小学生時代、通学路に大きな魚屋があって、ドジョウが泳ぐ樽や並べられている魚の数々は興味の対象でした。
何より店頭に置かれた優美なフォルムのガラス製ハエ取り器は、子供心に興味を激しく掻き立てられる存在で、美しさと不思議の詰まった生活用具でした。
まるで置物のような形を持ちながら、その中にハエがたくさん入っていき、入り口は大きいにもかかわらず何故か出てこれない。
よくハエ取り器の前にしゃがみ込んで、飽きることなくじっと見つめていた、そんな記憶があります。
店先にしゃがみ込んでいる小学生に対して文句も言わなかった魚屋の人は、ハエ取り器が捕まえるのはハエだけでなく、たぶん興味を持った何人かの小学生でもあることを知っていたのかもしれません。
子供が多くの興味を持ち、社会の周辺で多少の迷惑をかけるけれど、それによって成長したり子供時代の思い出を持ったりすることが当たり前な、そんな時代だったからなのかもしれません。
先日、古物商の店内でハエ取り器を見つけました。
突然小学生時代のそんな事などを思い出し、思わず写真を撮らせてもらいました。
昔ハエ取り器というものがあってね、と子供に説明しても、その形の優美さまでを言葉で説明するのは難しい。
本当は実物を持ってきて、ハエが捕れる様を子供とじっと見ていたいと思っていたのです。
何より店頭に置かれた優美なフォルムのガラス製ハエ取り器は、子供心に興味を激しく掻き立てられる存在で、美しさと不思議の詰まった生活用具でした。
まるで置物のような形を持ちながら、その中にハエがたくさん入っていき、入り口は大きいにもかかわらず何故か出てこれない。
よくハエ取り器の前にしゃがみ込んで、飽きることなくじっと見つめていた、そんな記憶があります。
店先にしゃがみ込んでいる小学生に対して文句も言わなかった魚屋の人は、ハエ取り器が捕まえるのはハエだけでなく、たぶん興味を持った何人かの小学生でもあることを知っていたのかもしれません。
子供が多くの興味を持ち、社会の周辺で多少の迷惑をかけるけれど、それによって成長したり子供時代の思い出を持ったりすることが当たり前な、そんな時代だったからなのかもしれません。
先日、古物商の店内でハエ取り器を見つけました。
突然小学生時代のそんな事などを思い出し、思わず写真を撮らせてもらいました。
昔ハエ取り器というものがあってね、と子供に説明しても、その形の優美さまでを言葉で説明するのは難しい。
本当は実物を持ってきて、ハエが捕れる様を子供とじっと見ていたいと思っていたのです。
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先日参加したセミナーで本題よりも感動したのが、自炊していた昼食の八朔を使ったサラダ。
八朔を剥いてくださいと言われ戸惑っていたところ、果肉の取り出し方を教えてもらいました。
外皮をむいて2つに割って袋の背に切り目を入れます。
背側から割って果肉をそぎ落とします。
これだけで果肉は簡単に取り出せます。
綺麗なミカン型の形でなくてもいいのであれば、下準備の時間は大きく短縮されるので、とても便利な方法です。
サラダには酸味が欠かせませんが、甘さが少なく酸味の高いハッサクは違和感なくサラダに溶け込みます。
味付けはプレーンヨーグルト・オリーブ油・酢またはレモン汁・塩コショウで。
使った野菜は、キャベツ・クレソン・アボガドでしたが、みず菜・レタス・トマトなど、なんでも使ってアレンジできますし、リンゴやバナナなどのフルーツもいいでしょう。
仕上げには節分で残ったピーナツを荒く刻んで和えましたが、胡麻・カシューナッツ・アーモンドなど、風味を足すナッツ類はなんでも使えます。
今の季節の旬であるハッサクと、噛んだ時に広がるナッツの風味が絶妙です。


八朔を剥いてくださいと言われ戸惑っていたところ、果肉の取り出し方を教えてもらいました。
外皮をむいて2つに割って袋の背に切り目を入れます。
背側から割って果肉をそぎ落とします。
これだけで果肉は簡単に取り出せます。
綺麗なミカン型の形でなくてもいいのであれば、下準備の時間は大きく短縮されるので、とても便利な方法です。
サラダには酸味が欠かせませんが、甘さが少なく酸味の高いハッサクは違和感なくサラダに溶け込みます。
味付けはプレーンヨーグルト・オリーブ油・酢またはレモン汁・塩コショウで。
使った野菜は、キャベツ・クレソン・アボガドでしたが、みず菜・レタス・トマトなど、なんでも使ってアレンジできますし、リンゴやバナナなどのフルーツもいいでしょう。
仕上げには節分で残ったピーナツを荒く刻んで和えましたが、胡麻・カシューナッツ・アーモンドなど、風味を足すナッツ類はなんでも使えます。
今の季節の旬であるハッサクと、噛んだ時に広がるナッツの風味が絶妙です。
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名久井岳の名刹である法光寺。
冬の季節にしか見られない雪の三重塔が見事でした。
南部糠部三十三観音の十九番は、法光寺三重塔の横にある御堂に収められていて、観音巡りをする方にはなじみある場所です。
