金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

目次

2012-05-16 20:44:17 | 目次
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プロフィール
  プロフィール


日本語ものがたり
  はじめに
  第76回 「百人一首の謎」
  第75回 「咲くやこの花冬ごもり
  第74回 「早く宿題やって遊ぶべ」
  第73回 「嫌いな食べ物」
  第72回 「したらね」
  第71回 「左見右見(とみこうみ)して鰻屋へ山の芋」
  第70回 「東日本大震災から2週間がたちました」
  第69回 「日本人が出所直後に逮捕です」
  第68回 「一貫を致しているところであります」
  第67回 「◯◯ちゃんみたく可愛くなりたい」
  第66回 「和語と親しむ(6):つらい・かたい・にくい」
  第65回 「和語と親しむ(5):消せど燃ゆる魔性の火」
  第64回 「和語と親しむ(4):時の流れに身をまかせ」
  第63回 「和語と親しむ(3):隠された動詞」
  第62回 「和語と親しむ(2):平仮名の向こうに」
  第61回 「和語に親しむ(1):男と女」
  第60回 「めがね」
  第59回 「朝青龍、角界を去る」
  第58回 「恐るべき麻生読み」
  第57回 「漢民族は羊好き」
  第56回 「あめあめふれふれかあさんが」
  第55回 「幸せになりたいですか」
  第54回 「敬語の品格」
  第53回 「怖い漢字」
  第52回 「福田首相辞任劇」
  第51回 「横綱の品格」
  第50回 「大統領がキレる国」
  第49回 「行ってきます」と「お帰りなさい」
  第48回 「敬語の落とし穴」
  第47回 「沖縄のことば」
  第46回 「安倍首相の日本語力」
  第45回 「左と右」
  第44回 「英語と仏語」
  第43回 「私のこと、好き?」
  第42回 「奈良時代のホッケー」
  第41回 「切る言葉、つなぐ言葉」
  第40回 「ある学生の『か理論』について」
  第39回 「英語の悲鳴・仏語の悲鳴」
  第38回 「恩師のアドヴァイス」
  第37回 「日本語の特徴(その3)」
  第36回 「日本語の特徴(その2)」
  第35回 「日本語の特徴(その1)」
  第34回 「意味の変化か、間違いか」
  第33回 「国語か、日本語か」
  第31回  謎解き「シクラメンのかほり」
  第30回 「赤ちゃんの名前」
  第29回 「3ぺた族」と「ひきこもり」
  第28回 「世界一の男優」
  第27回 「ぶん殴る」の「ぶん」はどこから来た?
  第26回 「名詞修飾節という肩凝り」
  第25回 「国境の長いトンネル:コトとモノ」
  第24回 「追悼:林尚子さん」
  第23回 「米語の悲劇・大阪弁の喜劇」
  第22回 「イスラム」と「イスラエル」:似ていて当然?  
  第21回 「は」と「が」の違い(その2)
  第20回 「は」と「が」はどう違う?
  第19回 「山・島・沼・浜:共通点は何?」
  第18回 「海」は「海水」のことだった?
  第17回 「ケータイさんが行くよ」
  第16回 「ケセラセラとレット・イット・ビー」
  第15回 「ビンラディンを巡る人名と地名」
  第14回 「常用漢字の不思議」
  第13回 「増本さんの想い出:スカートとシャツ」
  第12回 「50音図をよく見ると」
  第11回 「先生、ジュテームは日本語でどう言いますか」
  第10回 「日本語上達の鍵は『てにをは』にあり」
  第9回 「山の手線」か「山手線」か
  第8回 「モントリオールはクロワッサン」
  第7回 「先生、日本語は外来語に寛容すぎませんか?」
  第6回 「アカプルコからの手紙」
  第5回 「連続線としての受身/自・他動詞/使役」
  第4回 「ケベッコワと外来語」
  第3回 「葉と歯って元々同じだったと思う」
  第2回 「ラぬき言葉という名称は正しくない」
  第1回 「三階でございま〜す」

管理人のつぶやき
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第76回 「百人一首の謎」

2012-05-16 20:41:13 | 日本語ものがたり
 前回、モントリオール大学の日本語3年生と日本人が対戦した弥生歌留多大会の様子を書きました。すると「北海道の木の板の取り札が懐かしい」とか、「作戦があったにしても日本人が負けたなんて信じられない」などの声が聞こえてきました。読者の皆さんのコメント、ありがとうございます。こうした反応に気を良くして、今回もさらに百人一首にまつわる話を続けたいと思います。実は、学生が「百人一首」に大いに関心を示したのは、歌留多というゲームに対する興味だけでなく、百人一首にまつわるエピソードあるいは「裏話・秘話」を大いに楽しみ、いえ、むしろ怖がってくれたからなのです。それでは、日本人にさえ意外に知られていない「百人一首の謎」を、お話ししましょう。

