鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-田原から伊良湖岬まで-その16

2015-03-08 06:22:28 | Weblog
堀切村を出立した崋山は、神島へと至るためにまず伊良湖村へと向かいました。崋山が記す「堀切山」とは、常光寺の背後にあった山、「大字堀切字和名山」にあった「寅之神社」(江戸期においては「堀切大明神」)の案内板に記してあった「城山」のことであるに違いない。その「堀切山」を過ぎると、「縦横一里の大砂漠」となったと崋山は記しています。西方には伊良湖の山がまるで塀のように連なり、南方には日出(ひい)村の岡が見えました。人家がある伊良湖明神の山下へは、松原の中の道を進みましたが、地面はみな砂地であり、ズボズボと足が沈んでまるで深い雪の中を進むよう。和地村あたりから、村人たちは馬の代わりに牛を養っていて、田んぼなどに用事がある時もその牛に乗って往来するのが常でした。伊良湖の山はみな放牧地でしたが、山の麓には人家がところどころにあり、その多くは瓦屋根でした。瓦屋根である理由は、海風がたいへん激しいからであるとのこと。伊良湖明神の山下へ至った崋山らは、かつて伊良湖明神に参った時に宿泊したことのある、彦次郎という半農半漁の富農の家へと向かい、そこでいったん休憩し、神島へと向かう船の準備が出来る間に、急いで伊良湖明神に参詣したのです。 . . . 本文を読む