今回はその観音堂と三重塔を後ろから見学したのですが、よく見る前からのアングルとはまた違った美しさがありました。
冬の季節にしか見られない雪の三重塔が見事でした。
南部糠部三十三観音の十九番は、法光寺三重塔の横にある御堂に収められていて、観音巡りをする方にはなじみある場所です。
今回はその観音堂と三重塔を後ろから見学したのですが、よく見る前からのアングルとはまた違った美しさがありました。
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階上巨木見学で一番の見どころは茨島のトチでした。
新緑も花の時期も素晴らしいと想像できますが、雪の季節もまた素晴らしい。
トチの木は奥入瀬渓流にも多く自生していますが、谷間に生える木はすうっと高く伸びて樹冠の上に花を咲かせるので、花を近くで見ることはできません。
日当たりの良いこの場所では、横に大きく枝を伸ばし、人の目線の高さで花を咲かせます。
トチの花は近くで見ると中々に美しい花で、葉が展開した後に咲く花のため、桜のように鑑賞されることが少ないのですが、もう少し注目されてもいいのではと思っています。
巨木の魅力は幹の大きさだけではなく、どのような場所でどんな樹勢で育っているかも大きなポイントと感じます。
藁葺屋根の立派な民家の庭先で、見事な枝ぶりを見せるこのトチは、写真の被写体としても最高の巨木でした。
茨島のトチ 青森県指定天然記念物
樹齢 推定850年
幹周 698cm
花の時期 5月下旬〜6月上旬頃

新緑も花の時期も素晴らしいと想像できますが、雪の季節もまた素晴らしい。
トチの木は奥入瀬渓流にも多く自生していますが、谷間に生える木はすうっと高く伸びて樹冠の上に花を咲かせるので、花を近くで見ることはできません。
日当たりの良いこの場所では、横に大きく枝を伸ばし、人の目線の高さで花を咲かせます。
トチの花は近くで見ると中々に美しい花で、葉が展開した後に咲く花のため、桜のように鑑賞されることが少ないのですが、もう少し注目されてもいいのではと思っています。
巨木の魅力は幹の大きさだけではなく、どのような場所でどんな樹勢で育っているかも大きなポイントと感じます。
藁葺屋根の立派な民家の庭先で、見事な枝ぶりを見せるこのトチは、写真の被写体としても最高の巨木でした。
茨島のトチ 青森県指定天然記念物
樹齢 推定850年
幹周 698cm
花の時期 5月下旬〜6月上旬頃

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柳沢家のアサダ
東北巨木調査研究会の巨木見学に参加してきました。
冬は落葉樹の葉が落ちて見通しが良くなり、葉のある季節には見られない巨樹の姿を見学できます。
樹木の魅力は、春の新緑であったり花咲く季節だったり、紅葉の美しさだったりと見どころは多いのですが、雪に覆われ枝ぶりを露わにする季節もまた美しいものです。
巨木の魅力は樹木の美しさだけではなく、長い年月の間、大切にされ、神と崇められ、人との関係を築いてきた歴史を想像する事にもあります。
木を守ってきた人から、子供の頃その木に登って遊んだ思い出などを聞くと、子供の頃の楽しい思い出と信仰心は深く関わっているのだと認識させられます。
楽しさとセットになった世代間伝承は、子供時代の懐かしい記憶として強く残り、そして次世代の子供達へと語り継がれていくのでしょう。
家庭内の伝承は意外と永い間語り継がれていくもので、子供の情動に訴えるか、楽しい思い出か、そんな事象に仕立て上げ語る大人の知恵が知識の伝承に役立っていたのだと感じることがあります。
震災の記憶を語り継ぐには、信仰心や子供心に訴える何かを使った方法が有効かもしれません。
巨木を見学しながら、伝承の力とか地域の信仰と宗教の関わり方など、色々な事を考えています。
でも、それはとても大きな内容になってしまうため、いつも考えはまとまりません。
平内のホウノキ
天当平のアカマツ

東北巨木調査研究会の巨木見学に参加してきました。
冬は落葉樹の葉が落ちて見通しが良くなり、葉のある季節には見られない巨樹の姿を見学できます。
樹木の魅力は、春の新緑であったり花咲く季節だったり、紅葉の美しさだったりと見どころは多いのですが、雪に覆われ枝ぶりを露わにする季節もまた美しいものです。
巨木の魅力は樹木の美しさだけではなく、長い年月の間、大切にされ、神と崇められ、人との関係を築いてきた歴史を想像する事にもあります。
木を守ってきた人から、子供の頃その木に登って遊んだ思い出などを聞くと、子供の頃の楽しい思い出と信仰心は深く関わっているのだと認識させられます。
楽しさとセットになった世代間伝承は、子供時代の懐かしい記憶として強く残り、そして次世代の子供達へと語り継がれていくのでしょう。
家庭内の伝承は意外と永い間語り継がれていくもので、子供の情動に訴えるか、楽しい思い出か、そんな事象に仕立て上げ語る大人の知恵が知識の伝承に役立っていたのだと感じることがあります。
震災の記憶を語り継ぐには、信仰心や子供心に訴える何かを使った方法が有効かもしれません。
巨木を見学しながら、伝承の力とか地域の信仰と宗教の関わり方など、色々な事を考えています。
