鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「特別展 江戸時代かながわの旅─『道中記』の世界─」について その4

2013-07-02 05:02:40 | Weblog
『百姓たちの江戸時代』渡辺尚志(ちくまプリマー新書/筑摩書房)という本があり、その第四章「百姓の育ち・学び・遊び」で一人の少年が登場してきます。名前は藤乗節之佐(とうじょうせつのすけ)。文政6年(1823年)に上総国長柄(ながら)郡本小轡(ほんこぐつわ)村に生まれています。この藤乗家には、今も、節之佐が幼少時に使った手習いの教科書が数十点残されているという。その教科書類で興味がひかれるのは、『洛陽往来』『隅田川往来』『松島往来』『江戸方角』などの往来物や地理書が含まれていること。『洛陽往来』は京都周辺の名所を書き連ねたもの、『隅田川往来』は隅田川とその周辺の名所について記したもの、『松島往来』は、松島をはじめ日光や東北各地の情景を記した紀行文、『江戸方角』は、日比谷・八丁堀・新橋などの江戸の地名や寺社名を列挙したもの。彼の父勘解由(かげゆ)は本小轡村で寺小屋の師匠もしており、他の子どもたちも同様な教科書を使っていたのかも知れない。これら少年時に寺子屋で学んだ往来物や紀行文、地理書などによって、子どもたちの地理感覚は養われていったものと思われる。特に江戸および江戸周辺の地理や名所については、江戸地廻り経済圏内にあるということもあって子どもたちの関心は深く、いつかは行ってみたいところであった(まわりには行ったことがある大人たちがたくさんいた)に違いありません。ではどうしたらてっとり早く行けるか。それはたとえば地元の「大山講」に入って少額のお金を積み立て「代参講」をすることでした。それにより江戸→大山→藤沢→江の島→鎌倉→金沢八景という順序で、寺社参詣や名所見学をすることができたのです。 . . . 本文を読む