 何を隠そう、ずっと昔からこの百人一首は謎に包まれてきた歌集なのです。選者は藤原定家(1162-1241)ですが、その定家が日記「名月記」にこんなことを書いています。「小倉山にある私の山荘のすぐ近くに住む僧の蓮生に頼まれて、障子に貼る色紙用に天智天皇から今日までの歌人100人の和歌を一首づつ選んでみた。私は達筆ではないので気が進まなかったが、仕方なく筆を取って書いた。それらの和歌を選んだ基準は私の心の中にある」当時の知識人の習慣として、この日記の原文は漢文で書かれています。なお、蓮生というのは定家の息子の妻(つまり嫁)の父親のことです。ここで問題なのは、最後の「選んだ基準は私の心の中にある」という個所ですが、定家は何故こんな謎めいた言葉を残したのでしょうか。

 それもその筈、定家は実に不思議で不可解な和歌の選び方をしています。これまで多くの研究者が指摘してきた疑問点は主に次の3点です。(1)当時の有名な歌人が多数選ばれていないのは何故か(2)多くの歌の中から、いかにも駄作、愚作と思われる歌を敢えて選んでいるのは何故か(3)同じ様な歌がとても多いのは何故か。(2)でよく槍玉に挙げられる例は22番の「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐と言ふらむ」で、これは単に「山」と「風」を重ねると「嵐」になるという駄洒落にすぎません。(3)の例では1番の「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ」と15番の「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ」の下の句がそっくりですし、さらにこの15番は4番の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高ねに雪は降りつつ」と全く同じ終わり方をしています。かと思うと「ひとりかも寝む」で終わる和歌も二首あって、3番の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」と91番の「きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」です。以上、(2)と(3)の問題点を調べると、定家が当時の有名な歌人の代表作を選んだとは、とても思えません。定家自身、「一体どういう基準で選んだんですか」と問われるのを予想した上での答えが日記に書いた「和歌を選んだ基準は私の心の中にある」だったと想像出来ます。ではその隠された基準とは何だったのでしょうか。

 この問題に見事に答えたのが自身も歌詠みで作家の織田正吉です。日本語のクラスでその答えを紹介したところ、教室には数秒間の沈黙が訪れ、その後全員の顔に「そうか、それで納得した」という表情が浮かびました。出典は織田正吉「絢爛たる暗号:百人一首の謎を解く」(集英社1978)ですので、ご興味のある方は是非お読み下さい。

 織田は百人一首は定家が後鳥羽上皇の怨霊・祟りを畏れ、上皇の愛した水無瀬川離宮の絵を描いたのだと、驚くべき主張をします。後鳥羽上皇と言えば1221年に鎌倉幕府打倒を目指したクーデターを起こした歴史上の人物ですが、結局これに失敗し、上皇は隠岐、子の順徳天皇は佐渡にそれぞれ流されました。そして、苦境の中で二人とも流刑地で亡くなります。後鳥羽上皇の場合、隠岐で8年後に崩御するのですが、亡くなる前によく京へ手紙を送りました。その中で、まだ定家が若かった頃、水無瀬側離宮にも招待し、様々な形で援助してやったのに、最近は自分の歌人としての力量に慢心し、都を追われた自分に対して敬意に欠いているという恨みの言葉があったのです。真っ赤な呪いの手形を押した置文まで残っており、「言霊」という意識がまだ生きていたこの時代、定家は上皇の呪いが何より怖かったのです。それで、同じ言葉が使われている和歌を集め、それを縦横に並べ繋げると一幅の絵になる一世一代の試みを企て、「文学的絵巻物」に仕立て上げました。つまり後鳥羽上皇がこよなく愛した水無瀬側離宮の絵を、絵筆の代わりに和歌で織り上げたのが百人一首なのです。そうすることで、過去にお世話になった恩人で、今は流罪の罪人と化した後鳥羽上皇を追悼、顕彰しようとした訳です。そしてその秘密は自分の胸だけに留めておきました。それが「それらの和歌を選んだ基準は私の心の中にある」の意味であることを初めて見抜き、定家の深い恐れと800年間闇に包まれていた意図を明るみに出した織田正吉の洞察力にはただただ驚嘆し、敬意を表するしかありません。因に、百人一首は99番が後鳥羽上皇、そして掉尾を飾る100番が順徳天皇の歌で締めくくられていることも決して偶然ではないでしょう。(2012年5月)

