鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.冬の取材旅行「東松島~石巻~南三陸町」 その7

2013-01-31 05:43:15 | Weblog
大久保さんは、内山淳一氏の指摘を踏まえて、景観のリアリティーにこだわった浮世絵風景画が江戸後期に流行するようになった背景として、旅や行楽の盛行や、それと呼応した名所図会の盛んな出版が果たした役割が大きい、と記しています。それによって「江戸後期の人々の風景を見る眼」が「成熟」していったのです。江戸後期になると、専門の絵師ではないただの旅人が、旅の途中で数多くの風景写生を残し、それはたとえば「旅日記」という形で記録されました。普通の旅人たちが、旅の途上において風景を写生するという習慣がかなり広く行われていたらしいことが、そのことからうかがえます。崋山は優れた画家であったから、「四州真景図」というすぐれた風景スケッチを残していますが、それほど絵の嗜みを持たない普通の庶民も、気軽に風景スケッチをするようになったのです。さらに「名所図会」の流行も人々の風景を見る眼の成熟に大きな役割を果たしたことが指摘されていましたが、特にそれに載せられている挿絵が読者の楽しむところであったようです。名所図会は買えば高価なものであったけれども、貸本屋で比較的安価に貸し出されていたから、普通の庶民でも目を通すことができました。大久保さんは次のように結論付けています。「ビジュアルな読み物として愛好された名所図会であるが、人々はこれを楽しむうちに挿絵の細微な俯瞰図やリアルな風景画に眼を馴らし、いつしか自分自身の風景を見る眼も成熟していったはずであるし、ときには、名所図会の挿絵によって実際の名所景観を再確認するといったことさえなされるようになる。」つまり「旅で得た実景体験を追体験、あるいは再確認することにも用いられ」るようになったのです。というふうに考えると、江戸後期になって多くの一般庶民が有名な神社仏閣を巡る旅に出たり、大山講や富士講などの代参講の旅に出たりするようになったすたことが、リアリティーのある浮世絵風景画を生みだす背景としてきわめて重要であるようだ、ということが明らかになってきます。 . . . 本文を読む