てい)之者三人先ニ立(たち)、目印に白布ニ紋を付け押立来り候」とあり、まず150人ほどの一揆勢が、頭取3人を先頭にして、目印である紋を描いた白布を掲げてやって来たとあります。

 「八ツ時」とは現在の午後2時頃。白野宿から笹子峠を越えて駒飼宿まで少なくとも6時間は掛かったことになります。それほど急いでいるわけではない。

 「頭取体之者三人」とは、下和田村の武七、犬目宿の兵助、そして副頭取二人(中初狩宿の伝兵衛・大椚〔おおくぬぎ〕村の八右衛門)のうちどちらかであったでしょう。

 この「三人」のうち駒飼宿の村役人と専ら交渉に当たっているのは、『甲陽乱妨記』によれば下和田村の武七であることが注目されます。

 実はこの駒飼宿において、武七たちは、駒飼宿で休息している一揆勢の圧力を背景に、代官所側や石和郡中惣代たちときわめて重要な交渉を行っています。

 その交渉の内容が具体的に記されているのは、『並崎の木枯』。

 『並崎の木枯』は、甲府で筆写された騒動記を、巨摩郡河原部(かわらべ)村(現韮崎市)の名主平賀源作郎が借覧して書き写したもの(天保7年10月)。

 この『並崎の木枯』がどういう記録をもとにまとめられたものかは、『甲陽乱妨記』と同様よくわかりませんが、かなり具体的な記述があって十分参考になるものと私は考えています。

 では駒飼宿における郡内一揆勢の頭取(中心は武七)と石和代官所および石和郡中惣代側との交渉は、『並崎の木枯』によればどういうものであったのでしょうか。

 その興味ある内容については、次回にまとめてみたい。

 

 続く

 

〇参考文献

・『山梨県史資料編13 近世6上』

 

 

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