金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第50回 「大統領がキレる国」

2008-02-22 19:30:53 | 日本語ものがたり
 前回、日本語が「対話の場」をいかに大切にするかということを「行ってきます・行ってらっしゃい」と「お帰りなさい・ただいま」を例にあげて指摘した。日本語の「対話の場」では<我>と<汝>が一体となって溶け込もうとする、それが日本文化の基本ではないかとさえ私には思えるのだ。

 「相身互い・持ちつ持たれつ」などという表現などもそのことを物語っている。さすがは「気くばりのすすめ」(鈴木健二著、1982年)などという題の本が400万部もの大ベストセラーになる国だ。敬語の基本も敬意と思いやりにある。退院することになった人が、どう考えても関係のない、なんら退院に貢献をしたとも思えない他人にまで「お陰さまで」と言うのも、どこかで、回り回って、我々は繋がっているのだ、という共同体意識を日本人が保持していることの証拠ではないだろうか。

 その最たる例を昨年広島で見たような気がする。それは平和公園の中の慰霊碑の碑銘「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」であった。以前から、この2つ目の文を巡って「一体、過ちを繰返さないと誓っているのは誰なのか」という、いわゆる「碑文論争」があることは知っていた。広島に身をおいて、ふと私には、「誰の過ちか」が明らかにならない方が却って日本語らしくていい、と思えたのである。つまり、先月以来指摘した「我」と「汝」の共存が、ここでは「敵」と「味方」の形をとっているのではないか。そう考えれば、敵はいつまでも敵ではない。国境を越えて、広く人類というところまで連帯の和を広げてゆくなら、戦争という異常な状況に敵もまた当事者、そして被害者として巻き込まれていたと考えられるからだ。

 その思いは、広島の後に訪れた沖縄でさらに強くなった。生まれて初めて沖縄に足を伸ばした理由の一つは墓参で、亡き父の実弟がこの地で戦死しているのである。叔父の名前の刻まれた慰霊碑が沖縄南部の糸満市にある平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」にあるというので、それに参ることにしたのだった。行って先ず驚いたのは戦後50年、1995年に建立除幕されたという慰霊碑の大きさである。沖縄戦で亡くなった軍人と民間人の全ての名前を刻むというのだから予想はしていたが、その数およそ25万人。それは幾重にも立ち並ぶ壁、壁、壁であった。犠牲者の名前は出身都道府県別、しかも50音順だったから探していた「金谷武文」の4文字はすぐ見つかり、花を手向け、手を合わせた。戦争の終わる6週間前に額に銃弾を受けて亡くなったのだと聞く。享年24歳だった。

 しかし、慰霊碑の規模よりもさらに驚いたことがある。それはその慰霊碑に米兵の名前も刻んであったことだ。以前米国の首都ワシントンでベトナム戦争の戦死者の名前が刻んである巨大な慰霊碑を見たことがあるが、そこには当然ながらアメリカ人の名前しかなかった。広島と沖縄の共通するのは、結局我々は同じ舟の上に乗っている、どこかで繋がっているという共存の思想ではないだろうか。軍部が引き起こした戦争の狂気が通り過ぎた時に、日本人はそれを再び思い出して鎮魂のためにこれらの慰霊碑を建て、犠牲者の名と平和の誓いを刻んだのだろう。

 さて、その全く逆の思想を我々を現在見せつけられている。2001年9月11日のあの衝撃的な事件で、一部の国家、とりわけアメリカはすっかり冷静さを失ってしまった。ジョージ・W.ブッシュ以下首脳陣は「キレた」のだ。大統領が「旗を見せろ。敵なのか、味方なのか、どっちだ」と叫ぶ様子はとても正視に耐えるものではなかった。ボーボワールの「第二の性」冒頭の文を一語だけ変れば、人はテロリストとして生まれるのではない、テロリストになるのだ。ブッシュには広島や沖縄の戦没者慰霊碑の意味などおそらく理解出来ないだろう。

