正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

「一念に億劫の辛労を尽くせば」

2005-11-20 | 手引書⑫

 私達の信心は、「辛労」を尽くすところに、御本尊様から有り難い仏果を頂くことが出来ます。「辛労」を忘れ、怠慢な気持ちが根底にある似非信心では、当然、成仏に程遠いものがあります。
 「辛労」とは、ほねおり。苦労。辛苦。という意味があります。苦労をすることによって、幸せの実感が光り輝きます。端から見て幸せそうに見えても、本人には幸せという実感のない人には、反対に不幸であります。幸せとは、不幸という存在があって言えることであり、幸せと不幸の違いが理解できない生活には、充実感がなく空しい人生となります。
 『御義口伝』に、
 「一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々に起こるなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書1802)
と仰せであります。「辛労」とは、具体的に私達が生きていく上で、経験する四苦八苦などの辛い苦しみのことです。「無作三身」といわれる仏様の姿は、「辛労」を経験し、信心をして御題目を唱えるところに現れてくるのです。つまり「煩悩即菩提」や「生死即涅槃」といわれる意味がそこに存在します。
 人生の辛さを経験することで、堕落する気持ちや怠慢な命を封じ、危機感を生活のなかに持つことで、無駄を省き自然と充実していきます。「辛労」を味わうことで、普段眠っていた神経が発動し、境界を高めていきます。そこに成仏の因を積む要素があります。信心は、あらゆる人生に起こる「辛労」を善知識と考え、肥やしにし精神を鍛えていきます。 
 日蓮正宗の信心は、実際に人生の「辛労」を経験する前に、日々の勤行唱題のなかで、世の中の姿を我が身に置き換え見つめていきます。そこに「転重軽受」の法門があり、人生の重荷になる前、心の準備をし、軽く人生の「辛労」を経験して、生活を安穏に送っていくことが出来ます。
 その「辛労」の経験が、私達の信心修行の自行化他を、燃え上がらせる有り難い働きを成すのです。信心をしなければ、薪として燃え上がらせることが出来ず、御本尊様を信じない人には、人生の「辛労」が非常に辛いものと感じ、終いには生きる気力を失っていきます。
 信心は、生きる希望を御本尊様から頂き、生きる気力を気持ちに作り上げます。その方法が、日蓮正宗の修行である勤行唱題です。世の中にある「辛労」によって、失い欠けた気力を充電する時が、御本尊様に向かう勤行唱題となるのです。御題目を唱えて精進するところ、人生の「辛労」を成仏に必要な仏因へと変えていきます。
 「辛労」は、人情として避けたい気持ちが当然起こります。「辛労」を全く経験しない生き方は、人間の人格形成においてマイナスです。ある程度、私達の心に必要な要素です。この「辛労」を適度に感じるところ、私達の精神を向上させていき、信心では、この気持ちを忘れることなく、日々の修行で意識することが大事です。
 「辛労」は、私達の潜在能力を引き出させる作用を成します。辛く苦しい気持ちから解放されたいという思いが、普段使うことのなかった能力を使うことになり、精神が磨かれ、日蓮大聖人の御精神へと近づいていくことが出来るのであります。