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第75回 「咲くやこの花冬ごもり」

2012-04-24 08:59:52 | 日本語ものがたり
 今学期は久しぶりに日本語の最上級である三年生を担当したのですが、思い立ってクラスの学生七名に百人一首の短歌を教えてみたら驚くほど喜ばれました。その反応に気をよくしてさらに万葉集、いろは歌へと古語の森をさらに逍遥し、学期末まで大いに盛り上がりましたが、私自身、大昔に故郷の北海道北見市で百人一首を家族や友達と楽しんだ遠い記憶が蘇ってきて楽しめました。上級クラスですから、難解かつ長文のテキスト分析も勿論重要ですが、新春の国民的な知的遊戯に現れる歌留多大会の日本語なども、学習上大変有効であることを痛感した次第です。
 和歌ということは当然使われる単語がほぼ全て和語、つまり大和言葉です。それらは現代までほぼ同じ意味を保っていることが多く、日本語がいかに古い形を残しているかを知ってもらう、絶好の機会にもなりました。
それにつけても、同じ競技だと言うのに歌留多大会は地方によってルールがどうしてこうも違うのでしょう。「地方によって」とは言っても、実は北海道だけが何故か特殊なのだそうです。2つ大きな違いがあります。先ず(1)取り札が本州のように紙ではなく、北海道では木の板です。ご覧になったことのない読者の方は、銭湯で渡される下駄箱の鍵のついたあの板を想像してみて下さい。あの厚くて四角い板の上に、印刷ではなく、水茎の跡も麗しい筆で漢字交じりの下の句が伸び伸びと書かれています。(紙の取り札の方は、活字の平仮名4行書きです)。もう一つの違いに読者はさらに驚かれるかも知れません。何と、(2)北海道では、読み手が読み上げるのが上の句ではなくて下の句なのです。この「下の句読み下の句取り」を俗に「北海道ルール」と称します。
このやり方で何が変わるかというと、それは大人に交じって子供も参加出来ることです。読まれた札をそのまま取るだけですから、こんな簡単なことはありません。つまり、和歌三十一字の全体を丸暗記しておいて、最初の五「例えば:天津風〜」を聞いてとっさに下の句を予想し、紙の札に平仮名で印刷された「をとめのすがた」を探して取るのが「正式な」歌留多であるのに対して、北海道では読まれるのが下の句の「乙女の姿〜」なので、その通り「乙女の姿しばしとどめむ」と書かれた板の札を取ればいいわけですから、どんなに小さな子供でも「乙女、乙女」と頭の中で繰り返していたらその札はちゃんと取れます。今でもよく覚えているのは、幼児だった私の得意札が「乙女」と「夢の通ひ路」の二枚だけだったということです。「夢」と「乙女」を両方取れば大満足。その上の句はおろか、他の札やチームの勝敗は当時の私にはどうでもよいことでした。
 さて、学生に百人一首と歌留多大会のやり方を紹介したら、「実際に試合してみたい」と声を揃えて言うではありませんか。そこで「その意気や良し」と、日本人有志を同数の七名募って、日本人チームと日本語の学生チームの(新春ならぬ)「弥生」歌留多大会が催される運びとなりました。ときは3月30日、ところはモントリオール大学東アジア研究所。噂を聞かれた方も当地にはいらっしゃるでしょう。ご参加下さった皆さん、ありがとうございました。カナダ人学生が相手でもルールは本式。つまり上の句を読んで下の句を取る方式です。もっとも時間の関係で第一番天智天皇の「秋の田の」から第30番、壬生忠岑の「有明の」までの30枚のみとしました。学生にはこの30首を詳しく説明し、さらに最初の5を聞いて取り札の最初の7が言える様、練習に練習を重ねて本番に臨みました。当日、日本人チームを迎える学生はどきどきはらはら。こんなに楽しい授業はなかなかないことです。
先輩の晴れ姿を見ようと応援の下級生が周りを囲み、一枚取るごとに歓声が上がるという異様な盛り上がりの中、勝敗はどうだったかと言うと、日本語三年生チームの2戦2勝、圧勝でした。この結果に、参加された日本人も吃驚されていましたが、この紙面を借りてその理由を打ち明けましょう。実は簡単な「作戦勝ち」でした。子供時代の記憶を頼りに私が学生一人一人に「自分の担当札」を予め決めておいたからです。七名で30首ですから、平均4枚強。「この歌は君だよ」、と学生一人一人に指示。自分担当の4首に関してだけは、上の5を聞いて下の7がすぐ思いつくように、条件反射の「パブロフの犬」よろしく特訓してあったという訳です。これでは「北海道ルール」の「乙女」とあまり変わらない、限りなくインチキ(出来レース?)に近い歌留多大会であったと言わなければならず、「何か変だなぁ」と首を傾げていた日本人参加者の皆様に、この紙面を持って深くお詫びする次第です。学生達の日本語学習の励みになれば、とでも思われて、どうか失礼の段、ご海容ください。
 さて、紙面が少なくなってきましたが、そろそろ「日本語ものがたり」と題するこのシリーズの顔を立てなくてはなりません。そこで表題の「咲くやこの花冬ごもり」です。百人一首の歌留多大会の慣例として、一番最初に百人一首に入っていない歌を読み、その歌に続いて最初の札の上の句を読むことになっています。そしてその際に「難波津の歌」と呼ばれる歌が選ばれるしきたりなので、今回のイベントでもこの歌を読んで貰いました。それが「難波津に咲くやこの花冬ごもり明日は春べと咲くやこの花」という歌で「難波津に花が咲いています。今こそ春が来たとて花が咲いております」というような意味です。初めて大和王朝の日本へ論語と千字文を伝えたと言われる百済からの渡来人、王仁(わに)の作とされていますが、ここで問題にしたいのは、この「花」が果たして梅なのか桜なのか、という点です。これまでは、春一番先に咲くという意味で梅と思われてきました。ところが、いや、実は桜だったろうと、文化勲章受賞者で国語学者の山田孝雄は主張しているのです。その根拠は語源で、この時代の日本語には「や」と「ら」の交替がよく見られるからと言うのです。そう言えば「所謂(いわゆる)、あらゆる」なども本来は「言わるる(=言われる)、あらるる(=有られる)」であったのが変化したものです。もしそうであったらこの和歌には「花」=「梅」と見せかけてもう一つ裏の意味があり、「難波津に桜、この花冬ごもり 明日は春べと桜、この花」」とも読めることになります。日本語習得で苦労したに違いない渡来人の王仁は、「や・ら」の交替を意識しつつ、「梅」の国、中国から論語と千字文を伝えた「桜」の国日本、その両国の橋渡しをした自分と子音の交替を重ねつつこの歌を詠んで、意外や意外、密かにほくそ笑んでいたのかも知れません。

