先週まで冬の風景だった庭は、ほんの一週間の暖かさで急に春になりました。
昨年の写真を見ると、四月の中旬はスプリング・エフェメラルの花盛りで、例年ならあちこちへ花を見に歩いている時期です。
今年は積雪が多かったため、山沿いには今も残雪があり、恒例の花見ポイントの時期が予想しづらくて、まだ出かけていません。
青森市浅虫の湯の島カタクリ祭りは、既に始まっていますが、今週末が見頃のようです。
春の花を、どこへ見に行くかが毎年春の始まりの楽しみで、春の花の次は巨木であったり滝であったり遺跡であったりと、毎年の計画でありながら見てみたいものは尽きません。
昨年の写真を見ると、四月の中旬はスプリング・エフェメラルの花盛りで、例年ならあちこちへ花を見に歩いている時期です。
今年は積雪が多かったため、山沿いには今も残雪があり、恒例の花見ポイントの時期が予想しづらくて、まだ出かけていません。
青森市浅虫の湯の島カタクリ祭りは、既に始まっていますが、今週末が見頃のようです。
春の花を、どこへ見に行くかが毎年春の始まりの楽しみで、春の花の次は巨木であったり滝であったり遺跡であったりと、毎年の計画でありながら見てみたいものは尽きません。
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進学のため長男を送り出す。
これから家を出て、自分の道に進む子供を見送るのは達成感と寂しさに溢れた春の風物とは言うものの、今まで毎日の弁当を作り、あれこれと気にかけていた状態から急に離れるのは、やはり先達の言うとおり寂しいものです。
保育所へはたった5年しか通ってないのに、永遠に続くかと思われるほど長かった。小学校はそれほどでもなくて、中学校は驚くほど短かった。高校はあっと言う間だった。
そんな話を知人から聞いたことがあって、当時中学生になったばかりの長男を思いながら「そうかもしれない」などと考えていましたが、今思えば確かにその通りだと感じます。
高校に入ってからの弁当作りも、ほんのわずかな間だけだったような気もします。
子供時代の我が子と過ごす時間は本当に短い。
子供を送り出す人は、今までも数多くいたわけで、自分がその立場になって初めて分かる事はまだまだたくさんあるのでしょうし、理屈では割り切れない感覚は、経験してみないと理解できないという新しい発見ではありました。
これから家を出て、自分の道に進む子供を見送るのは達成感と寂しさに溢れた春の風物とは言うものの、今まで毎日の弁当を作り、あれこれと気にかけていた状態から急に離れるのは、やはり先達の言うとおり寂しいものです。
保育所へはたった5年しか通ってないのに、永遠に続くかと思われるほど長かった。小学校はそれほどでもなくて、中学校は驚くほど短かった。高校はあっと言う間だった。
そんな話を知人から聞いたことがあって、当時中学生になったばかりの長男を思いながら「そうかもしれない」などと考えていましたが、今思えば確かにその通りだと感じます。
高校に入ってからの弁当作りも、ほんのわずかな間だけだったような気もします。
子供時代の我が子と過ごす時間は本当に短い。
子供を送り出す人は、今までも数多くいたわけで、自分がその立場になって初めて分かる事はまだまだたくさんあるのでしょうし、理屈では割り切れない感覚は、経験してみないと理解できないという新しい発見ではありました。
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小金山神社は菅江真澄が遊覧記で記述している神社です。
この神社に思い入れがあったのか、菅江真澄は小金山神社を複数回訪れていたと記憶しています。
仏教が日本に伝来してから、元々あった日本の宗教は仏教との融合を進めました。
これは日本古来の宗教の側からも、仏教の側からも双方が歩み寄る形で進んでいます。
複雑に融合しながら変容した信仰形態から、江戸時代には国学という形で日本古来の信仰の再認識が広まっていきます。
日本という国をその歴史から再認識するために、仏教以前の神道などが探求されていました。
菅江真澄も国学に傾倒していたとの説もあり、「菅江真澄遊覧記」には幣を手向ける記述がたびたび出てきます。
小金山神社の当時の神主も、国学を学んでいたのか、または神道に造詣が深かったのか。
同じ敷地には津軽三十三観音の二十四番札所である入内観音堂もあります。
菅江真澄の時代には、すでに観音堂もあったはずで、当時の国学は仏教を排除するような尖鋭さはなく、庶民の信仰心を受け入れる懐深さもあったのかと思いながら、昨年春にこの歴史ある神社を見学していました。
早春の花を、写真整理をしていて見つけただけだったのですが、写真を見ながら思い出すことも多い。そして何より春の花が待ち遠しくなりました。

