日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

第68世御法主日如上人猊下御指南(H29.3)

2017-04-05 | 日如上人御指南

 

平成29年3月度広布唱題会の砌

於 総本山客殿

(大日蓮 平成29年4月号 第854号 転載)

(大白法 平成29年3月16日 第953号 転載)


 本日は、三月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。

 本年「折伏育成の年」も既に三月に入り、皆様には本年度の折伏誓願達成のため、寸暇を惜しんで御奮闘のことと存じます。
 そもそも、折伏は末法の御本仏宗祖日蓮大聖人より賜った、私どもの大事な使命であります。また、我らの一生成仏にとって欠くべからざる、最も大事な仏道修行であります。 その折伏について、大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に、
「いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり』等云云。重罪消滅しがたし。弥利益の心尤も然るべきなり」(御書九〇六)
と仰せであります。
 すなわち、謗法の者に対して折伏を行じない者の罪は極めて重く、折伏を行じてその罪を免れるべきところを、ただ見ておいて、そのままにして謗法を誡めない者は「眼耳の二徳忽ちに破れて大無慈悲」であると厳しく仰せであります。
 「眼耳の二徳」とは、まさしく物事を見たり聞いたりする能力、さらにそうして得た知識・経験を言い、謗法を見聞して、呵責もせずにそのままにしておけば、眼と耳の徳を破ることになるとおっしゃっているのです。
 故に、章安大師は「慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり」と述べられて、慈悲もなく、折伏も行ぜず、詐り親しむ者の重罪は消滅することが困難であるから、もし謗ずる者があれば、これを誡めて慈悲の折伏を行じ、利益を被らしめてあげることが肝要であると仰せられているのであります。
 この御文を拝し、今、私どもは本年掲げた「折伏育成の年」の意義をよく噛みしめ、講中一結・異体同心して、折伏を行じていくことが肝要であります。
 と同時に、折伏した人の育成も、講中挙げて取り組んでいくことが大局的に見て極めて大事であります。
 そもそも育成とは、立派に育て上げるという意味でありますが、折伏しても育成を怠れば、折伏した意味も全くなくなってしまいます。広布達成のためには豊富な人材が必要であります。そのためには、折伏した人を広布の人材に育て上げていくことが極めて肝要でありまして、その責任は講中にあります。なぜなら、育成は講中挙げて取り組んでいかなければならない大事な課題であるからであります。
 されば、各講中ともに、折伏した人を未来広布を担う人材として一人前に育て上げることが、いかに大事であるかを認識せられ、折伏とともに、しっかりと育成に取り組んでいただきたいと思います。
 各講中のいよいよの発展と誓願の達成を心から願い、本日の挨拶といたします。

 

 

 

 

 

御法主日如上人猊下過去の御指南

 

日蓮正宗公式HP

http://www.nichirenshoshu.or.jp/

 

日蓮正宗教学研鑽所

http://ns-kenzansho.main.jp/

 

大日蓮出版

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青年僧侶邪義破折班

http://jagihashaku.main.jp/index.htm



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