2012年4月24日



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日経ビジネスアソシエ 4月号

2012-03-27 09:23:29 | 最近の出来事
 またまた嬉しいお知らせです。管理人チエ蔵です。
 3月10日に販売された日経ビジネスアソシエ4月号「英語脳の作り方」特集号で、たきさんへのインタビュー記事が紹介されました。

 日経ビジネスアソシエ4月号の表紙はこちら。
  
 
 気になるインタビュー記事はこちらです。
  
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お知らせ

2012-02-27 19:55:03 | 最近の出来事


 皆様、大変ご無沙汰しております。管理人チエ蔵です。
 今日は嬉しいお知らせがあります。

 「いいちこ」という焼酎をご存知ですか? 管理人は下戸なので、アルコールを含むものは滅多に口にしないのですが、焼酎なら「いいちこ」のオン・ザ・ロックと決めています。口に含むと華やかな香りが広がり、口当たりが軽くて幾らでも飲めそうで、下戸の私には危険な飲み物なのが残念。

 その「いいちこ」で有名な大分県の会社『三和酒類』がスポンサーの学術誌、『季刊iichiko』の最新号で、『金谷武洋の日本語論』という特集されています。これまでたきさんが発表してきた日本語論について6名の寄稿者が色々な観点から論じています。市販されている雑誌ではないので、購入は難しいのですが、是非にという方は、『季刊iichiko』にお問い合わせください。なお、『季刊iichiko』のバックナンバーはここで見られます。

 余談ですが、ン十年前に大学生の時、生まれて初めて飲んだ焼酎も、当然「いいちこ」です。私の旧姓+名前がこの「いいちこ」にとても似ていたため、その時についた渾名が「いいちこ」で、卒業するまでそう呼ばれておりました。今ではそう呼ぶ人はありませんが「いいちこ」と聞くと、未だにちょっとドキッとします。



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内容紹介 (アマゾンに載った山本哲士さんの記事をそっくりそのまま転用いたしました)

『日本語に主語はいらない』の書がでたとき、当然のことを語られているとしてそれを読まなかったのだが、『英語にも主語はなかった』を読んで驚き、あわてて金谷武洋氏の著書をすべて読み、「やっとまっとうな日本語論が出てきた」と興奮したものだ。三上章が明確に位置づきはじめた。そこで本誌は三上章特集(2006年秋号)を組み、氏にも書いていただいた。作夏に氏が来日されたときにインタビューをお願いし、その場でこの特集を組むことをお願いした。 主語・述語の文法規定だけからでは、なにも始まらない、問題の深みは、超文法の主辞・賓辞のコプラ哲学を超える可能閾にある。西欧的哲学設定の狭さをつきぬけることだ。述語制からのランガージュ論は、近代西欧の限界を超克し、新しい世界の設計原理の基礎となりうる。日本文学の翻訳者たちは文学表現の翻訳不可能さに気づいていながら、哲学論理化・言語理論化しえないできた。こうした見なおしの基礎的かつ本質的な論述が、金谷武洋日本語論から開始しえるのである。 言語本質論なくして、哲学も文化学も社会科学や科学技術論も、実は成り立たない。根源であるのだ。政治や経済もである。カナダで金谷氏が、パリで浅利誠氏が、卓越した日本語論を日本語教育の本質現場から論理的・思想的に文化表出されてこられた、それをしっかりと学びながら、数少ないが日本語学者や哲学者たちの協働を構成していくことが、これからの作業となっていく。これはまた「もの」の深みを見失って物体・実体とみなして「こと」をとりざたする転倒を超えていくことになり、「剣術」の「わざ」として本誌が探究していることにもむすびつく。これを機にして、世界線での協働仕事へと開いていきたい。日本の言語、日本の術・技、日本の文化は、「非分離/述語制/場所」そして非自己にあるのだ。近代西欧の「分離/主語制/社会」自己を超えていくものでる』
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第74回 「早く宿題やって遊ぶべ」

2012-02-19 11:24:30 | 日本語ものがたり
 ご周知の通り、現代日本語の母音は『あ・い・う・え・お』の5つです。とは言っても、その使われ方は一様ではなく、「え」は他の4つと比べて使われる頻度がかなり少ないのです。先ず、国語学者大野晋の「日本語の文法を考える」(岩波新書:1978)に挙げられているデータをご紹介しましょう。それは、万葉集の5,14,15,17,18,19,20合計7巻に使用された万葉仮名の総数を音節ごとに集計したもので、音節の総数は4万1947。その母音ごとの分布は下記のようでした。なお、ここでア列音というのは「あ・か・さ・た・な・は・ま」のように、母音アを含んだ音節のことです。