津軽三十三観音マップ
この神社に思い入れがあったのか、菅江真澄は小金山神社を複数回訪れていたと記憶しています。
仏教が日本に伝来してから、元々あった日本の宗教は仏教との融合を進めました。
これは日本古来の宗教の側からも、仏教の側からも双方が歩み寄る形で進んでいます。
複雑に融合しながら変容した信仰形態から、江戸時代には国学という形で日本古来の信仰の再認識が広まっていきます。
日本という国をその歴史から再認識するために、仏教以前の神道などが探求されていました。
菅江真澄も国学に傾倒していたとの説もあり、「菅江真澄遊覧記」には幣を手向ける記述がたびたび出てきます。
小金山神社の当時の神主も、国学を学んでいたのか、または神道に造詣が深かったのか。
同じ敷地には津軽三十三観音の二十四番札所である入内観音堂もあります。
菅江真澄の時代には、すでに観音堂もあったはずで、当時の国学は仏教を排除するような尖鋭さはなく、庶民の信仰心を受け入れる懐深さもあったのかと思いながら、昨年春にこの歴史ある神社を見学していました。
早春の花を、写真整理をしていて見つけただけだったのですが、写真を見ながら思い出すことも多い。そして何より春の花が待ち遠しくなりました。

津軽三十三観音マップ
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食事をするなら美味しい物を。外食をするならその土地ならではの物を。
常々そう考えているので、できればチェーン店ではなく、地元の個人営業店の食堂を選ぶようにしています。
地場の食材を使って地元の方が作った料理は、土地の味覚そのものなのだと思っています。
八戸市でも海に近い場所にある、ラーメン三八。煮干しスープとシャモロックスープの二種類から選べるラーメン店です。
下の写真はシャモロックスープで、白濁した濃厚な美味しさでした。
煮干し出汁は八戸らしい味で、青森市の煮干し出汁とは、同じ煮干しでありながらはっきりと方向性の違った味です。
南部と津軽のラーメンの味の違いは、たとえば民謡の曲調の違いのように、元は同じ曲であっても津軽と南部それぞれの土地で引き継がれる間に全く別の曲に聴こえてしまうような、そんな地域性のエッセンスが私の知らない場所に隠れているからではないか、などと夢想しています。
「二つの美味しさ」の「二つ」は、こちらの二種類のラーメンスープの事ではありません。
同じ建物の隣にある干物店のスルメを買い求めて食べたところ、これがとても美味しい。
ごく普通の固いスルメと、イカの一夜干しとの中間のような、柔らかく海の香りがするスルメでした。
洗濯ピンチに吊るされた干物は、港町八戸の象徴的風景だと思いますし、私はこんな風景が大好きだったのですが、食べても美味しいというのは嬉しい発見でした。

常々そう考えているので、できればチェーン店ではなく、地元の個人営業店の食堂を選ぶようにしています。
地場の食材を使って地元の方が作った料理は、土地の味覚そのものなのだと思っています。
八戸市でも海に近い場所にある、ラーメン三八。煮干しスープとシャモロックスープの二種類から選べるラーメン店です。
下の写真はシャモロックスープで、白濁した濃厚な美味しさでした。
煮干し出汁は八戸らしい味で、青森市の煮干し出汁とは、同じ煮干しでありながらはっきりと方向性の違った味です。
南部と津軽のラーメンの味の違いは、たとえば民謡の曲調の違いのように、元は同じ曲であっても津軽と南部それぞれの土地で引き継がれる間に全く別の曲に聴こえてしまうような、そんな地域性のエッセンスが私の知らない場所に隠れているからではないか、などと夢想しています。
「二つの美味しさ」の「二つ」は、こちらの二種類のラーメンスープの事ではありません。
同じ建物の隣にある干物店のスルメを買い求めて食べたところ、これがとても美味しい。
ごく普通の固いスルメと、イカの一夜干しとの中間のような、柔らかく海の香りがするスルメでした。
洗濯ピンチに吊るされた干物は、港町八戸の象徴的風景だと思いますし、私はこんな風景が大好きだったのですが、食べても美味しいというのは嬉しい発見でした。
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若い頃に放浪していた時期があり、自ら選んだけれども不安定で不自由の多いそんな生活の中で、いかに楽しく生きるかを追い求めていました。
僻地に行くと生活スキルの非常に高い人が多く、他に何かの技術を持っていて、困ったときはそれぞれの得意な技術に頼り頼られて生活していました。
そんな人たちに共通していたのは、家財道具が少ないこと。
