日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

盂蘭盆会法要

2006-08-15 | 年中行事(末寺)

 「盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に、目連尊者と申して舎利弗にならびて智慧第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉懺師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。」(盂蘭盆御書一三七四㌻)

と大聖人様もおおせの通り、目連尊者が母を救おうとしたことが盂蘭盆のはじまりです。この盂蘭盆とは、倒懸という意味で、餓鬼道の飢えや渇きの苦しみが、あたかも、さかさに吊るされた苦しみに似ているところから、このようにいわれ、盆とは、それを救う器という意味です。

 昔、釈尊の十大弟子の中に目連尊者という智慧第一、神通第一といわれたお弟子がいました。この目連尊者は、幼ない時生母に死に別れたので、母のようすを知りたいものと、阿羅漢の悟りによって得た神通力をもって三千大千世界を見渡したところ、驚ろいたことに母の青提女は、死後、餓鬼道に堕ち、見るも無惨な姿で苦しんでいました。目連尊者は、早速、神通力をもって食物を送って母を救おうとしましたが、どうしたことか食物は火となって燃えあがり、それを消そうとして注いだ水も、かえって油となってますます燃えひろがり、火だるまになった母は、悲鳴をあげて泣き叫ぶのでした。自分の力ではどうすることもできないことを知った目連尊者は、いそいで釈尊のところへかけつけ、母を救う道を乞いました。釈尊の「百味の飲食を供え、十方の聖僧を招いて供養しなさい。そうすれば、母を餓鬼道から救いだすことができよう」との言葉に従い、目連尊者は、はじめて母を餓鬼道一劫の苦からのがれさせることができました。これが盂蘭盆会の起りとなったのです。

 釈尊の教えにしたがってようやく母親を餓鬼道から救い出すことができたものの、日蓮大聖人様が、
「目連尊者と申す人は法華経と申す経にて「正直捨方便」とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。故に法華経に云はく『我が願ひ既に満じて衆の望みも亦足りなん』云云。目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。」(盂蘭盆御書)とおおせの通り、真の成仏は目連尊者が、後に法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱えた時に、はじめて自分自身が多摩羅跋栴檀香仏という仏になり、その功徳によって、父母を成仏に導くことができたのです。そして、末法における法華経とは、御本仏日蓮大聖人のご当体である人法一箇の御本尊以外になく、この御本尊に、南無妙法蓮華経と唱えた時、御本尊様と一体となって成仏の境界を得るのであり、その功徳によって先祖も成仏ができるのです。さらには大聖人様が、
「目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給ふ。乃至代々の子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるヽのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云はく『願はくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』云云。」(盂蘭盆御書)とおおせのごとく、先祖の供養と同時に、自他共に妙法の功徳を及ぼすという心構えが大切なことであり、また、間違った教えで盂蘭盆会を行なっている人々に、本当の盂蘭盆の意義を示し、成仏に対する認識を改めさせ、爾前教の行事から真実本門の行事に引入し、さらに御本尊への結縁を深めていくという意味からも盂蘭盆会法要は大事な行事といえましょう。

 しかも、草木成仏の深い原理にもとづき、塔婆を立てて先祖に対する追善をいたし、塔婆に書写した妙法蓮華経の功徳をうけて、各精霊は霊山浄土に安住することができるのです。

 いずれにせよ、末法万年の闇を救う御本尊のもとに、まず自分自身の仏道を成就することを目指すことが肝要であり、その功徳を先祖に回向することこそ、真実の盂蘭盆会であり、末法今時においては、本宗だけが、正しい盂蘭盆会を行なっているといえるのです。

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