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「日本国憲法」は自衛隊を「合憲」とはしていない

2017-05-13 23:27:02 | 日本国憲法
まずは「日本国憲法」の前文からご覧ください。

>日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

→その上で第九条を見る必要があります。

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

さて九条第一項は、まず「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と述べ、戦争放棄の動機を表明した上で

国権の発動たる戦争

武力による威嚇

武力の行使

を「放棄している」わけです。

「国権の発動たる戦争」というのは要するに

宣戦布告または最後通牒などによって戦意が表明され、戦時国際法の適用を受けるものを指します。

「武力による威嚇」とは、武力を背景にして自国の主張を相手に強要することで、いわゆる恫喝外交も含まれる、と考えられます。

また「武力の行使」について言うと、これは宣戦布告なしに行われる事実上の戦争のことであり、先の大戦以前の我が国においては「事変」がこれにあたります。

九条第一項において、少なくとも以上三つは「放棄されている」事が前提となります。

さて、ここでいわゆる「芦田修正」が出てきます。

「芦田修正」によって日本の自衛権(国軍の保持と交戦権)は保証された、という考え方です。

>ケーディス氏は八一年に現在産経新聞記者の古森義久氏に次のように話している。「芦田氏はその修正案によって二つのことを果たそうと意図していたようです。

第一には、日本がもし国連に加盟したあかつきには国連の平和維持軍に日本も参加、貢献できることを可能にしておこうと考えていた。

第二には(中略)、日本はなお自国防衛の権利は有しているのだということを明確にしておこうとした、と私は思いました。とくに、この自衛権については、私はそう言われなくても日本に固有の自衛権があることは考えていましたから、すぐにその修正には反対はない、と答えたのです」

(西修 『よくわかる平成憲法講座』P82より)

連合国極東委員会も芦田修正の意味を正しくとらえています。

だからこそ極東委員会は、GHQのマッカーサー元帥に「シビリアン条項」を憲法に入れるよう要請したわけです。

なのでGHQは吉田首相に修正を申し入れており、これが「日本国憲法」第66条2項になったわけです。

さて、この「芦田修正」により「日本国憲法」第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が挿入されました。
これによって自衛戦争のためや国連軍や多国籍軍また国連の平和維持活動のためであれば、軍隊(戦力)と交戦権を持てることになった、というのが「政府解釈」でもあります。

これは成り立つでしょうか ?

まず自衛権についてですが

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9

>自衛権(じえいけん)とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利[1]であり、自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利である[2]。国内法上の正当防衛権に対比されることもあるが[3]、社会的条件の違いから国内法上の正当防衛権と自衛権が完全に対応しているわけでもない[4]。他国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を集団的自衛権といい、自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利である個別的自衛権と区別する[5][6]。

というのが定義になります。

また国連憲章第51条において個別的自衛権は認められています。

なので「日本国憲法」においても、このような自衛権まで放棄していない、と考えられますが、それに伴う自衛のための「戦力」が認められるかどうかは別問題です。

たとえば軍隊と警察力の違いについてですが、まず軍隊の目的は外国に対して国土を防衛することにあります。
(もちろんそれだけではありませんが、いまは話を単純化しています)

それに対して警察力は国内の治安維持と確保に、その目的がおかれます。

また、それぞれの目的にふさわしい実力内容が求められます。

つまり軍隊の定義としては

組織体の名称は何であれ、その人員、編成方法、装備、訓練、予算などの面から判断して、外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的に見合った内容の実力部隊

となります。

この解釈を一貫させていけば現状の自衛隊は、どう考えても九条第二項の「戦力」に該当します。

さて第9条の解釈としては大別して三種類あります。

峻別不能説(一項全面放棄説)
すべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるものであり、憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言はなんらの留保たり得ない。
(侵略戦争と自衛戦争との峻別は事実上不可能)

憲法9条第1項の規定によって全ての戦争が禁じられており、憲法9条第2項の「前項の目的を達するため」とは憲法9条第1項全体の指導精神を受けて全ての戦争放棄という目的を実効化するためであるとみる説