最低限の道具で生活を成り立たせるためには、道具を上手く利用する知恵や技術が必須でした。
たとえば料理をするにも、包丁・まな板・鍋があればたいがいの料理が出来てしまいます。食材の知識が豊富であればより美味しく作れるでしょう。
そのかわり道具を使いこなす技術や、臨機応変な発想や味覚や想像力など、身に付けるべきものも多い。
身軽に動き回れる自由さのため、多くの事をどん欲に吸収していた時期でしたが、今思えば若さゆえに自信を付けたかっただけなのかもしれないし、無鉄砲さが賞賛されるような時代の感覚が少しだけ残っていたのかもしれません。
今でも家財や道具をあまり持たずに生活することが憧れではあります。
ただ便利な機械が増えてきて、一度それに頼ってしまうと、せっかく身に付けたものが退化してしまいそうな気がして、なるべくなら不便な方へ進もうと努力しています。
最低限の持ち物だけで暮らしていけたら、それは精神として自由なのだと個人的には思います。
自分の家財に行動を制限されることなく生きられるような。
プラスチックの郵便受けが寿命を迎え、次は木製の物をと思って探したものの、希望する製品が見当たらず自作してみました。
初めての木工でしたが、それなりに使えるものが作れましたし、思っていた以上に楽しいものでした。
器用に何でも作っていた人が昔いたな、などと思い出しながら。
諦めなければ人は意外と色々な事が出来るものだ、などと考えながら。
僻地に行くと生活スキルの非常に高い人が多く、他に何かの技術を持っていて、困ったときはそれぞれの得意な技術に頼り頼られて生活していました。
そんな人たちに共通していたのは、家財道具が少ないこと。
最低限の道具で生活を成り立たせるためには、道具を上手く利用する知恵や技術が必須でした。
たとえば料理をするにも、包丁・まな板・鍋があればたいがいの料理が出来てしまいます。食材の知識が豊富であればより美味しく作れるでしょう。
そのかわり道具を使いこなす技術や、臨機応変な発想や味覚や想像力など、身に付けるべきものも多い。
身軽に動き回れる自由さのため、多くの事をどん欲に吸収していた時期でしたが、今思えば若さゆえに自信を付けたかっただけなのかもしれないし、無鉄砲さが賞賛されるような時代の感覚が少しだけ残っていたのかもしれません。
今でも家財や道具をあまり持たずに生活することが憧れではあります。
ただ便利な機械が増えてきて、一度それに頼ってしまうと、せっかく身に付けたものが退化してしまいそうな気がして、なるべくなら不便な方へ進もうと努力しています。
最低限の持ち物だけで暮らしていけたら、それは精神として自由なのだと個人的には思います。
自分の家財に行動を制限されることなく生きられるような。
プラスチックの郵便受けが寿命を迎え、次は木製の物をと思って探したものの、希望する製品が見当たらず自作してみました。
初めての木工でしたが、それなりに使えるものが作れましたし、思っていた以上に楽しいものでした。
器用に何でも作っていた人が昔いたな、などと思い出しながら。
諦めなければ人は意外と色々な事が出来るものだ、などと考えながら。
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小学生時代、通学路に大きな魚屋があって、ドジョウが泳ぐ樽や並べられている魚の数々は興味の対象でした。
何より店頭に置かれた優美なフォルムのガラス製ハエ取り器は、子供心に興味を激しく掻き立てられる存在で、美しさと不思議の詰まった生活用具でした。
まるで置物のような形を持ちながら、その中にハエがたくさん入っていき、入り口は大きいにもかかわらず何故か出てこれない。
よくハエ取り器の前にしゃがみ込んで、飽きることなくじっと見つめていた、そんな記憶があります。
店先にしゃがみ込んでいる小学生に対して文句も言わなかった魚屋の人は、ハエ取り器が捕まえるのはハエだけでなく、たぶん興味を持った何人かの小学生でもあることを知っていたのかもしれません。
子供が多くの興味を持ち、社会の周辺で多少の迷惑をかけるけれど、それによって成長したり子供時代の思い出を持ったりすることが当たり前な、そんな時代だったからなのかもしれません。
先日、古物商の店内でハエ取り器を見つけました。
突然小学生時代のそんな事などを思い出し、思わず写真を撮らせてもらいました。
昔ハエ取り器というものがあってね、と子供に説明しても、その形の優美さまでを言葉で説明するのは難しい。
本当は実物を持ってきて、ハエが捕れる様を子供とじっと見ていたいと思っていたのです。
何より店頭に置かれた優美なフォルムのガラス製ハエ取り器は、子供心に興味を激しく掻き立てられる存在で、美しさと不思議の詰まった生活用具でした。
