正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

像法時代とは

2005-11-21 | 手引書⑤

 日蓮大聖人は『撰時抄』に、
 「像法に入って一十五年と申せしに、仏法東に流れて漢土に入りにき。像法の前五百年の内、始めの一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論(じょうろん)していまだ事定まらず」(御書840)
と像法時代に入り、インドから漢土である中国に仏教が伝えられた様子を仰せです。『上行菩薩結要付囑口伝』に、
 「像法に入って四百余年あって、日本国へ百済国(くだらこく)より一切経並びに釈尊の木像僧尼等を渡す。梁(りょう)の末、陳(ちん)の始めに相当たる、日本国には神武天皇より第三十代欽明天皇の御宇(ぎょう)なり」(御書944)
と御教示のように、像法時代に入ってから四百年余りして、日本に仏教が渡ってきました。像法時代も正法時代のように一千年間続く時代です。像法時代も前半期と後半期に分かれ、はじめの五百年間を読誦多聞堅固(どくじゅたもんけんご)といい経典を読誦し、聴聞することが広く行なわれる時代です。
 次の五百年間が多造塔寺堅固(たぞうとうじけんご)といい寺院・仏塔の建立が広く行なわれる時代です。
 『三大秘法抄』に、
 「正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり。像法一千年には法華経の迹門機感相応せり。末法の始めの五百年には法華経の本門前後十三品を置きて、只寿量の一品を弘通すべき時なり。機法相応せり」(御書1594)
と御指南のように、像法時代は「法華経の前半十四品迹門」を修行するときです。正法時代に行われた小乗経や権大乗経という修行では御利益がありません。 
 像法時代が過ぎて、末法万年といわれる末法時代に入りますと、法華経の中でも「如来寿量品第十六」をもって修行するのであります。像法時代ではない、現代末法時代は法華経の「如来寿量品第十六」に隠された御題目の南無妙法蓮華経を修行するときであります。
 『南部六郎三郎殿御返事』に、
 「像法に入って五百年に天台大師漢土に出現して、南北の邪義を破失して正義を立てたまふ。所謂教門の五時・観門の一念三千是なり。国を挙げて小釈迦と号す。然りと雖も円定・円慧に於ては之を弘宣(ぐせん)して、円戒は未だ之を弘めず。仏滅後一千八百年に入って日本の伝教大師世に出現して、欽明より已来(このかた)二百余年の間六宗の邪義之を破失す。其の上天台の未だ弘めたまはざる円頓(えんどん)戒之を弘宣したまふ。所謂叡山円頓の大戒是なり」(御書683)
と仰せのように、像法時代の正しい御僧侶は、漢土である中国の天台大師と日本における伝教大師最澄です。法華経の迹門を用いて人々に幸せをもたらし、法華経の迹門を修行することで成仏したのであります。インドの釈尊が説かれた如く修行を実践され、末法に流布される三大秘法を恋い焦がれながら正法を流布した正師です。
 この時代、像法時代は真言宗の開祖空海も出現するときです。空海は、釈尊の遺言である法華経の教えに背き、中国から邪義邪説である「密教」を日本に伝えました。「密教」は釈尊の法華経に対抗するために後生の人師が、名聞名利のうえから作り上げた邪説です。法盗人化し中国で天台の一念三千を取り入れ、無知な人々を神秘的で幻想的な雰囲気に酔わせ、世の中に弘め出来上がった間違った仏教です。
 像法時代は、中国の天台大師・妙楽大師と日本の伝教大師が正師であり、法華経の迹門をもって修行をする時代であります。