ア列音:  12,120 28.9%,
イ列音:  9,633 23.0%,
ウ列音:  6,415 15.3%,
エ列音:  3,838 9.1%,
オ列音:  9.941 23.7%

 ご覧の様にエ列音は大変少なく、ア列音の三分の一以下です。さらに、エ列音は単語の始めに出て来ることが非常に少ないこと、僅かしかないエ列音で始まる単語の半数以上は漢語であること、の2点を踏まえて、大野は「歴史以前の日本語にはエという母音はなかった」という大胆な仮説を立てました。大野によれば、エ音は「a+i」あるいは「i+a」の二重母音から日本語に二次的に発生した母音なのです。例えば命令形の「行け」も時を遡れば、「行き+あ」であったらしく、確かに、各地の方言には「行きあ〜(あるいは行きや〜」)と言う表現が今でも各地に残っています。このブログの読者も日本各地にいらしゃるでしょうから、あるいは心当たりがあるかも知れません。

 さて、そこでハタと思い当たるのはモントリオールで日常耳にするフランス語で「家」のことを「メゾン」と言うことです。これもスペルを見ますと「méson」ではなく「maison」ですね。スペルから、昔は恐らく表記通りに「マイソン」と発音されたであろうと想像されますが、二重母音の「アイ」が「エ」と変わったことと、上記の「アとイの連続から新しい母音エが出来た」という日本語の状況は実によく似ています。

 長々と書いて来ましたが、ここまでが実は今回の話題の「枕」なのです。今回お話ししたかったのは「何故形容詞で『い』の前にエ音が来ないか」という問題です。

 国文法で言うところの用言(文中で形が変わるもの)である形容詞は全て「い」で終わりますが、「あかい・かわいい・古い・面白い」のように最後の「い」の前は「あ・い・う・お」の4つのみで、「え」の場合を探してもなかなか見つかりません。日本語の母音は「あ・い・う・え・お」の5つだと思っていてはこうした状況は説明出来ませんが、「エ音」は昔の日本語になかったと知ると何となく納得できます。先月まで2回の記事で扱った「な形容詞」では「有名な」「綺麗な」など「え+い」は可能ですが、これらも「有名・綺麗」が本来は漢語だということで例外扱いが出来る訳です。

ところが、です。探してみると例外はあるもので、和語でしかも「い形容詞」でありながら「い」の前が「エ」である単語が実は数例あるのです。いえ、「あった」と言うべきかもしれません。もう現在では使われていないからです。そんな例外を二つだけご紹介しましょう。

  一つは「至る所にいる(ある)という意味の」「あまねい」です。これは現代日本語では副詞の「あまねく」にかろうじて姿をとどめています。古語は「あまねし」で、本来であれば「青し」が「青い」になったように「あまねい」という言葉になる筈でしたが、廃れてしまいました。「言葉は生きている」とよく言われますが、それは単語にとっては熾烈な生存競争でもあって、その過程で「あまねい」は生き残ることができなかったわけです。もう一つの例は「そうあって当然だ」という意味の「〜べし」です。こちらはやや畏まった文語表現として、連体形の『べき』とともに平成の御代まで生き残りました。それが「日本人のあるべき姿」とか「断固主張すべし」などという表現です。さらに「べし」が幸運だったのは「し」が「い」となった形すら方言には残ったことで、それが東北、北海道などでよく耳にする「べい」(あるいはそれが短くなった「べ」)です。かく申す私も道産子なので、子供の時によく友達に「早く宿題やって遊ぶべ」などと言っていたことを今では懐かしく思い出します。(2012年2月)


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第73回 「嫌いな食べ物」

2011-11-20 22:06:32 | 日本語ものがたり
 このブログを読んでくださっている方からのアドバイスで、今回から「です・ます」調で書くことにしました。これまでの記事を書き換えることはしませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 日本語を教えるという仕事していると、「あれ、どうして?」と思うことがしばしばですが、今回の表題、「嫌いな食べ物」もそんな一例です。この日本語のどこが「あれ?」なのでしょう。ありふれた日本語だと、どなたも思われるに違いありません。ところが、実はそうでもないのです。それを分かって頂くためには、先ず日本語の形容詞を巡る状況を説明しなければなりません。      

 日本語には二種類の形容詞があります。日本の学校の国語の時間ではなく、外国語としての日本語教育ではこの二つを通常「い形容詞」と「な形容詞」に二分しています。名詞の前で「な」が現れるもの(例:「元気な人」の「元気」)を「な形容詞」、「面白い人」のように名詞の前に何も付かない「面白い」などが「い形容詞」です。

 日本語が母語の我々にとっては、後ろに名詞が続く時に「な」を付けるかどうかで両者は簡単に区別出来ますが、そのチェック能力を持たない学習者には、別の見分けかたを教えなくてはいけません。先ず教えるのは次の二つです。

 (1)漢語を含めた外来の形容詞は全て「な形容詞」。「元気、親切、便利」などは漢語、「キュート、エレガント、カラフル」などは英語であることは、漢字やカタカナの使い方を見ても一目瞭然です。