まるで置物のような形を持ちながら、その中にハエがたくさん入っていき、入り口は大きいにもかかわらず何故か出てこれない。
よくハエ取り器の前にしゃがみ込んで、飽きることなくじっと見つめていた、そんな記憶があります。
店先にしゃがみ込んでいる小学生に対して文句も言わなかった魚屋の人は、ハエ取り器が捕まえるのはハエだけでなく、たぶん興味を持った何人かの小学生でもあることを知っていたのかもしれません。
子供が多くの興味を持ち、社会の周辺で多少の迷惑をかけるけれど、それによって成長したり子供時代の思い出を持ったりすることが当たり前な、そんな時代だったからなのかもしれません。
先日、古物商の店内でハエ取り器を見つけました。
突然小学生時代のそんな事などを思い出し、思わず写真を撮らせてもらいました。
昔ハエ取り器というものがあってね、と子供に説明しても、その形の優美さまでを言葉で説明するのは難しい。
本当は実物を持ってきて、ハエが捕れる様を子供とじっと見ていたいと思っていたのです。
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先日参加したセミナーで本題よりも感動したのが、自炊していた昼食の八朔を使ったサラダ。
八朔を剥いてくださいと言われ戸惑っていたところ、果肉の取り出し方を教えてもらいました。
外皮をむいて2つに割って袋の背に切り目を入れます。
背側から割って果肉をそぎ落とします。
これだけで果肉は簡単に取り出せます。
綺麗なミカン型の形でなくてもいいのであれば、下準備の時間は大きく短縮されるので、とても便利な方法です。
サラダには酸味が欠かせませんが、甘さが少なく酸味の高いハッサクは違和感なくサラダに溶け込みます。
味付けはプレーンヨーグルト・オリーブ油・酢またはレモン汁・塩コショウで。
使った野菜は、キャベツ・クレソン・アボガドでしたが、みず菜・レタス・トマトなど、なんでも使ってアレンジできますし、リンゴやバナナなどのフルーツもいいでしょう。
仕上げには節分で残ったピーナツを荒く刻んで和えましたが、胡麻・カシューナッツ・アーモンドなど、風味を足すナッツ類はなんでも使えます。
今の季節の旬であるハッサクと、噛んだ時に広がるナッツの風味が絶妙です。


八朔を剥いてくださいと言われ戸惑っていたところ、果肉の取り出し方を教えてもらいました。
外皮をむいて2つに割って袋の背に切り目を入れます。
背側から割って果肉をそぎ落とします。
これだけで果肉は簡単に取り出せます。
綺麗なミカン型の形でなくてもいいのであれば、下準備の時間は大きく短縮されるので、とても便利な方法です。
サラダには酸味が欠かせませんが、甘さが少なく酸味の高いハッサクは違和感なくサラダに溶け込みます。
味付けはプレーンヨーグルト・オリーブ油・酢またはレモン汁・塩コショウで。
使った野菜は、キャベツ・クレソン・アボガドでしたが、みず菜・レタス・トマトなど、なんでも使ってアレンジできますし、リンゴやバナナなどのフルーツもいいでしょう。
仕上げには節分で残ったピーナツを荒く刻んで和えましたが、胡麻・カシューナッツ・アーモンドなど、風味を足すナッツ類はなんでも使えます。
今の季節の旬であるハッサクと、噛んだ時に広がるナッツの風味が絶妙です。
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名久井岳の名刹である法光寺。
冬の季節にしか見られない雪の三重塔が見事でした。
南部糠部三十三観音の十九番は、法光寺三重塔の横にある御堂に収められていて、観音巡りをする方にはなじみある場所です。
今回はその観音堂と三重塔を後ろから見学したのですが、よく見る前からのアングルとはまた違った美しさがありました。
冬の季節にしか見られない雪の三重塔が見事でした。
南部糠部三十三観音の十九番は、法光寺三重塔の横にある御堂に収められていて、観音巡りをする方にはなじみある場所です。
今回はその観音堂と三重塔を後ろから見学したのですが、よく見る前からのアングルとはまた違った美しさがありました。
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階上巨木見学で一番の見どころは茨島のトチでした。
新緑も花の時期も素晴らしいと想像できますが、雪の季節もまた素晴らしい。
トチの木は奥入瀬渓流にも多く自生していますが、谷間に生える木はすうっと高く伸びて樹冠の上に花を咲かせるので、花を近くで見ることはできません。
日当たりの良いこの場所では、横に大きく枝を伸ばし、人の目線の高さで花を咲かせます。
トチの花は近くで見ると中々に美しい花で、葉が展開した後に咲く花のため、桜のように鑑賞されることが少ないのですが、もう少し注目されてもいいのではと思っています。
