鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.9月の「東海道 平塚宿・大磯宿」取材旅行 その2」

2007-09-17 05:53:53 | Weblog
 平塚は七夕祭りで有名。私も新婚の頃、妻と一緒に、当時住んでいた藤沢から見物に来たことがある。途中の東海道線のどこかの駅で車を停め、平塚駅で下りて七夕の飾りが夕空に密集する広い通りを、たいへんな人込みにもまれながら歩いた記憶があります。あの頃は、まだ子どもたちも生まれていなかった時でした。あの広い通りは、おそらく国道1号線。今、歩いているのは国道1号線より東海道本線寄りに入った旧東海道。この辺りも七夕祭りには、またそれなりの賑わいが見られるのでしょう。平塚に壊滅的な打撃を与えた「平塚大空襲」については、前にこのブログで触れたことがあります(「厚木東高校創立百周年記念の写真展」)。B29による空襲は、神奈川県内に限ると、昭和19.11.24~昭和20.8.15まで計52回。一番被害が甚大であったのは昭和20.5.29の「横浜大空襲」。午前9時過ぎよりの日中の空襲で、死者は1万人以上。多くの人々は、職場や勤労動員先、あるいは学校や電車の中で空襲に遭いました。平塚の場合は、昭和20.7.16の深夜より。死者は300名を超える。落とされた焼夷弾は44万7716発。市民1人あたりに8.3個という大変な数で、この数は全国1、2位を争うものだという。 . . . 本文を読む