 (2)次に、和語(大和言葉)であっても、最後が「い」でなければ、「い形容詞」でないことは言うまでもありません。「静か、賑やか、好き」などがそうした例です。たとえ漢字が使われても「送り仮名」があれば、それは必ず和語です。

 以上の二つで、ほとんど全ての形容詞は学習者にも区別出来ます。つまり、(1)和語であって、しかも(2)「い」で終わる形容詞だけが「い形容詞」ということです。一見「い」で終わる様に見える「有名、綺麗、丁寧、曖昧、不快」なども、もとは漢語ですから、「い形容詞」ではなく、やはり「な形容詞」です。そもそも「有名、綺麗、丁寧」では「い」と書いても、その前の母音「え」と共に長母音の「ee」と発音されるのが普通で、「い」は見せかけにすぎません。関西の方言で「けったいな」というのがありますが、これまた元は漢語の「卦体(けたい)」です。以前(第67回)でお話しした「◯◯ちゃんみたいに」の「みたい」も「見た様」から来ているので、これまた「な」が付きます。

 さて、そこで表題の「嫌いな食べ物」に戻りましょう。「嫌い」は送り仮名もあって、どう見ても和語です。しかも「い」で終わっています。ですから、上の(1)と(2)だけを教えていては、間違いなく「い形容詞」と学習者が思う単語なのですが、「嫌いな食べ物」のように、「な」が使われるので、見かけとは裏腹に、これまた「な形容詞」なのです。

 実は「美味しい、面白い」などの「い形容詞」と違って、「嫌い」の裏には動詞があるのです。言うまでもありません。その動詞は「嫌う」です。そこで、同じ様に「-au」で終わる他の動詞と比べてみると、「出会う・間違う・祝う」などすぐ思いつきます。これらには一様に「出会い・間違い・祝い」など「い」で終わる名詞が対応しています。「嫌い」も「凝りすぎる嫌いがある」とか「好き」を上に付けた「好き嫌い」なら、「好き嫌いがある・ない」など、よく使う名詞となります。ただ、「出会い・間違い・祝い」の後に、さらに別な名詞を続けるには、「出会いの場所・間違いの訂正・祝いの酒」など「な」ではなくて「の」が選ばれます。ではどうして「嫌い」だけが「嫌いの人」ではなく「嫌いな人」と「な形容詞」になるのでしょう。

 その答えは、単語の意味にあるのです。「嫌い」は「好き」の反意語で、ともに気持ちを表す言葉です。たとえ「嫌う、好く」が動詞でも、それは「出会う・間違う・祝う」など積極的な行為を表すものと性格が違います。「嫌い」は確かに和語で「い」で終わりますが、形が共通の行為動詞の方は名詞となるのに、形は違っても意味に共通性のある「好き」の方に近づいて、「嫌い」は「な形容詞」の進路をとったものと思われます。

今回は、「嫌いな食べ物」に「あれ?」と思わされた理由と、たった一つの単語にも「小説よりも面白い」ストーリーがある、という好例をご紹介しました。これをお読みの方で、他にも「嫌いな」のような言葉をご存知の方は是非コメント欄でご連絡ください。(2011年11月)


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第72回 「したらね」

2011-10-17 21:22:13 | 日本語ものがたり
 前回、話題となった古川柳「左見右見して鰻屋へ山の芋」に追加したいのは「山芋が鰻になる」という表現があるということである。意味は「物事が急に意外なものに変わること。また、身分の低い者が急に成り上がること」(「広辞苑」)

 隠語の「山の芋=僧」という意味を知らないと笑うことが出来ない川柳と比べて「山芋が鰻になる」の方はいかにも文字通りで、頭を傾げる必要はなさそうだ。この表現と川柳がどういう関係なのかがよく分からないのは残念だが、江戸時代の庶民は「鰻」と聞いて「山芋」を連想したのだろう。

 「左見右見(とみこうみ)」という言葉から二つの方向を見るという話となった。「あ・こ」のペアから「あれこれ」「あれやこれや」「あちこち」「ああ言えばこう言う」「ああでもないこうでもない」など、もう一方の「そ・こ」のペアでは「そうこうするうちに」「それやこれやで」など多くの表現があることを見たが、それとも関連する日本語の「別れの挨拶」を今回は考えてみたいと思う。

 日本語の別れの表現というと、先ず筆頭に挙げられるのは「さようなら」だろう。何の疑問もなく使っている日常表現なのだが、その起源を考えるとなかなか面白いことがわかる。今やローマ字で書かれ外国語でも使われる「Sayonara」だが、言うまでもなく「左様ならば」が崩れたもので、意味は「そのようなら」。これもよく使われる「じゃそういうことで」と同じ発想の表現である。

 「そのようなら」の「そ」は、明らかに「こ・そ・あ・ど」の「そ」であるから、対話の相手を指して「あなたがそうおっしゃるなら」という意味で、もっと簡単な「それじゃ」、それが詰まった「じゃね」も結局同じ発想の表現ということになる。