巨木の魅力は幹の大きさだけではなく、どのような場所でどんな樹勢で育っているかも大きなポイントと感じます。
藁葺屋根の立派な民家の庭先で、見事な枝ぶりを見せるこのトチは、写真の被写体としても最高の巨木でした。
茨島のトチ 青森県指定天然記念物
樹齢 推定850年
幹周 698cm
花の時期 5月下旬〜6月上旬頃

新緑も花の時期も素晴らしいと想像できますが、雪の季節もまた素晴らしい。
トチの木は奥入瀬渓流にも多く自生していますが、谷間に生える木はすうっと高く伸びて樹冠の上に花を咲かせるので、花を近くで見ることはできません。
日当たりの良いこの場所では、横に大きく枝を伸ばし、人の目線の高さで花を咲かせます。
トチの花は近くで見ると中々に美しい花で、葉が展開した後に咲く花のため、桜のように鑑賞されることが少ないのですが、もう少し注目されてもいいのではと思っています。
巨木の魅力は幹の大きさだけではなく、どのような場所でどんな樹勢で育っているかも大きなポイントと感じます。
藁葺屋根の立派な民家の庭先で、見事な枝ぶりを見せるこのトチは、写真の被写体としても最高の巨木でした。
茨島のトチ 青森県指定天然記念物
樹齢 推定850年
幹周 698cm
花の時期 5月下旬〜6月上旬頃

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柳沢家のアサダ
東北巨木調査研究会の巨木見学に参加してきました。
冬は落葉樹の葉が落ちて見通しが良くなり、葉のある季節には見られない巨樹の姿を見学できます。
樹木の魅力は、春の新緑であったり花咲く季節だったり、紅葉の美しさだったりと見どころは多いのですが、雪に覆われ枝ぶりを露わにする季節もまた美しいものです。
巨木の魅力は樹木の美しさだけではなく、長い年月の間、大切にされ、神と崇められ、人との関係を築いてきた歴史を想像する事にもあります。
木を守ってきた人から、子供の頃その木に登って遊んだ思い出などを聞くと、子供の頃の楽しい思い出と信仰心は深く関わっているのだと認識させられます。
楽しさとセットになった世代間伝承は、子供時代の懐かしい記憶として強く残り、そして次世代の子供達へと語り継がれていくのでしょう。
家庭内の伝承は意外と永い間語り継がれていくもので、子供の情動に訴えるか、楽しい思い出か、そんな事象に仕立て上げ語る大人の知恵が知識の伝承に役立っていたのだと感じることがあります。
震災の記憶を語り継ぐには、信仰心や子供心に訴える何かを使った方法が有効かもしれません。
巨木を見学しながら、伝承の力とか地域の信仰と宗教の関わり方など、色々な事を考えています。
でも、それはとても大きな内容になってしまうため、いつも考えはまとまりません。
平内のホウノキ
天当平のアカマツ

東北巨木調査研究会の巨木見学に参加してきました。
冬は落葉樹の葉が落ちて見通しが良くなり、葉のある季節には見られない巨樹の姿を見学できます。
樹木の魅力は、春の新緑であったり花咲く季節だったり、紅葉の美しさだったりと見どころは多いのですが、雪に覆われ枝ぶりを露わにする季節もまた美しいものです。
巨木の魅力は樹木の美しさだけではなく、長い年月の間、大切にされ、神と崇められ、人との関係を築いてきた歴史を想像する事にもあります。
木を守ってきた人から、子供の頃その木に登って遊んだ思い出などを聞くと、子供の頃の楽しい思い出と信仰心は深く関わっているのだと認識させられます。
楽しさとセットになった世代間伝承は、子供時代の懐かしい記憶として強く残り、そして次世代の子供達へと語り継がれていくのでしょう。
家庭内の伝承は意外と永い間語り継がれていくもので、子供の情動に訴えるか、楽しい思い出か、そんな事象に仕立て上げ語る大人の知恵が知識の伝承に役立っていたのだと感じることがあります。
震災の記憶を語り継ぐには、信仰心や子供心に訴える何かを使った方法が有効かもしれません。
巨木を見学しながら、伝承の力とか地域の信仰と宗教の関わり方など、色々な事を考えています。
でも、それはとても大きな内容になってしまうため、いつも考えはまとまりません。
平内のホウノキ
天当平のアカマツ

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巫病と言うものがあって、神の託宣を聞く人が、その力を得る前に罹る体調の変化を指しています。
青森県はイタコやゴミソ、オカミサンなど巫業に関わる人が現在もいて、そういった技能を身に付けた時の話を聞くことも多い。
そんな風土であるため、巫病らしき病の人がいればその人の経過に関心を持つ事も多くあり、巫業というのは神がかりをする本人と周囲の期待との間に生まれてくる職業とも言えるでしょう。
