鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.2月取材旅行「行徳~八幡~鎌ヶ谷」その5

2011-02-24 06:19:55 | Weblog
銚子から船積みされ、「なま道」を運ばれた鮮魚とは、鯛・すずき・こち・ひらめ・鰹・鮪などでした。しかし1年中、「なま道」を運ばれたのかというとそうではなく、鮮魚は腐りやすいので、5~7月は関宿まわりで「活船」(生簀仕立てのある船)で運ばれ、8~4月にかけて「なま道」を馬の背で運ばれたという。銚子で鮮魚を載せた船(これを「なま船」といい、猪牙船〔ちょきぶね〕のような小型船)は、夕刻に銚子を出発し、翌日未明に木下河岸や布佐河岸に到着。そこから鮮魚は馬の背に載せられて、木下河岸の場合は行徳(祭礼河岸)へ、そして布佐河岸の場合は松戸へと運ばれました。行徳(祭礼河岸)や松戸からは、またまた船に載せられて、そのまま江戸日本橋の魚市場まで運ばれたのです。ということは、崋山一行が木下街道を進んでいった時、鮮魚を背に載せた馬と行き交うことはほとんどなかったものと思われる。しかしこの木下街道は、香取・鹿島・息栖の三社詣や、銚子遊覧に向かう旅人で賑わった道であったから、崋山一行はそういう旅人たちと行き交ったものと思われます。 . . . 本文を読む