 ブッシュが問うべきだったのは「何故こんな状況になったのか」という「Why?」だった。そうではなく、「誰が俺たちをやったのか」という「Who?」しか頭になかった。それで「反撃」に転じた結果がこのイラクとアフガニスタンの泥沼状態である。ベトナム戦争では共産主義が仮想敵であったが、今度はイスラム原理主義だ。「目には目を、と言い続けたら人は皆、盲いてしまうだろう」と喝破したのは無抵抗主義のマハトマ・ガンジーだが、その教訓は生かされていない。イスラム原理主義ももちろん恐いが、私にはアメリカ正義病も同様に恐ろしい。その両者が不毛な殺し合いを続けている。実に愚かなことだ。
 
 次々と起こる大学や高校での乱射事件も「キレる社会」アメリカの崩壊を予告している。ある資料(2001年)によれば一年間に銃で死亡した人の数は、ドイツ381人、フランス255人、カナダ165人である。有難いことに銃の取り締まりが厳しい日本では暴力団がらみの事件に限られており、死者の数39名である。人口比で言えば、平和で安全と言われるカナダですら日本の15倍も危険なのだ。それではアメリカは、と見るとこれが桁外れの数字である。驚くなかれ11,127人。戦後、日本人があれほど憧れ続けてきた民主主義の象徴、アメリカ合衆国は、カナダの10倍、日本のおよそ150倍も射殺されやすい、危険この上ない国となり果ててしまったのである。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
情けは人のためならず (イラヒ)
2009-10-19 20:43:42
>どこかで、回り回って、我々は繋がっているのだ、という共同体意識を日本人が保持していることの証拠ではないだろうか。

「情けは人のためならず」という諺は本来「他人に親切にしておけば、やがては自分にも良い報いとなって戻ってくる」という意味ですが、それは決して功利主義的な考えではなく、「皆どこかで繋がり合っているのだ」という考えが基本にあるのだと思います。

 しかし、最近はこの諺の意味を「人に下手に親切にするのはその人の自立のためによくない」という解釈が誤りではないと思っている人も結構いるようです。
 
 そういう解釈が生まれてくる最大の理由は、文語知識の欠如だと思います。「ならず」は動詞「なる」の否定形ではなく、「~である」という意味の助動詞「なり」の否定形ですね。だから、中学、高校で習う古文程度の知識があれば、「情けは人のためにならない」という解釈が明らかに誤りだと分かります。それが分からない日本人が多いということは、学校で古文を習っても、それが教科書の中だけで終わっているということなのでしょう。
 
 また、日本人の間で「我々は皆どこかで繋がり合っているんだ」という意識が希薄化しているということもあるのかもしれません。
にあらずvs.にならず (たき)
2009-10-20 12:35:49
イラヒさん、

ご考察の通りと思います。「人の為ならず」の「ならず」は
「にあらず」の変わったものですが、「人の為にならない」なら「にならず」と言わないといけないですね。

ところで「敵は本能寺にあり」では「なり」でもいいわけで、これは「小諸なる古城のほとり」が「小諸にある」なのと同じです。

つまり「ある」の前につく補語が
「~にある」「~になる」「~にてある」
と色々あって、この順に
「~なる」「~になる」「~である」
と変わったのでしょうね。

一番上の「~なる」が「健全なる精神」と名詞の前についたものが、日本語教育用語の「な形容詞」の元の姿です。
Unknown (Unknown)
2009-10-22 09:54:37
イラヒさんの言ったように、「情けは人のためならず」の「ならず」は確かに古文の「なり」の否定形ですね。
「人に下手に親切にするのはその人の自立のためによくない」という解釈は教育の立場から考えたのじゃないかと思います。あるいは、西洋文化の影響によって、あまり他人に親切にしてあげたら、反って邪魔になると考えられるのでしょうかね
新解釈 (たき)
2009-11-02 03:55:54
Unknownさま、

時代が変わって同じ表現に新解釈が生まれるという例では
イギリスの諺:A rolling stone gathers no moss.
(「転がる石に苔蒸さず」)があります。

本来の意味は「苔=貯金、富」であって職を次々に変えていては地位も財産も身に付かない(=だからじっと我慢していろ)」でしたが、次第に「苔=悪いもの」とする新解釈が優勢になり、「だから一カ所に留まっていてはいけない」あるいは「身体をこまめに動かしていれば病気にならない」と変化や転職、運動などを薦める意味に変わってきました。

まさに時代精神は意味を変えるのですね。

「情けは人の為ならず」の「新解釈」の方は、文法の間違いがあるという点で「転がる石…」とは大きな違いがありますけど。

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