板柳にある赤倉神社は、赤倉沢で神になったといわれる明治時代に実在の人物を祭っている社です。
奥の院は岩木山の赤倉霊場にあり、板柳の赤倉神社は、その人の家の敷地に創建された神社で、今も信仰する人は多いと感じます。
明治時代の人物ですから古い社ではありませんが、信仰心がどのように醸成されたのか。また、この地方特有の信仰感覚を考える上で人々がどのように認識していたのかがよく分かる、そんな神社でもあります。
地域によって信仰の形は変わってきます。でもその違いこそが地域の特色を炙り出す指標のような物だったりします。
津軽という独特の文化を、このような信仰心から考えてみるのも興味深いものです。
「古い」というのは、実はとても大きな魅力の源泉だと確信しています。
新和村種市の対馬佐治兵術といふ人の兄が代わり者で山人になったといわれてゐる。十七、八歳のころから性質がボンヤリとなり、寒中でも白衣一枚で褌をしないで座って目をつむり、人が近寄っても他を向いて物も言わないといふ風で、いつ誰が言ったともなく、この人を神様と呼び、その父の手を経てこの神様から護符をもらうやうになった。しかし、心が進まぬ時は、いくら父から乞はれても与えてくれず、尚はげしく言われる時は日をつむったまま、座ってゐるところを探ってふれたものを手あたり次第にくれてやった。多くは節のある一、二寸のわら片であるが、そういふ時は神様のきげんが悪いから病人の看護に気をつけよと、その父が護符を乞ふ人々に注意してやるが、その病人は助かることはなかったといふ。(中略)
寒中でも、例の学衣で外出し、三十日間も家に帰らないこともあった。ある時、今日は遊びに行くぞといふので、父が握り飯二つを持たせてやったが、それっきり一ヶ月経ってもニケ月経っても帰らなかった。父も心配して村人に頼んで山を探したところ、岩木山の赤倉といふところに着物が、たった今脱いだやうに捨てられてあったので、父は帰宅する腹がないのだらうといって、そのまま引返した。
翌年、この家の苗代田の傍の平地の体み場に不思議にも清水が湧くやうになったが、地方の人は、これは神様の与へた水だといって崇め、眼を痛む人がこの清水で洗ふと治るといはれ、今はここにお堂も建ってゐる。
『津軽海峡夜話』―― 福士四郎、昭和一五年「種市の神様」

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青森県はイタコやゴミソ、オカミサンなど巫業に関わる人が現在もいて、そういった技能を身に付けた時の話を聞くことも多い。
そんな風土であるため、巫病らしき病の人がいればその人の経過に関心を持つ事も多くあり、巫業というのは神がかりをする本人と周囲の期待との間に生まれてくる職業とも言えるでしょう。
板柳にある赤倉神社は、赤倉沢で神になったといわれる明治時代に実在の人物を祭っている社です。
奥の院は岩木山の赤倉霊場にあり、板柳の赤倉神社は、その人の家の敷地に創建された神社で、今も信仰する人は多いと感じます。
明治時代の人物ですから古い社ではありませんが、信仰心がどのように醸成されたのか。また、この地方特有の信仰感覚を考える上で人々がどのように認識していたのかがよく分かる、そんな神社でもあります。
地域によって信仰の形は変わってきます。でもその違いこそが地域の特色を炙り出す指標のような物だったりします。
津軽という独特の文化を、このような信仰心から考えてみるのも興味深いものです。
「古い」というのは、実はとても大きな魅力の源泉だと確信しています。
新和村種市の対馬佐治兵術といふ人の兄が代わり者で山人になったといわれてゐる。十七、八歳のころから性質がボンヤリとなり、寒中でも白衣一枚で褌をしないで座って目をつむり、人が近寄っても他を向いて物も言わないといふ風で、いつ誰が言ったともなく、この人を神様と呼び、その父の手を経てこの神様から護符をもらうやうになった。しかし、心が進まぬ時は、いくら父から乞はれても与えてくれず、尚はげしく言われる時は日をつむったまま、座ってゐるところを探ってふれたものを手あたり次第にくれてやった。多くは節のある一、二寸のわら片であるが、そういふ時は神様のきげんが悪いから病人の看護に気をつけよと、その父が護符を乞ふ人々に注意してやるが、その病人は助かることはなかったといふ。(中略)
寒中でも、例の学衣で外出し、三十日間も家に帰らないこともあった。ある時、今日は遊びに行くぞといふので、父が握り飯二つを持たせてやったが、それっきり一ヶ月経ってもニケ月経っても帰らなかった。父も心配して村人に頼んで山を探したところ、岩木山の赤倉といふところに着物が、たった今脱いだやうに捨てられてあったので、父は帰宅する腹がないのだらうといって、そのまま引返した。
