浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

絵文字の言語学

2011-10-18 22:03:36 | 日記
こないだドッピオさんとかと旅行に行ったときにバーミヤンで酒飲みながら盛り上がった話。

(しかしさ、わざわざ山梨まで行って晩飯がバーミヤンってのもすごいね。個人的には最近ファミレス飲みを探求してるから楽しかったんだけど)

僕は仕事で学校に行くことも多くて、例えば生徒たちが手書きで書いた感想なんかを見ることもたまにある。

その時に「ああ、すごく特徴的だなぁ」と思うのは手書きの文なのに絵文字が入っているんだよね。

例えばこんな感じ。

『今日の授業はすごく楽しかったです(^o^)/~』

もちろん僕だってネットやメールにおいては絵文字を使うけど、なかなかまだ手書きの文にまでは入れたりしない。

あ、本当は絵文字と顔文字って違う文字だけど面倒なのでここでは二つあわせて絵文字、と言っておきます。

絵文字を使うことが当たり前になってしまった今の生徒たちに取っては何か感情を表現したいときに絵文字が無いと難しいんだろう。

これは日本語学においてもとても興味深い現象だと思う。

振り返ってみれば昔、日本語において「言文一致」という一大ムーブメントが起こった。そもそも日本語と言うのは書き言葉と話し言葉があってそこに大きな乖離があった。
その乖離を三遊亭円朝というのが落語界においてまず無くし、それを見ていた二葉亭四迷という作家が小説にも取り込んだことで日本語において書き言葉と話し言葉が一致し、書き言葉はほぼ滅んだ。この話するとすごく長くなるので割愛。

そのムーブメントと同じくらいのムーブメントが今、日本語に起こっているんじゃないかと個人的には思っている。

たぶん100年後くらいの日本語学者は「2010年頃、日本語において書き言葉とメール文を一致させた動きが起こった」なんて言っているんじゃないかと思うんだよね。

既にその動きは「中高生の手書き文」という局地ではあるものの確実に起こっている。

彼ら彼女ら、手書き文にも絵文字を入れる世代が育てば、その中から小説を書く人も出てくるだろう。そのうちの何人かは文の中に絵文字を入れるはずだと思う。

たぶん彼ら彼女らは絵文字で気持ちを表現することが当たり前になってしまっているので、絵文字がなければ「どうも言葉が足りない」とすら思うんじゃないかと思う。

それが一般的になれば、国語のテストで

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Q:この文に合う絵文字を以下の4つから選べ。
1(~o~) 2(ToT) 3(^-^)4(^m^)
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なんて問題が出てきてもおかしくない。

これ、僕けっこう本気で言ってます。

だって言文一致前の日本人は数十年後に話し言葉だけで書かれた小説が教科書に載るなんて想像していなかったはずなんです。ということは今の数十年後に、こんな問題が国語のテストに出るということだってありえない話じゃない。

絵文字と書き言葉の融合というムーブメントってそれを僕らが好んでいるかどうかなんてぜんぜん関係なく、今既に起こりつつあるムーブメントであると思っています。

この話、続きます。

次回は「男と女とメールと絵文字」

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