前回から、変化しつつある日本語の新しい状況をいくつか取り上げている。第二回目は、「動詞文が名詞文に化ける」傾向だ。分かりやすく言いかえれば「〜ます」とその様々な変化形で終わっていた動詞文が、たった一つの「名詞+です」に全て収斂してしまうことだ。聞いていて「あれ?」と思わされるこうした「疑似名詞文」が、特にニュースで多用されていることに気づいたのは最近のことである。先ずは実例をご覧いただこう。
(1)「長寿大国日本が抱える問題点を検証です」
「長寿大国日本が抱える問題点を検証します」のことだとは分かるが、思わず「え?」と言いたくなる。さらにいくつか、インターネットで聞いてメモしたニュースの引用を下に並べてみた。(2)から(7)までは、全て実際にアナウンサーやレポーターが口にしたものである。アナウンサーの場合は間違いなく原稿を読んでいるのだから、これらは正しい文として原稿が書かれ、校正さえパスしたことになる。
(2)「北海道で降った激しい雨による崖崩れが温泉街を直撃です」
(3)「逃げた男の写真を公開です」
(4)「逮捕されたのは17歳の少年で、小学六年生の胸や腹などを刺し、殺害した疑いです」
(5)「日本人が出所直後に逮捕です」
(6)「来月上海でのSMAPコンサートにも暗雲です」
(7)「人気の知事が不出馬を表明です」
(8)「菅さん、どういう答弁をするかが注目だったんですけど…」
私にはこれら全てが「耳障り」なのだが、このブログをお読みの皆さんはどう思われるだろう。文によっては意見が分かれるかも知れない。明らかな誤用は別として、文として自然(=正しい)か不自然(=間違い)かの判断は人によって微妙に異なるからだ。
明らかな間違いと思われた表現がいつしか市民権を得て、正しい表現となることは実は珍しくない。コセリウという言語学者の有名な著作を和訳したときに、風流な、しかし原題とは全く関係のない題をつけた国語学者、亀井孝のことを思い出した。訳書のタイトルは「うつりゆくこそことばなれ」というのである。単語のレベルの顕著な例を一つだけ挙げるなら「新しい」の読みも「あらたしい」から、いつしか「あたらしい」に変わってしまった。(昔の読み方は今でも「気持ちを新たにする」などに残っている)
そうした事情を十分理解した上だが、もし私が校正を任されたデスクなら、これら(1)から(8)の全てに迷うことなく朱を入れるだろう。そして文末をこう変える。(2)「直撃しました」(3)「公開しました」(4)「殺害した疑いが持たれています」(5)「逮捕されました」(6)「暗雲が立ちこめています」(7)「不出馬を表明しました」(8)「菅さん、どういう答弁をするかが注目されたんですけど…」 結局、ワンパターンに「です」で終わっていた「疑似名詞文」を、「ます」(とその変化形)を使って本来の「動詞文」に復元するだけのことだから、誰にでも簡単に出来る操作である。
添削したい理由は簡単で、私の耳に(1)から(8)までの文が、こなれた自然な文に聞こえないことに尽きる。不自然に聞こえる理由はないわけではない。「を・に・で」などの格助詞(を伴う補語)は動詞文に現れるのが基本で、名詞文では使われにくいからだ。だから、「結果を発表した」の方が「結果を発表だ」より文の坐りがいい。「結果の発表だ」ならまだしも。
人によっては、例えば上記の(5)において、一体問題となっている日本人が「逮捕した」のか、「逮捕された」のかが曖昧だから悪文だ、と言う人がいるかも知れないが、それはちょっと違うだろう。文の意味は文脈で分かればいいので、全ての事実関係を明らかにする文がいい文だとは言えないからだ。この点で別な例を挙げれば、「田中さんが好きだ」などという文は、話題の田中さんが「好いている」のか、「好かれている」のか、両方の可能性があるけれど、対話の場という「文脈」さえ与えられれば、全く自然に聞こえる。
とは言っても、おそらくは、(5)「日本人が出所直後に逮捕です」のような新傾向の文も、これから多用され続けるに従って、若い世代の日本人には自然な文と見なされていくのだろう。前回取り上げた「為替介入を実施を致しました」のような「を入れ文」が、今の所は誤用と見なされるのに対して、今回の「疑似名詞文」の方は、「正誤」ではなくて「好き嫌い」で評価される状況なのだと思う。いずれにしても、今から一世代も後になったら、「え、どこが問題なの?」と逆に聞かれるようになるに違いない。栄枯盛衰、盛者必衰、諸行無常でこそ「生きた言葉」というものなのだから。「うつりゆくこそことばなれ」は、蓋し名言である。(2011年4月)