翌年、この家の苗代田の傍の平地の体み場に不思議にも清水が湧くやうになったが、地方の人は、これは神様の与へた水だといって崇め、眼を痛む人がこの清水で洗ふと治るといはれ、今はここにお堂も建ってゐる。
『津軽海峡夜話』―― 福士四郎、昭和一五年「種市の神様」

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単純な手作業をしている時には、不思議とよく考え事がまとまります。
夏なら草取りで、冬なら編み物なのですが、つい凝ったデザインにしてしまうと集中しすぎてその他の思考が出来なくなってしまいます。
それはそれで、思い悩んでいる時には気持ちを落ち着かせる効果があって良いものです。
編み物のデザインは目数の計算と組み立てがほとんどで、女性的な趣味の割に算数の要素が強く、エクセルを使ってなんとか図面を作れないかと四苦八苦していました。
北欧のニットのデザインは、津軽コギン刺しや南部菱刺しのデザインと似ています。
基本的にマス目に白黒をつけて作り出す模様なので、制約上似たものが出来上がるのでしょうが、雪に閉じ込められる冬の期間があるという風土が同じだからと考えるのも想像としては面白い。
雪に包まれた風景の季節に似たようなデザインを思いつくという、人の美的感覚と風土の関係性は、もしかしたらあるのかもしれないと感じる思い付きでした。
そんな青森のデザインを使ったニット・パターンを作るのも楽しそうだと考えています。
旧小牧温泉内の小川原湖民俗博物館に収蔵されている刺子作品が、三沢市先人記念館で公開されそうだとのニュースがあり、ぜひ見に行こうと思っています。
青森屋が三沢市に「さしこ」寄贈
(本文)三沢市の星野リゾート青森屋(旧古牧温泉)を運営する三沢奥入瀬観光は25日、国の重要有形民俗文化財「南部のさしこ仕事着」64点を市に寄贈した。青森屋内にあった64点はもともと「小川原湖民俗博物館」が所蔵していた。2007年4月に同館が閉鎖されたことにより、管理が困難になっていたという。市は当面、市先人記念館で保管し、展示に向けた準備を進める。
夏なら草取りで、冬なら編み物なのですが、つい凝ったデザインにしてしまうと集中しすぎてその他の思考が出来なくなってしまいます。
それはそれで、思い悩んでいる時には気持ちを落ち着かせる効果があって良いものです。
編み物のデザインは目数の計算と組み立てがほとんどで、女性的な趣味の割に算数の要素が強く、エクセルを使ってなんとか図面を作れないかと四苦八苦していました。
北欧のニットのデザインは、津軽コギン刺しや南部菱刺しのデザインと似ています。
基本的にマス目に白黒をつけて作り出す模様なので、制約上似たものが出来上がるのでしょうが、雪に閉じ込められる冬の期間があるという風土が同じだからと考えるのも想像としては面白い。
雪に包まれた風景の季節に似たようなデザインを思いつくという、人の美的感覚と風土の関係性は、もしかしたらあるのかもしれないと感じる思い付きでした。
そんな青森のデザインを使ったニット・パターンを作るのも楽しそうだと考えています。
旧小牧温泉内の小川原湖民俗博物館に収蔵されている刺子作品が、三沢市先人記念館で公開されそうだとのニュースがあり、ぜひ見に行こうと思っています。
青森屋が三沢市に「さしこ」寄贈
(本文)三沢市の星野リゾート青森屋(旧古牧温泉)を運営する三沢奥入瀬観光は25日、国の重要有形民俗文化財「南部のさしこ仕事着」64点を市に寄贈した。青森屋内にあった64点はもともと「小川原湖民俗博物館」が所蔵していた。2007年4月に同館が閉鎖されたことにより、管理が困難になっていたという。市は当面、市先人記念館で保管し、展示に向けた準備を進める。
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小正月も過ぎ、各種の正月行事もほぼ終わりました。
鏡餅やしめ飾り、初詣など、何がしかの正月行事を行っている人は多いと思います。
日本人は無宗教とよく言われますが、正月やお盆は地方においては今でも大きな行事ですし、何もしない場合でも意識はすることでしょう。
オウム真理教の事件から特に、「宗教は怖い」と考えられるようになったと感じます。もちろん私もそんな感覚を持つようになりました。
わが家には仏壇も神棚もありませんし、節目の行事もささやかに行うだけで、無宗教と言えば言えるのですが、完全に全部を取りやめると決意できるほど無宗教を自覚的に志向しているわけではありません。
三頭木を調べていくにあたって、民間信仰に関する書籍を読む機会が増えました。
