鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.11月取材旅行「桐生~馬打峠~足利」 その14

2012-12-08 05:29:39 | Weblog
『京都、リヨン、そして足利』日下部高明(随想舎)という本がある。「随想舎」というのは、栃木県宇都宮市材木町にある出版社。2001年に出版されたものですが、それをどこで購入したかは思い出せない。『京都、リヨン…』に興味が惹かれて購入したのではないかと思う。というのも、パリ留学中の若き中江兆民(篤助)が、パリからリヨンへと学ぶ場所を替え、そのリヨンで京都西陣からやってきた西陣織の職人と出会っていることが頭にあったからです。彼らはリヨンにおいてジャカード織機の技術を学び、その導入(ジャカード織機も含めて)によって幕末維新の動乱期に衰退した西陣を復興することに命を賭けていたのです。この『京都、リヨン、足利』は、副題に「近代絹織物と近藤徳太郎」とあるように、「大正から昭和にかけて隆盛を極めた『足利本銘仙』の誕生と近代工業教育の発展に生涯を捧げた近藤徳太郎の足跡」を描いたもの。その「目次」のⅡは「『足利織』の成立とその終焉」となっており、その中に「江戸時代中期に成立した足利の織物産業」とあって、江戸時代の足利の織物産業の歴史がまとめられています。それによると「十八世紀の末頃、寛政年間には足利の織物『足利織』は、完全に商品化を果たし」ており、「十九世紀初頭の文化年間には京都西陣織地域から、桐生を経て、高機(たかばた)が足利にも入り、綿織物生産にも応用され、生産力向上と品質向上に大きな寄与をした」という。そして「一八三二年(天保三)に独自の足利織物市場が開設された」とも指摘されています。崋山が桐生や足利を訪れたのは天保2年(1831年)のことだから、その翌年のことになります。 . . . 本文を読む