 こう考えると「さようなら・それじゃ・じゃ・じゃね」などは極めて「他人志向」の表現だと言えるだろう。その「他力」ぶりは西洋語や中国語、朝鮮語などと比べるとさらに際立って顕著だ。「再び会いましょう」と再会を祈念するのが「再見(北京語)、Au revoir(仏語)、Auf Wiedersehen(独語)、Arrivederci(イタリア語)」など。「神様のご加護がありますように」と相手の無事を祈るのが「Good by(英語)、Adios(スペイン語)、Adieu(仏語)」など。神に言及はせずともやはり別れる相手の安寧・健康を祈る「Salut(仏語)、アンニョンヒー・カセヨ(ケセヨ)(朝鮮語)」などで、これらに見られる、話し手の積極的な意志性が「さようなら」には奇妙に欠如しているのだ。強いて探せば英語の「Well, then」、仏語の「Alors」などに近い。

「さよなら」は日常的でも、その源流の「左様ならば」まで遡れば俄然厳(いか)めしくなる。実は、日本人は歴史上一貫して他力の発想で別れの言葉を使ってきたのだ。「左様ならば」の別の言い方が「さあらば・さあらばよ」で、前者は「さらば」、後者は「あばよ」になった。つまり、武士の「さらばじゃ」から町人・侠客の「あばよ」まで、その底は「他人志向」という大きな流れで繋がっている。

思えば、子供の頃、北海道で育った私は「したらね」と言ってよく友達と別れたものだった。時間空間ともに故郷から遠く離れて今ではもはや使うことはないが、明らかに「そうしたらね」の「そ」が落ちた、これまた他力志向の表現である。高校で同期だった友人、新谷恭明君が最近出版した歌集「林檎の感触」にあった歌をご紹介しよう。昔日の言語空間が懐かしく胸に蘇ってくる。

したらねとあなたは小さく手を振つて二人の暮らしに終止符を打つ           新谷休呆  



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第71回  「左見右見(とみこうみ)して鰻屋へ山の芋」

2011-09-19 09:56:52 | 日本語ものがたり
 「左見右見して鰻屋へ山の芋」は、江戸時代の古川柳の一つである。優れた古川柳を集めた「俳風柳多留」には、当時の庶民のユーモアと感性の豊かさが横溢しており、江戸風俗の資料としても大変貴重なものである。

 柄井川柳(1718-90)は浅草新堀端に居を構え、竜宝寺門前町の名主でもあった。柄井が確立した古典的な川柳が古川柳と呼ばれ、明治以後復興されたものとは区別されている。下に挙げるものなどは、どれも代表的な古川柳だが、どなたもよくご存知のものばかりだろう。平成の現代日本にも通用するものが多い。

役人の子はにぎにぎをよく覚え
寝ていても団扇のうごく親ごころ
泥棒を捕らえてみれば我が子なり
居候三杯目にはそっと出し
本降りになって出て行く雨宿り

 ところが、表題の「左見右見して鰻屋へ山の芋」を初めて目にしたとき、私は意味が分からなかった。「山の芋」とは一体何だろう。それから、「左見右見」には「とみこうみ」と振り仮名がしてあったが、「み=見」はいいとして、「左」を「と」、「右」に「こう」と読むことに興味を引かれた。「さゆう」や「ひだりみぎ」なら分かるが「とこう」という読み方は珍しい。

 「故事ことわざ辞典」(学研1988)を見ると「左見右見」の意味がこう述べられている。「左を見たり、右を見たりすること、あちらこちら見ること」。どうやら漢語の「右顧左眄(うこさべん)」と似たような意味の和語が「とみこうみ」らしいと知れたが、それにしても右顧左眄では右が先なのに、なぜ左見右見では逆なのだろう、と思わないでもなかった。

 次に「山の芋」の意味だが、こちらはネットで調べて分かった。何と当時の隠語で「僧」のことを「山の芋」と言ったらしい。かくして、この川柳は「あちらこちらきょろきょろ見ながら、坊さんが鰻屋へ入って行く」という意味となる。そんな姿を江戸人が笑った理由も明らかで、僧たるもの、殺生戒と言って生き物は殺しても食べてもいけなかったからである。世間の目を忍ぶがゆえの「とみこうみ」が可笑しい。そう言えば、お酒を呑んでいけない不飲酒戒もあったから、こちらは「般若湯」(知恵の湧き出ずる湯)と称して、やはりちゃっかり呑んでいた。宗教人とは言っても、日本では絶対を掲げる原理主義でなく、建前と本音を使い分けるところが却って健(したた)かと言うべきか。

 右が先か、左が先かという問題は置くとしても、「と」と「こう」のペアからも面白いことが分かった。先ず「こう」の古形が「かく(=斯く、是く)」だったということ。岩波古語辞典には「とみかうみ」とあり、「かく=>かう=>こう」と推移したことが分かる。そう言えば、「かく」の入った「かくなる上は」「かくして」「かくも盛大な」などがあるが、これらは「こう」で置き換えられる。

 「と・こう」の新しいペアの例は少なくても、古い方の「と・かく」なら多くの語例がある。「ともあれかくもあれ」とその約の「とまれかくまれ」、「とにもせよかくにもせよ」とそれが煮詰まっていった「とにもかくにも」「ともかくも」「ともかく」「とにかく」「とかく」だどだが、全て「あれやこれや、どっちにしても」という意味で、やはり二つ比べていることになる。二方向を「見る」のが「左見右見(とみこうみ)」、「ある」のが「ともあれかくもあれ」、「する」のが「とにもせよかくにもせよ」と、二方向の後に動詞が続く点でも共通している。