明治維新後に、国家神道を普及させるための民間宗教の整理・統合と禁止の際に、庚申塔や山の神、賽の神など、伝承がはっきりせずに村の神社にまとめられた石碑もたくさんあると知りました。
道端に建てられている石碑などは、教義や伝承などと関わりなく信仰されていた存在でした。
これらの民間信仰につきものだったのが「講」の存在です。
現在でも百万遍塔の前で念仏数珠をたぐる風習は残っている地方も多いのですが、講は地縁に限らず血縁であったり知人による集まりであったりと、人間関係を複数化する働きがあったと思われます。
この「講」は相互扶助的な側面があり、経済に限らず困ったときの相談相手の幅を広くしていたとも考えられます。
現代でも人間関係の複線化の重要性はよく言われていますが、人間関係の構築は何もない所から作り上げるのは難しいものです。
人づてに何かの信仰に関わり、定期的な集会に参加し帰属性を育てるのは、行政によるセーフティネットのない時代には不可欠のものだったのかもしれません。
「村八分」など閉鎖的な社会と思われている地方の実情は、民間信仰によって複雑な人間関係を作り上げていたのかもしれません。
人間関係の構築という点で、現代にも通じる知恵なのだと感じています。
一概に宗教は怖い物とも言えませんし、取捨選択する目を養いながら、宗教にコミットすることも必要なのかもと思うようになりました。
鏡餅やしめ飾り、初詣など、何がしかの正月行事を行っている人は多いと思います。
日本人は無宗教とよく言われますが、正月やお盆は地方においては今でも大きな行事ですし、何もしない場合でも意識はすることでしょう。
オウム真理教の事件から特に、「宗教は怖い」と考えられるようになったと感じます。もちろん私もそんな感覚を持つようになりました。
わが家には仏壇も神棚もありませんし、節目の行事もささやかに行うだけで、無宗教と言えば言えるのですが、完全に全部を取りやめると決意できるほど無宗教を自覚的に志向しているわけではありません。
三頭木を調べていくにあたって、民間信仰に関する書籍を読む機会が増えました。
明治維新後に、国家神道を普及させるための民間宗教の整理・統合と禁止の際に、庚申塔や山の神、賽の神など、伝承がはっきりせずに村の神社にまとめられた石碑もたくさんあると知りました。
道端に建てられている石碑などは、教義や伝承などと関わりなく信仰されていた存在でした。
これらの民間信仰につきものだったのが「講」の存在です。
現在でも百万遍塔の前で念仏数珠をたぐる風習は残っている地方も多いのですが、講は地縁に限らず血縁であったり知人による集まりであったりと、人間関係を複数化する働きがあったと思われます。
この「講」は相互扶助的な側面があり、経済に限らず困ったときの相談相手の幅を広くしていたとも考えられます。
現代でも人間関係の複線化の重要性はよく言われていますが、人間関係の構築は何もない所から作り上げるのは難しいものです。
人づてに何かの信仰に関わり、定期的な集会に参加し帰属性を育てるのは、行政によるセーフティネットのない時代には不可欠のものだったのかもしれません。
「村八分」など閉鎖的な社会と思われている地方の実情は、民間信仰によって複雑な人間関係を作り上げていたのかもしれません。
人間関係の構築という点で、現代にも通じる知恵なのだと感じています。
一概に宗教は怖い物とも言えませんし、取捨選択する目を養いながら、宗教にコミットすることも必要なのかもと思うようになりました。
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ブログを書き始めて3年になりました。
最近は更新も少ない状態ですが、いつもご訪問いただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
最近は読書に明け暮れていまして、三頭木に関するあれこれを調べています。
裾野が広く不明な点も多いため、妥当な解に到達してはいませんが、引き続きこの言い伝えを探っていこうと思っています。
三つ又の木の言い伝えや関連書籍をご存じでしたら、御一報いただけると大変助かります。
最近は更新も少ない状態ですが、いつもご訪問いただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
最近は読書に明け暮れていまして、三頭木に関するあれこれを調べています。
裾野が広く不明な点も多いため、妥当な解に到達してはいませんが、引き続きこの言い伝えを探っていこうと思っています。
三つ又の木の言い伝えや関連書籍をご存じでしたら、御一報いただけると大変助かります。
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