でも、それはとても大きな内容になってしまうため、いつも考えはまとまりません。
平内のホウノキ
天当平のアカマツ

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巫病と言うものがあって、神の託宣を聞く人が、その力を得る前に罹る体調の変化を指しています。
青森県はイタコやゴミソ、オカミサンなど巫業に関わる人が現在もいて、そういった技能を身に付けた時の話を聞くことも多い。
そんな風土であるため、巫病らしき病の人がいればその人の経過に関心を持つ事も多くあり、巫業というのは神がかりをする本人と周囲の期待との間に生まれてくる職業とも言えるでしょう。
板柳にある赤倉神社は、赤倉沢で神になったといわれる明治時代に実在の人物を祭っている社です。
奥の院は岩木山の赤倉霊場にあり、板柳の赤倉神社は、その人の家の敷地に創建された神社で、今も信仰する人は多いと感じます。
明治時代の人物ですから古い社ではありませんが、信仰心がどのように醸成されたのか。また、この地方特有の信仰感覚を考える上で人々がどのように認識していたのかがよく分かる、そんな神社でもあります。
地域によって信仰の形は変わってきます。でもその違いこそが地域の特色を炙り出す指標のような物だったりします。
津軽という独特の文化を、このような信仰心から考えてみるのも興味深いものです。
「古い」というのは、実はとても大きな魅力の源泉だと確信しています。
新和村種市の対馬佐治兵術といふ人の兄が代わり者で山人になったといわれてゐる。十七、八歳のころから性質がボンヤリとなり、寒中でも白衣一枚で褌をしないで座って目をつむり、人が近寄っても他を向いて物も言わないといふ風で、いつ誰が言ったともなく、この人を神様と呼び、その父の手を経てこの神様から護符をもらうやうになった。しかし、心が進まぬ時は、いくら父から乞はれても与えてくれず、尚はげしく言われる時は日をつむったまま、座ってゐるところを探ってふれたものを手あたり次第にくれてやった。多くは節のある一、二寸のわら片であるが、そういふ時は神様のきげんが悪いから病人の看護に気をつけよと、その父が護符を乞ふ人々に注意してやるが、その病人は助かることはなかったといふ。(中略)
寒中でも、例の学衣で外出し、三十日間も家に帰らないこともあった。ある時、今日は遊びに行くぞといふので、父が握り飯二つを持たせてやったが、それっきり一ヶ月経ってもニケ月経っても帰らなかった。父も心配して村人に頼んで山を探したところ、岩木山の赤倉といふところに着物が、たった今脱いだやうに捨てられてあったので、父は帰宅する腹がないのだらうといって、そのまま引返した。
翌年、この家の苗代田の傍の平地の体み場に不思議にも清水が湧くやうになったが、地方の人は、これは神様の与へた水だといって崇め、眼を痛む人がこの清水で洗ふと治るといはれ、今はここにお堂も建ってゐる。
『津軽海峡夜話』―― 福士四郎、昭和一五年「種市の神様」

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青森県はイタコやゴミソ、オカミサンなど巫業に関わる人が現在もいて、そういった技能を身に付けた時の話を聞くことも多い。
そんな風土であるため、巫病らしき病の人がいればその人の経過に関心を持つ事も多くあり、巫業というのは神がかりをする本人と周囲の期待との間に生まれてくる職業とも言えるでしょう。
板柳にある赤倉神社は、赤倉沢で神になったといわれる明治時代に実在の人物を祭っている社です。
奥の院は岩木山の赤倉霊場にあり、板柳の赤倉神社は、その人の家の敷地に創建された神社で、今も信仰する人は多いと感じます。
明治時代の人物ですから古い社ではありませんが、信仰心がどのように醸成されたのか。また、この地方特有の信仰感覚を考える上で人々がどのように認識していたのかがよく分かる、そんな神社でもあります。
地域によって信仰の形は変わってきます。でもその違いこそが地域の特色を炙り出す指標のような物だったりします。
津軽という独特の文化を、このような信仰心から考えてみるのも興味深いものです。
「古い」というのは、実はとても大きな魅力の源泉だと確信しています。
新和村種市の対馬佐治兵術といふ人の兄が代わり者で山人になったといわれてゐる。十七、八歳のころから性質がボンヤリとなり、寒中でも白衣一枚で褌をしないで座って目をつむり、人が近寄っても他を向いて物も言わないといふ風で、いつ誰が言ったともなく、この人を神様と呼び、その父の手を経てこの神様から護符をもらうやうになった。しかし、心が進まぬ時は、いくら父から乞はれても与えてくれず、尚はげしく言われる時は日をつむったまま、座ってゐるところを探ってふれたものを手あたり次第にくれてやった。多くは節のある一、二寸のわら片であるが、そういふ時は神様のきげんが悪いから病人の看護に気をつけよと、その父が護符を乞ふ人々に注意してやるが、その病人は助かることはなかったといふ。(中略)