 「と・こう」や「と・かく」と似たものに、「あ・こ」のペアがある。「あれこれ」「あれやこれや」「あちこち」「ああ言えばこう言う」「ああでもないこうでもない」などと多い。「そ・こ」のペアでは「そうこうするうちに」「それやこれやで」など。いずれの場合も、二方向を見るという点では共通しており、そう考えると、和語の「とみこうみ」(左見右見)」に漢字の「左右」が使われたことも至極納得出来るというものだ。     (2011年9月)

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第70回 「東日本大震災から2週間がたちました」

2011-06-17 17:46:24 | 日本語ものがたり
 変化しつつある日本語を数回にわたって取り上げているが、今回の話題は「数量を表す副詞の名詞化」である。

 日本語は、よく知られているように、数量の表現が英仏語などとかなり違っている。例をあげると、「He bought five tickets/Il acheta cinq billets」において、数量である「five/cinq」は形容詞的に名詞を修飾している。これに対して、日本語の数量は、動詞にかかる副詞となるのだ。副詞だから文の中で移動することも出来て、「切符を5枚買った」でも「5枚切符を買った」でもいい。つまり、ここの「5枚」は、「切符」というモノにかかるのではなく、「買う」というコトにかかっていると言っていいだろう。数量だけで副詞だから、「が・を」などの格助詞をつける必要もない。

 一方、英仏語の「five/cinq」は明らかにモノにかかっているから移動の自由はなく、そのモノの前に置かれる。もっとも、「five tickets」のように直前の場合と、「five expensive tickets」の様に、間に他の形容詞が挟まる場合があるが。

 対象がお金の場合だと、さらに面白い違いが出て来る。自分の財布をのぞいて予期せぬお金に気付いた日本人なら、「おっ、5000円ある!」とでも言うところだろう。で、ここで何があるかと問われれば「お金」である。だから格助詞の「が」は「お金」にはついても「5000円」にはつかない。モノであるお金の「あり方」を、やはりこの場合も副詞の「5000円」で示すのだ。ただし、「円」や「ドル」がつけば、それだけでお金であることは明らかだから、わざわざ「お金が5000円ある!」と言う人は先ずいない。

 お金の場合、英仏語ではどうなるだろう。今度は上で見た「five tickets」のように名詞にかかるのではなく、金額が名詞そのものとなるのだ。「I have 5000 yen/J’ai 5000 yen」というような文となり、副詞のままとどまる日本語とは大きく違っている。

 さて、以上が日本語における数量表現の基本なのだが、どうやらこの原則が揺らいできたようである。以下の例をご覧戴きたい。
この新しい傾向が気になるのは、これらが特にマスコミで多用されるからだ。ニュース原稿などは標準的・模範的とされる文章で、校正も経て使われており、その意味からも国民に与える影響は大きかろうと予想される。

(1) 520人が犠牲となった日航機墜落事故から12日で25年がたちました。
(2) 大阪・堺市のホテルで、死後約一週間がたった男性の遺体が見つかりました。
(3) 犯人の発砲を受けて、警察の特殊部隊が応戦し、銃撃戦となった。犯人は射殺されたが人質も9人が死亡した。
(4) 地元メディアによると、車には4人が乗っていたということです。

 これらの例でも明らかなように、私がメモを取った限りでは、「数量表現+格助詞」の用例は人数と時間に集中している。つまり上に例として出したような文では、まだ「5枚を買いました」や「5000円がある!」などと言い換えられてはいない。それでも名詞に数量を続けて「切符5枚を買いました」ならよく聞くし、英仏語に似た形容詞的な用法である「三匹の子豚」や「七人の侍」なども既に定着した語彙である。こうしたことを考えると、今後さらに時間が経てば、人数と時間以外のモノに関しても、「数量表現の形容詞的用法や名詞化」が進む可能性はありそうだ。
 
 さて、今月、数量の問題を取り上げたきっかけは、キャンディーズのスーちゃんこと、田中好子さんのお葬式である。ついこの間、4月21日に乳がんで亡くなったスーちゃんは、ファンに向けてのメッセージを亡くなる直前に吹き込んで用意してくれていた。そのメッセージが弱々しい声で葬儀場に流れる。

 「こんにちは、田中好子です。きょうは3月29日、東日本大震災から2週間たちました。被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような...、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。わたしも、一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません…」

 死ぬ直前に被災者のことを思いやる優しさに心が揺さぶられるが、それと同時に、次の一点で大いに憤りを覚えた。スーちゃんは「2週間たちました」と正しく言ってるのに、私が見たFNNの字幕では「2週間がたちました」と「が」が加えられ、副詞の「2週間」は名詞に変えられていたのだ。スーちゃんが病床で何度も推敲したに違いないメッセージを、簡単に変えてしまうマスコミの不遜さ。これではスーちゃんが浮かばれない。人生最後の、魂を振り絞ったような言葉を勝手に「校正」する権利など、誰にもない筈だ。(2011年6月)


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