応援のクリック、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(1)「長寿大国日本が抱える問題点を検証です」
「長寿大国日本が抱える問題点を検証します」のことだとは分かるが、思わず「え?」と言いたくなる。さらにいくつか、インターネットで聞いてメモしたニュースの引用を下に並べてみた。(2)から(7)までは、全て実際にアナウンサーやレポーターが口にしたものである。アナウンサーの場合は間違いなく原稿を読んでいるのだから、これらは正しい文として原稿が書かれ、校正さえパスしたことになる。
(2)「北海道で降った激しい雨による崖崩れが温泉街を直撃です」
(3)「逃げた男の写真を公開です」
(4)「逮捕されたのは17歳の少年で、小学六年生の胸や腹などを刺し、殺害した疑いです」
(5)「日本人が出所直後に逮捕です」
(6)「来月上海でのSMAPコンサートにも暗雲です」
(7)「人気の知事が不出馬を表明です」
(8)「菅さん、どういう答弁をするかが注目だったんですけど…」
私にはこれら全てが「耳障り」なのだが、このブログをお読みの皆さんはどう思われるだろう。文によっては意見が分かれるかも知れない。明らかな誤用は別として、文として自然(=正しい)か不自然(=間違い)かの判断は人によって微妙に異なるからだ。
明らかな間違いと思われた表現がいつしか市民権を得て、正しい表現となることは実は珍しくない。コセリウという言語学者の有名な著作を和訳したときに、風流な、しかし原題とは全く関係のない題をつけた国語学者、亀井孝のことを思い出した。訳書のタイトルは「うつりゆくこそことばなれ」というのである。単語のレベルの顕著な例を一つだけ挙げるなら「新しい」の読みも「あらたしい」から、いつしか「あたらしい」に変わってしまった。(昔の読み方は今でも「気持ちを新たにする」などに残っている)
そうした事情を十分理解した上だが、もし私が校正を任されたデスクなら、これら(1)から(8)の全てに迷うことなく朱を入れるだろう。そして文末をこう変える。(2)「直撃しました」(3)「公開しました」(4)「殺害した疑いが持たれています」(5)「逮捕されました」(6)「暗雲が立ちこめています」(7)「不出馬を表明しました」(8)「菅さん、どういう答弁をするかが注目されたんですけど…」 結局、ワンパターンに「です」で終わっていた「疑似名詞文」を、「ます」(とその変化形)を使って本来の「動詞文」に復元するだけのことだから、誰にでも簡単に出来る操作である。
添削したい理由は簡単で、私の耳に(1)から(8)までの文が、こなれた自然な文に聞こえないことに尽きる。不自然に聞こえる理由はないわけではない。「を・に・で」などの格助詞(を伴う補語)は動詞文に現れるのが基本で、名詞文では使われにくいからだ。だから、「結果を発表した」の方が「結果を発表だ」より文の坐りがいい。「結果の発表だ」ならまだしも。
人によっては、例えば上記の(5)において、一体問題となっている日本人が「逮捕した」のか、「逮捕された」のかが曖昧だから悪文だ、と言う人がいるかも知れないが、それはちょっと違うだろう。文の意味は文脈で分かればいいので、全ての事実関係を明らかにする文がいい文だとは言えないからだ。この点で別な例を挙げれば、「田中さんが好きだ」などという文は、話題の田中さんが「好いている」のか、「好かれている」のか、両方の可能性があるけれど、対話の場という「文脈」さえ与えられれば、全く自然に聞こえる。
とは言っても、おそらくは、(5)「日本人が出所直後に逮捕です」のような新傾向の文も、これから多用され続けるに従って、若い世代の日本人には自然な文と見なされていくのだろう。前回取り上げた「為替介入を実施を致しました」のような「を入れ文」が、今の所は誤用と見なされるのに対して、今回の「疑似名詞文」の方は、「正誤」ではなくて「好き嫌い」で評価される状況なのだと思う。いずれにしても、今から一世代も後になったら、「え、どこが問題なの?」と逆に聞かれるようになるに違いない。栄枯盛衰、盛者必衰、諸行無常でこそ「生きた言葉」というものなのだから。「うつりゆくこそことばなれ」は、蓋し名言である。(2011年4月)
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