昭和音楽の風景

昭和の歌謡曲を通した若干の社会批判ないしは考察

山の吊橋の景色

2017-07-11 22:21:11 | 日記
           昭和歌謡の風景-20  
                   登校・下校
                               雁坂 透

            上高地から松本、新島々方面へ戻るバス路線に「学
           校前」と言う停留所がある。何とも大雑把な名前の付
           け方で、バスの中では「なんかおかしくねー、フツー
           バス停ってなんとか小学校前とかいうんじゃねー」
           「○○第二中学校前とかなー」と言う声も聞こえてくる。
           彼らの言う「普通」は都会の普通であろう。ある程度
           狭く限られた共同体の中では普通名詞が固有名詞の役
           割を果たすのである。限られた町内会の中で、「八百 
           屋さん」が職業を表す普通名詞でなく、町内会の成員
           にとって顔と人格を思い浮かべられる特定個人を指す
           ように。青梅線終点の奥多摩駅から雲取山登山口の鴨
           沢に行く途中に「病院前」と言うバス停があるが、こ
           れも事情は同じであろう。
            停留所名称もそうだが、この学校(小学校か中学校
           かいまだに知らない)が印象に残ったのは、それが見
           事なまでに集落の一番高い場所にあったことによる。
           永六輔が何かのラジオ番組でしゃべっていたが、「坂
           道を登って学校へ行くから登校なんです。坂道を下っ
           て学校から家へ帰るから下校なんです」という登下校
           と言う言葉の由来そのものの位置取り。それが全国統
           一の学校用語になったのだから例は多いのだろう。言
           われてみれば、親戚のある山梨の集落でも、行く機会
           の多い信州でも似たような景色にはよく出会った。あ
           るいはテレビ草創期の「おらあ、三太だ」や宮城まり
           子主演の分教場を舞台にしたドラマ(題名は忘れた)
           でも確かに学校は村の高台にあったようだ。中部地方
           の山がちな海なし3県(長野・岐阜・山梨)あたりで
           特に顕著なのだろうか。
            「学校は高台に」と言う発想はどのようにして生ま
           れたのだろうか。鉄砲水等の災害から子供及びその教
           育を守ろう、と言うものだろう。もちろん学校以外に
           ほとんど公共建築物のなかった明治時代、学校に対し
           て災害時の避難所の機能を持たそうという深謀もあっ
           たであろう。学校が避難所、これは今でもあまり変わ
           っていない。谷底にある建物では避難所にはならない。
           それにしても、どんな山奥の、どんなに小さな村落に
           も、たとえ分教場のような形ででも、とにかく学校を
           作らなければ気が済まない、と言う明治人のエネルギ
           ーには執念さえ感じる。資源小国日本にとっては、人
           こそが財産であり、教育こそが資源だという考えが本
           気だったということだろう。
            翻って、国立大学授業料をさんざん値上げした末に
           大学法人化を打ち出した教育政策の現状。大学を法人
           にして独立採算を目指すなどと言う発想がどこから出
           て来るのか、理解に苦しむ。企業と連携した産業技術
           に特化した研究で費用をねん出しようとでも言うのか。
           あるいは、付属の大学病院で製薬会社から新薬治験を
           請け負ってその代金を法人利益にでもするのか。法人
           化後の大学がどのような状況になっているか知らない
           のだが、一時期話題になった筑波ノイローゼを生んだ 
           ような、「素早く結果の出る研究を優先して研究成果
           報告を早く出せ」と言うような雰囲気が広がっている
           のだろうか。明治の指導者が教育に力を入れようとし
           たときに国立大学(当時は官立と言ったのか)の独立 
           採算など想像すらしなかっただろう。てっとり早く金
           になる知識だけを追い求めることを強制される学校の
           中に、教育も学問も成立するとは思えぬ。
            南アルプススーパー林道が工事されている頃だった
           か、「山奥の村」と言う概念・言葉が日本からなくな
           るのではないか、と言われた。道路さえ通じれば山奥
           の村も町までさほど遠くない、と言うことだろう。山
           奥の村の代表的風景は吊り橋。かつては村から町へ向
           かう出口がつり橋であったのだろう。春日八郎の「山 
           の吊橋」にはそのような風景が描かれている。現在、
           村から町への橋は、鉄筋コンクリートないしは鉄骨造
           の橋となって自動車通行を可能にしている。山奥の村
           は確かにまれになった。分教場が町の本校に合併され
           ていくことは致し方ないかもしれぬ。しかし、教育に
           エネルギーを費やした先人の心意気は顧みられるべき
           だ。目先の金に目がくらんだかのような教育の荒廃を
           克服するために。吊り橋も山の学校の景色も残ってい
           るが、それを支えた精神が瀕死の状態だ。
            春日八郎の「山の吊橋」は望郷歌謡に属さない。望
           郷歌謡には、東京に出た者が田舎に残した者を恋しが
           る、もしくは田舎に残った者が都に行った者を恋しが
           るというパターンが必須である。山の吊橋は2番でわ
           ずかに村娘の恋情を歌っているが、全体として村の風
           景そのものを主題にして完成度が高い。同時期に望郷
           歌謡は無数にあるが、田舎の景色をそのまま歌って優
           れた出来栄えを有している歌は案外少ない。三橋美智
           也の「いいもんだなあ故郷は」くらいか。それと並ぶ
           名曲と言っていい。
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