寒中でも、例の学衣で外出し、三十日間も家に帰らないこともあった。ある時、今日は遊びに行くぞといふので、父が握り飯二つを持たせてやったが、それっきり一ヶ月経ってもニケ月経っても帰らなかった。父も心配して村人に頼んで山を探したところ、岩木山の赤倉といふところに着物が、たった今脱いだやうに捨てられてあったので、父は帰宅する腹がないのだらうといって、そのまま引返した。
翌年、この家の苗代田の傍の平地の体み場に不思議にも清水が湧くやうになったが、地方の人は、これは神様の与へた水だといって崇め、眼を痛む人がこの清水で洗ふと治るといはれ、今はここにお堂も建ってゐる。
『津軽海峡夜話』―― 福士四郎、昭和一五年「種市の神様」

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単純な手作業をしている時には、不思議とよく考え事がまとまります。
夏なら草取りで、冬なら編み物なのですが、つい凝ったデザインにしてしまうと集中しすぎてその他の思考が出来なくなってしまいます。
それはそれで、思い悩んでいる時には気持ちを落ち着かせる効果があって良いものです。
編み物のデザインは目数の計算と組み立てがほとんどで、女性的な趣味の割に算数の要素が強く、エクセルを使ってなんとか図面を作れないかと四苦八苦していました。
北欧のニットのデザインは、津軽コギン刺しや南部菱刺しのデザインと似ています。
基本的にマス目に白黒をつけて作り出す模様なので、制約上似たものが出来上がるのでしょうが、雪に閉じ込められる冬の期間があるという風土が同じだからと考えるのも想像としては面白い。
雪に包まれた風景の季節に似たようなデザインを思いつくという、人の美的感覚と風土の関係性は、もしかしたらあるのかもしれないと感じる思い付きでした。
そんな青森のデザインを使ったニット・パターンを作るのも楽しそうだと考えています。
旧小牧温泉内の小川原湖民俗博物館に収蔵されている刺子作品が、三沢市先人記念館で公開されそうだとのニュースがあり、ぜひ見に行こうと思っています。
青森屋が三沢市に「さしこ」寄贈
(本文)三沢市の星野リゾート青森屋(旧古牧温泉)を運営する三沢奥入瀬観光は25日、国の重要有形民俗文化財「南部のさしこ仕事着」64点を市に寄贈した。青森屋内にあった64点はもともと「小川原湖民俗博物館」が所蔵していた。2007年4月に同館が閉鎖されたことにより、管理が困難になっていたという。市は当面、市先人記念館で保管し、展示に向けた準備を進める。
夏なら草取りで、冬なら編み物なのですが、つい凝ったデザインにしてしまうと集中しすぎてその他の思考が出来なくなってしまいます。
それはそれで、思い悩んでいる時には気持ちを落ち着かせる効果があって良いものです。
編み物のデザインは目数の計算と組み立てがほとんどで、女性的な趣味の割に算数の要素が強く、エクセルを使ってなんとか図面を作れないかと四苦八苦していました。
北欧のニットのデザインは、津軽コギン刺しや南部菱刺しのデザインと似ています。
基本的にマス目に白黒をつけて作り出す模様なので、制約上似たものが出来上がるのでしょうが、雪に閉じ込められる冬の期間があるという風土が同じだからと考えるのも想像としては面白い。
雪に包まれた風景の季節に似たようなデザインを思いつくという、人の美的感覚と風土の関係性は、もしかしたらあるのかもしれないと感じる思い付きでした。
そんな青森のデザインを使ったニット・パターンを作るのも楽しそうだと考えています。
旧小牧温泉内の小川原湖民俗博物館に収蔵されている刺子作品が、三沢市先人記念館で公開されそうだとのニュースがあり、ぜひ見に行こうと思っています。
青森屋が三沢市に「さしこ」寄贈
(本文)三沢市の星野リゾート青森屋(旧古牧温泉)を運営する三沢奥入瀬観光は25日、国の重要有形民俗文化財「南部のさしこ仕事着」64点を市に寄贈した。青森屋内にあった64点はもともと「小川原湖民俗博物館」が所蔵していた。2007年4月に同館が閉鎖されたことにより、管理が困難になっていたという。市は当面、市先人記念館で保管し、展示に向けた準備を進める。
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小正月も過ぎ、各種の正月行事もほぼ終わりました。
鏡餅やしめ飾り、初詣など、何がしかの正月行事を行っている人は多いと思います。
日本人は無宗教とよく言われますが、正月やお盆は地方においては今でも大きな行事ですし、何もしない場合でも意識はすることでしょう。
オウム真理教の事件から特に、「宗教は怖い」と考えられるようになったと感じます。もちろん私もそんな感覚を持つようになりました。
わが家には仏壇も神棚もありませんし、節目の行事もささやかに行うだけで、無宗教と言えば言えるのですが、完全に全部を取りやめると決意できるほど無宗教を自覚的に志向しているわけではありません。
三頭木を調べていくにあたって、民間信仰に関する書籍を読む機会が増えました。
明治維新後に、国家神道を普及させるための民間宗教の整理・統合と禁止の際に、庚申塔や山の神、賽の神など、伝承がはっきりせずに村の神社にまとめられた石碑もたくさんあると知りました。
道端に建てられている石碑などは、教義や伝承などと関わりなく信仰されていた存在でした。
これらの民間信仰につきものだったのが「講」の存在です。
