正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

寺院参詣には御念珠を忘れずに

2005-11-21 | 手引書③

 日蓮大聖人は『戒法門』に、
 「勢至菩薩経に云はく『平形の念珠を以(もち)ふる者は此は是外道の弟子なり、我が弟子に非ず。我が遺弟(ゆいてい)は必ず円形の念珠を用ゆべし。次第を超越する者は因果妄語の罪に依って当に地獄に堕すべし』云云。此等の文意を能く能く信ずべし。平たき念珠を持ちて虚事をすれば、三千大千世界の人の食を奪ふ罪なり。其の故は世間の人虚事をする故に、春夏秋冬たがひて世間の飢渇(けかち)是より起こり、人の病これより起こる。是偏(ひとえ)に妄語より始まれるなり。」(御書14)
と御教示であります。世間で蔓延している邪宗で使用する「平形の念珠」は外道の弟子であり、地獄に堕ちると釈尊が説かれた経文を引用され仰せであります。更に人の病や妄語という嘘も「平形の念珠」が悪業をなしています。
 日蓮正宗を信心するには、必ず「円形の念珠」を使用します。「円形の念珠」を使用するのは、私達の心の迷いである煩悩、百八つを珠として列ね、煩悩を菩提という悟りや智慧に転じるのであります。
 邪宗の「平形の念珠」は珠が百八つもなく少ないため、煩悩が心の中に残り成仏できません。そのために釈尊は「平形の念珠」では地獄に堕ちると説かれ、「平形の念珠」を使用しないように説いているのであります。
 寺院に参詣される際には、寺院で開眼供養された円形の御念珠を必ず持参しましょう。総本山第二十六世日寛上人は『六巻抄』の「当家三衣抄」に、
 「土宗の平形は大いに所表に違うなり。一百八箇は即ち百八煩悩を表するなり。数珠は須臾も身を離るべからず。故に『常自随身』と云うなり」(六巻抄225)
と御教示されています。「常自随身(じょうじずいしん)」と仰せのように日蓮正宗の信心では、常に御念珠を身に付けていることが理想であります。更にお守りの作用を成し、様々な悪縁を遠ざけます。そのため「常自随身」が大事です。
 御念珠は、仏様の如く取り扱い、御経本も一字一字が仏様でありますので、丁寧に扱うことが大事です。畳や床に直接置くことの無いよう、袱紗(ふくさ)や御念珠のケースの上に置きましょう。その一つ一つの作法が「所作仏事(しょさぶつじ)」となり、行体布教につながって折伏になり、仏様の振る舞いへと通じていきます。
 勤行唱題の際に、御念珠をしますが「禅定」という落ち着きと冷静さを意識し、体を動かさず不動を持つことが大切です。御念珠をし不動を持つ姿勢に、私達の心の迷いが煩悩即菩提されていき、成仏の境界へとつながります。
 御本尊様を信じるところ御念珠には、「常楽我浄(じょうらくがじょう)」という働きが具わります。御念珠に四つの小さい珠があります。これは上行菩薩等の四菩薩を現しており、四菩薩が「常楽我浄」を示しています。
 「常楽我浄」とは、仏様の境地や大乗の悟りに具わる四つの徳です。
「常徳」が、仏の境地・涅槃が永遠に不変不改であること。「楽徳」が、無上の安楽のこと。「我徳」が、自我の生命が自由自在で他から何の束縛も受けないこと。「浄徳」が、煩悩の汚れがない清浄な徳をいいます。
 御本尊様に御念珠をして御題目を唱えるところに「常楽我浄」の四徳が自然と具わるのであります。
 寺院参詣の際には、御念珠を必ず持参しましょう。そこに「常楽我浄」という四徳が命に具わります。