鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.2月取材旅行「関本~井細田~酒匂川」その1

2010-03-07 09:03:00 | Weblog
やがて樋口一葉(奈津)の両親となる樋口大吉と古屋あやめの二人が矢倉沢の「ふじや」に泊まったのは安政4年(1857年)の4月8日(新暦では5月1日)のこと。翌9日の早朝、「ふじや」を出立した二人は、坂道を下って関本で右折し、井細田というところで昼食を摂ってからいよいよ東海道に入り、酒匂川を渡って山西村を経由して大磯宿の「初屋」に宿泊します。御坂峠・籠坂峠・足柄峠を越えて来た二人にとっては、あとの江戸までの行程は楽なものでした。初めての海(太平洋)を右手に見たりしながらの道中でした。二人が中萩原村を出立してから東海道へ出るまでのルートはどのようなものであったのか、その沿道の風景は実際どういうものであったのかを探る一連の取材旅行も、この2月の取材旅行で終わります。大雑把に言えば、「御坂みち」と「足柄道」を歩いたわけですが、これはほぼ「鎌倉街道」と重なっており、またさらに昔である律令時代の「官道」とほぼ重なっていて、たいへん歴史のある道であることを知りました。したがって予期していた以上に歴史が詰まっていました。またこの道は江戸を中心とする各地の「富士講」の人々が歩いた道でもありました。さらに須走から東は、宝永の富士山大爆発によるテフラの堆積(「砂降り」)のために甚大な被害を受けた地域であることも再確認しました。2月の取材旅行は、関本から酒匂川の渡し場のところへ出る(つまり東海道に合流するところまで)を歩いてみました。以下、その報告です。 . . . 本文を読む