現在でも百万遍塔の前で念仏数珠をたぐる風習は残っている地方も多いのですが、講は地縁に限らず血縁であったり知人による集まりであったりと、人間関係を複数化する働きがあったと思われます。
この「講」は相互扶助的な側面があり、経済に限らず困ったときの相談相手の幅を広くしていたとも考えられます。
現代でも人間関係の複線化の重要性はよく言われていますが、人間関係の構築は何もない所から作り上げるのは難しいものです。
人づてに何かの信仰に関わり、定期的な集会に参加し帰属性を育てるのは、行政によるセーフティネットのない時代には不可欠のものだったのかもしれません。
「村八分」など閉鎖的な社会と思われている地方の実情は、民間信仰によって複雑な人間関係を作り上げていたのかもしれません。
人間関係の構築という点で、現代にも通じる知恵なのだと感じています。
一概に宗教は怖い物とも言えませんし、取捨選択する目を養いながら、宗教にコミットすることも必要なのかもと思うようになりました。
鏡餅やしめ飾り、初詣など、何がしかの正月行事を行っている人は多いと思います。
日本人は無宗教とよく言われますが、正月やお盆は地方においては今でも大きな行事ですし、何もしない場合でも意識はすることでしょう。
オウム真理教の事件から特に、「宗教は怖い」と考えられるようになったと感じます。もちろん私もそんな感覚を持つようになりました。
わが家には仏壇も神棚もありませんし、節目の行事もささやかに行うだけで、無宗教と言えば言えるのですが、完全に全部を取りやめると決意できるほど無宗教を自覚的に志向しているわけではありません。
三頭木を調べていくにあたって、民間信仰に関する書籍を読む機会が増えました。
明治維新後に、国家神道を普及させるための民間宗教の整理・統合と禁止の際に、庚申塔や山の神、賽の神など、伝承がはっきりせずに村の神社にまとめられた石碑もたくさんあると知りました。
道端に建てられている石碑などは、教義や伝承などと関わりなく信仰されていた存在でした。
これらの民間信仰につきものだったのが「講」の存在です。
現在でも百万遍塔の前で念仏数珠をたぐる風習は残っている地方も多いのですが、講は地縁に限らず血縁であったり知人による集まりであったりと、人間関係を複数化する働きがあったと思われます。
この「講」は相互扶助的な側面があり、経済に限らず困ったときの相談相手の幅を広くしていたとも考えられます。
現代でも人間関係の複線化の重要性はよく言われていますが、人間関係の構築は何もない所から作り上げるのは難しいものです。
人づてに何かの信仰に関わり、定期的な集会に参加し帰属性を育てるのは、行政によるセーフティネットのない時代には不可欠のものだったのかもしれません。
「村八分」など閉鎖的な社会と思われている地方の実情は、民間信仰によって複雑な人間関係を作り上げていたのかもしれません。
人間関係の構築という点で、現代にも通じる知恵なのだと感じています。
一概に宗教は怖い物とも言えませんし、取捨選択する目を養いながら、宗教にコミットすることも必要なのかもと思うようになりました。
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ブログを書き始めて3年になりました。
最近は更新も少ない状態ですが、いつもご訪問いただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
最近は読書に明け暮れていまして、三頭木に関するあれこれを調べています。
裾野が広く不明な点も多いため、妥当な解に到達してはいませんが、引き続きこの言い伝えを探っていこうと思っています。
三つ又の木の言い伝えや関連書籍をご存じでしたら、御一報いただけると大変助かります。
最近は更新も少ない状態ですが、いつもご訪問いただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
最近は読書に明け暮れていまして、三頭木に関するあれこれを調べています。
裾野が広く不明な点も多いため、妥当な解に到達してはいませんが、引き続きこの言い伝えを探っていこうと思っています。
三つ又の木の言い伝えや関連書籍をご存じでしたら、御一報いただけると大変助かります。
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気が付けば、もう大晦日で今年も終わる。
来年に持ち越しの宿題ばかりで、反省よりも情けなさの多い一年でした。
年の瀬には、温泉でゆっくりと一年の垢を落とす方も多いでしょう。
「ゆっくりと」に重点を置くなら、姉戸川温泉が一番だと思っています。
単純アルカリ泉らしき温泉ですが、微かに硫黄臭もあり、粘度も感じられるほどの泉質ですが、なんといっても湯温が低いので長湯が出来る。
温泉はぬるい方が好みです。
のぼせずに、ゆっくり浸かる楽しみがあるから。
温泉に薬効があるなら、長く浸かっていた方が効き目があるようにも思いますし、重さを感じるほどのツルツル感とあいまって、きっと何かの不調に効くはずだと思えてしまいました。
少なくとも気持ちの上では良く効く温泉です。