遂行不能説(二項全面放棄説)
9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言はパリ不戦条約などに準拠の上、侵略戦争の放棄を意味すると解釈すべきであるが、第2項の「前項の目的を達するため」は、第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するという文言、及びその全体の趣旨を戦力不保持の動機として示したものである。

「戦力の不保持・交戦権の否認」によって戦争の遂行が困難となるため、結果的にすべての戦争が放棄されているとみる説

第1項でまず侵略戦争の放棄を明らかにし、その上で第2項でこの目的を達するための手段として一切の戦力の不保持と交戦権の否認をとったものであり、その結果として事実上すべての戦争が放棄されたものとみるわけです。

限定放棄説(自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)
9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言は侵略戦争を放棄したものと解し、第2項の「前項の目的を達するため」は侵略戦争放棄という目的を達成するための戦力不保持の条件を示したものであるから自衛戦争は許容されているとみる説

なお政府見解は限定放棄説となります。

ただし言うまでもありませんが、侵略戦争と自衛戦争との峻別は事実上不可能であり限定放棄説を取る場合には侵略戦争の定義を明確にする必要があります。

また 「戦力の不保持・交戦権の否認」について、自衛隊は戦力ではないとするなら戦力の定義を明確にする必要があります。

実際上はどちらも不可能であり、ゆえに拡大解釈で対応してきたのがこれまでの実態です。

なお第9条についてはマニフェスト(努力目標)説(少数意見)もありますが、近代法における憲法というのは本来「国家権力を縛り、国民を護る」という意味を持っていることから考えると、それ自体が矛盾であるように思います。

言うまでもなくマニフェスト(努力目標)説では国家権力を縛ることにはなりません。

また自衛隊が「合憲」であるかについては、実は判例があります。

長沼ナイキ事件

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B2%BC%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

第一審判決
札幌地方裁判所(裁判長・福島重雄)は1973年9月7日、「自衛隊は憲法第9条が禁ずる陸海空軍に該当し違憲である」とし「世界の各国はいずれも自国の防衛のために軍備を保有するのであって、単に自国の防衛のために必要であるという理由では、それが軍隊ないし戦力であることを否定する根拠にはならない」とする初の違憲判決で原告・住民側の請求を認めた。「保安林解除の目的が憲法に違反する場合、森林法第26条にいう『公益上の理由』にはあたらない」ため「保安林の解除処分は取り消しを免れない」との理由から、主文で国有保安林の解除を取り消すと判示。保安林指定解除処分とナイキJの発射基地の設置により、有事の際には相手国の攻撃の第一目標になるため、憲法前文にいう「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)を侵害されるおそれがあるとし、原告の訴えの利益を認めた。平和的生存権については、「国民一人ひとりが平和のうちに生存し、かつその幸福を追求することができる権利」と明確に判示した。(札幌地判昭48・9・7、判時712・249)

これが

第二審判決
札幌高等裁判所は1976年8月5日、「住民側の訴えの利益(洪水の危険)は、防衛施設庁の代替施設建設(ダム)によって補填される」として、一審判決を覆し、原告の請求を棄却。また、自衛隊の違憲性について判決は、砂川事件と同様に「本来は裁判の対象となり得るが、高度に政治性のある国家行為は、極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査の範囲外にある」とする統治行為論を併記した。(札幌高判昭51・8・5、行裁例集27・8・1175)

最高裁判決
最高裁判所は1982年9月9日、行政処分に関して原告適格の観点から、原告住民に訴えの利益なしとして住民側の上告を棄却したが、二審が言及した自衛隊の違憲審査は回避した。(最一小判昭57・9・9、民集36・9・1679)

最高裁でも「自衛隊が合憲である」という判決はくだしていません。

「極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査の範囲外にある」とする統治行為論というのは、近代法における憲法が本来持つはずの「国家権力を縛り、国民を護る」という役割を、ある意味では否定する事になります。

繰り返します。

最高裁は「自衛隊が合憲である」という判決はくだしていません。

それが事実です。
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