姉戸川温泉
東北町大浦中久根下98-3
入湯料 大人 200円
来年に持ち越しの宿題ばかりで、反省よりも情けなさの多い一年でした。
年の瀬には、温泉でゆっくりと一年の垢を落とす方も多いでしょう。
「ゆっくりと」に重点を置くなら、姉戸川温泉が一番だと思っています。
単純アルカリ泉らしき温泉ですが、微かに硫黄臭もあり、粘度も感じられるほどの泉質ですが、なんといっても湯温が低いので長湯が出来る。
温泉はぬるい方が好みです。
のぼせずに、ゆっくり浸かる楽しみがあるから。
温泉に薬効があるなら、長く浸かっていた方が効き目があるようにも思いますし、重さを感じるほどのツルツル感とあいまって、きっと何かの不調に効くはずだと思えてしまいました。
少なくとも気持ちの上では良く効く温泉です。
姉戸川温泉
東北町大浦中久根下98-3
入湯料 大人 200円
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自分は古いものが好きだと、ずっと思っていました。
真新しい輝きが失せて、年月の彩色が為された色々な生活道具や建物にこそ魅力は宿るのだと。
大掃除はいつもの掃除とは違って、拭き掃除に重点を置いていますが、特に水回りの金属部分を磨き上げるのが恒例です。
人間の目は不思議な事に、目に付く物を見て、それ以外にはあまり視線を向けない事があります。
台所のシンク周りやトイレの配管など、金属部分が綺麗に磨かれていると、周囲の経年の汚れよりも目立つために実際よりも新しく綺麗に見えたりします。
水垢や油汚れを落とした金属の輝き方は、なにか人の心のどこかに作用するものなのか。
鏡や刃物の輝きは、遠い昔から人の心を捉えていたからなのでしょうか。
それとも、ひとつの文化における特徴的な好みなのか。
大掃除は暖かい季節にする方が理にかなっていると思いながらも、なぜか年末になるとやらなければいけない気持ちになる大掃除でした。
真新しい輝きが失せて、年月の彩色が為された色々な生活道具や建物にこそ魅力は宿るのだと。
大掃除はいつもの掃除とは違って、拭き掃除に重点を置いていますが、特に水回りの金属部分を磨き上げるのが恒例です。
人間の目は不思議な事に、目に付く物を見て、それ以外にはあまり視線を向けない事があります。
台所のシンク周りやトイレの配管など、金属部分が綺麗に磨かれていると、周囲の経年の汚れよりも目立つために実際よりも新しく綺麗に見えたりします。
水垢や油汚れを落とした金属の輝き方は、なにか人の心のどこかに作用するものなのか。
鏡や刃物の輝きは、遠い昔から人の心を捉えていたからなのでしょうか。
それとも、ひとつの文化における特徴的な好みなのか。
大掃除は暖かい季節にする方が理にかなっていると思いながらも、なぜか年末になるとやらなければいけない気持ちになる大掃除でした。
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青森の方言と言えば津軽弁と南部弁、それと下北弁があるそうです。
独特のイントネーションの他に単語の違いもあって、慣れるまでは話の意味を理解するのに苦労しました。
その頃聞いた話で興味深かったのが「ヤマ」という言葉の持つ意味です。
「ヤマで山菜を採ってくる」のような場合、私はそれを「山」と理解していたのですが、詳しく聞いていくとその「ヤマ」は平地や丘も含んでいて、木の生えている林の意味に近かった。
関東生まれの自分にとって「山」はピークを持った高さのある山で、平地を「ヤマ」と呼ぶことに不思議な違和感を感じていました。
確かに木が生えていれば高く盛り上がって見える、などと自分の理解に引き寄せて考えていた記憶があります。
最近「森」の話を聞きました。
当地では苗字にもなっている「一ッ森」「二ッ森」。
大きな山の頂上から数えて一つ目の小さなピークを「一ッ森」、二つ目のピークを「二ッ森」と呼ぶとのこと。
山の中に「二ッ森」と呼ばれる場所があれば、そこから二つ目のピークが頂上と分かるのは実用的な名付け方と感心してしまいました。
「森」といえば高低に関係なく木の鬱蒼と生えている場所と認識していた自分にとって、小さなピークを表す「森」は意外でした。
「山」と「森」の言葉の意味が逆転しているかのようです。
近在でよく目にするのが山の神の祠です。
それは大体において集落のはずれの林の中に祭られている小さな祠で、御神体も無い場合が多い。
山の神は青森だけではなく全国に存在しますが、仏教とも神道とも違う信仰といわれています。
山の神ですから当然山岳信仰と同じものと思われていますが、山岳信仰は神格があると思われる高い山に対する信仰で、「山」が表わす意味が違えば、山の神は山岳信仰とイコールではなくなってしまいます。
少し前の大河ドラマで話題になった、兜に「愛」の字を掲げた武将がありましたが、あの「愛」は当然現代で理解されている愛とは違う意味があると知人と話し合ったことがあります。
当時の感覚で「愛」と掲げるとすれば、上杉謙信の「毘」と同じ様に愛染明王からとった一字ではないかと私は推測したのですが、信仰に根差した文字の意味は揺らぎの多いものの上、時代によって受け取り方が違うと感じたものです。
蛇足ながらその大河ドラマを見ていないので、どのような解説があったのかは今でも分かりません。
独特のイントネーションの他に単語の違いもあって、慣れるまでは話の意味を理解するのに苦労しました。
その頃聞いた話で興味深かったのが「ヤマ」という言葉の持つ意味です。
「ヤマで山菜を採ってくる」のような場合、私はそれを「山」と理解していたのですが、詳しく聞いていくとその「ヤマ」は平地や丘も含んでいて、木の生えている林の意味に近かった。
関東生まれの自分にとって「山」はピークを持った高さのある山で、平地を「ヤマ」と呼ぶことに不思議な違和感を感じていました。
確かに木が生えていれば高く盛り上がって見える、などと自分の理解に引き寄せて考えていた記憶があります。
最近「森」の話を聞きました。
当地では苗字にもなっている「一ッ森」「二ッ森」。
大きな山の頂上から数えて一つ目の小さなピークを「一ッ森」、二つ目のピークを「二ッ森」と呼ぶとのこと。
山の中に「二ッ森」と呼ばれる場所があれば、そこから二つ目のピークが頂上と分かるのは実用的な名付け方と感心してしまいました。
「森」といえば高低に関係なく木の鬱蒼と生えている場所と認識していた自分にとって、小さなピークを表す「森」は意外でした。
「山」と「森」の言葉の意味が逆転しているかのようです。
近在でよく目にするのが山の神の祠です。
それは大体において集落のはずれの林の中に祭られている小さな祠で、御神体も無い場合が多い。
山の神は青森だけではなく全国に存在しますが、仏教とも神道とも違う信仰といわれています。
山の神ですから当然山岳信仰と同じものと思われていますが、山岳信仰は神格があると思われる高い山に対する信仰で、「山」が表わす意味が違えば、山の神は山岳信仰とイコールではなくなってしまいます。
少し前の大河ドラマで話題になった、兜に「愛」の字を掲げた武将がありましたが、あの「愛」は当然現代で理解されている愛とは違う意味があると知人と話し合ったことがあります。
当時の感覚で「愛」と掲げるとすれば、上杉謙信の「毘」と同じ様に愛染明王からとった一字ではないかと私は推測したのですが、信仰に根差した文字の意味は揺らぎの多いものの上、時代によって受け取り方が違うと感じたものです。
蛇足ながらその大河ドラマを見ていないので、どのような解説があったのかは今でも分かりません。
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数日前にラーメンWalker青森を買ってきてから歯が痛い。
ラーメン本を眺めていると、なんとなく食欲が湧いてくるのに、実際に食事をすると歯痛のために味がよく分からなくなっています。
2012年版では実食した店も出ているし、まだ入った事のない店も。
「そうそう、ここは美味しかった」などと考えながら、今まで食べてきたラーメンの中で個人的なベストを考えてみました。
問題なく第一にマル海。自分にとっての青森の象徴とも言えるラーメンです。あくまで個人的に。
他は順不同で、倉内、原食堂、味の香園 尾上本店、ハルピン飯店(五戸)の酸辣湯麺、勢登寿司(八食センター)。
青森県内はこのところの寒さで道路も凍結して遠出ができなくなりました。
なぜできなくなった事ばかり考えてしまうのでしょうか。
歯が痛いのも普段は無い事で、痛くなった時になって食べる行為の大切さや、味わう事の楽しさを痛感しています。
できなくなってしまう事を想像しながら日々を大切にしなければと、こんな時に思います。
ラーメン本を眺めていると、なんとなく食欲が湧いてくるのに、実際に食事をすると歯痛のために味がよく分からなくなっています。
2012年版では実食した店も出ているし、まだ入った事のない店も。
「そうそう、ここは美味しかった」などと考えながら、今まで食べてきたラーメンの中で個人的なベストを考えてみました。
問題なく第一にマル海。自分にとっての青森の象徴とも言えるラーメンです。あくまで個人的に。
他は順不同で、倉内、原食堂、味の香園 尾上本店、ハルピン飯店(五戸)の酸辣湯麺、勢登寿司(八食センター)。
青森県内はこのところの寒さで道路も凍結して遠出ができなくなりました。
なぜできなくなった事ばかり考えてしまうのでしょうか。
歯が痛いのも普段は無い事で、痛くなった時になって食べる行為の大切さや、味わう事の楽しさを痛感しています。
できなくなってしまう事を想像しながら日々を大切にしなければと、こんな時に思います。
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田子町にある四角岳は青森・秋田・岩手の三県の県境が接する山です。
この山にあるシナノキの巨木見学に参加してきました。
東北巨木調査研究会の主催で新聞記事(田子・四角岳のシナノキが幹周で日本一)にもなっています。
山中にある巨木は案内が無ければ見ることができませんし、こういった機会を利用しない手はありません。
ただ日程が決まっている山行は天気が気になります。
相当な悪天や降雪では中止になるものの、多少の雨なら決行なので合羽は必需品になります。この日は天気予報では雨だったものの、この木に到着するまでは日も射して、巨木の美しい姿を見る事が出来ました。
シナノキといえば、先日見学してきた大川亮回顧展で展示されていた工芸品を思い出しました。
美しく編まれた籠や蓑はシナノキ(マダの木)の樹皮を薄く剥いでヨリを入れたものを材料にしています。
また岩木山のお山参詣で幟とともに掲げられる御幣も、昔はこの木から作られたとも。
山に住んでいた人々は樹木の種類を見分け、樹木の特性を生かした利用をしていました。そして利用するための技術や撚りのかけ方や加工法の知識も持っていたはずです。
そのような知識は今では失われようとしていますが、その土地にあるものを上手に利用して生きていた知恵の総合体は大きなものだったのだろうとも感じます。
それは生きるために必要な切実な知恵だったのでしょう。
現代の知識や技術は進歩したのかもしれませんが、長く培われてきた知恵と技術の総量もけして小さなものではなかったとも思います。

この山にあるシナノキの巨木見学に参加してきました。
東北巨木調査研究会の主催で新聞記事(田子・四角岳のシナノキが幹周で日本一)にもなっています。
山中にある巨木は案内が無ければ見ることができませんし、こういった機会を利用しない手はありません。
ただ日程が決まっている山行は天気が気になります。
相当な悪天や降雪では中止になるものの、多少の雨なら決行なので合羽は必需品になります。この日は天気予報では雨だったものの、この木に到着するまでは日も射して、巨木の美しい姿を見る事が出来ました。
シナノキといえば、先日見学してきた大川亮回顧展で展示されていた工芸品を思い出しました。
美しく編まれた籠や蓑はシナノキ(マダの木)の樹皮を薄く剥いでヨリを入れたものを材料にしています。
また岩木山のお山参詣で幟とともに掲げられる御幣も、昔はこの木から作られたとも。
山に住んでいた人々は樹木の種類を見分け、樹木の特性を生かした利用をしていました。そして利用するための技術や撚りのかけ方や加工法の知識も持っていたはずです。
そのような知識は今では失われようとしていますが、その土地にあるものを上手に利用して生きていた知恵の総合体は大きなものだったのだろうとも感じます。
それは生きるために必要な切実な知恵だったのでしょう。
現代の知識や技術は進歩したのかもしれませんが、長く培われてきた知恵と技術の総量もけして小さなものではなかったとも思います。

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開店日が月に一日だけ。
行ってみたいと思いつつも、なかなか機会が無かった田子町の水車(からうす)そば處に、偶然にも伺う事が出来ました。
この地区で採れた蕎麦を水車で粉にして地元の女性陣が打つという、一度は食べてみたかった蕎麦です。
玄関で靴を脱いで上がると十二畳ほどの畳の室内が客席です。
地元の方々が運営している素朴で暖かいサービスが、まるで親戚の家を訪問したような感覚になります。
蕎麦は極太の田舎蕎麦で、コシが強く香りも良い。
小さな厨房の隣では蕎麦を打つ小部屋があって、次々と蕎麦を打っていました。
洗練された蕎麦とはまた違った美味しさは、打ちたての蕎麦の味だからというより、その土地で収穫した食べ物はその土地で食べるから美味しいという理由なのかもしれません。
そしてその土地の調理法であることが、本当は重要なのかもしれないと考えていました。
田子町新田(しんでん)の蕎麦はこれなのだ、と。
周囲は刈り入れの終わったソバ畑で、ソバの花の時期には花畑の中に水車小屋の風景が見られるのでしょう。
この畑で採れた蕎麦を食べたという実感が、味に対する評価を上げているようにも思います。
水車そば處
営業日 毎月第三日曜日のみ営業 ただし八月は休み
場所 田子町遠瀬堺沢出口1-3

行ってみたいと思いつつも、なかなか機会が無かった田子町の水車(からうす)そば處に、偶然にも伺う事が出来ました。
この地区で採れた蕎麦を水車で粉にして地元の女性陣が打つという、一度は食べてみたかった蕎麦です。
玄関で靴を脱いで上がると十二畳ほどの畳の室内が客席です。
地元の方々が運営している素朴で暖かいサービスが、まるで親戚の家を訪問したような感覚になります。
蕎麦は極太の田舎蕎麦で、コシが強く香りも良い。
小さな厨房の隣では蕎麦を打つ小部屋があって、次々と蕎麦を打っていました。
洗練された蕎麦とはまた違った美味しさは、打ちたての蕎麦の味だからというより、その土地で収穫した食べ物はその土地で食べるから美味しいという理由なのかもしれません。
そしてその土地の調理法であることが、本当は重要なのかもしれないと考えていました。
田子町新田(しんでん)の蕎麦はこれなのだ、と。
周囲は刈り入れの終わったソバ畑で、ソバの花の時期には花畑の中に水車小屋の風景が見られるのでしょう。
この畑で採れた蕎麦を食べたという実感が、味に対する評価を上げているようにも思います。
水車そば處
営業日 毎月第三日曜日のみ営業 ただし八月は休み
場所 田子町遠瀬堺沢出口1-3

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