絡新婦と野狐の寄り合い所

うおーん うおーん

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何事もなかったかのように復活

2008-01-06 00:13:57 | 雑記
長いこと音信不通、あるいは人前に出なかったりすると、本気であれ冗談であれ
「死亡説」とか出るわけであります。
パッと思いつくのは「志村けん死亡説」ですが、他にも「ポール・マッカートニー
死亡説」とかいろいろ。
前者の志村けんは露出が少なくなっていたことと、同じ読みの名前の人がたまたま
新聞のお悔やみ欄に載っていたことが原因のようで。
ポールの方は噂が噂を生んで世界中を巻き込んだ騒動で憶えている方も多いと
思いますが、何だか都市伝説を楽しむようなオカルトチックな死亡説で、有名な
噂を挙げると、アルバムのアビィロードのジャケットで横断歩道を渡っている
四人の中で唯一はだしのポールはすでに死んでいる(裸足は死者を表すらしい)、
というもの。
二人ともバリバリ生きてますが、死亡説ってのは要するに結果論であって、往々
にして本当に死んでたためしはない。

噂というか、何と云うか、人の言葉って怖いなと思ってしまいます。
誰が見ているかわからないので、言葉に注意しながら今年はスタンスを変えて
小出し小出しに行こうかと。



                                二か月死んだ 音子
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ぼく食べてないよ

2007-11-19 14:36:39 | 雑記
船場吉兆の取締役である湯木尚治氏が「涙の反論会見」を行ったわけでありますが
なんかもうギャグですな。コント見てるみたい。
あれです、口のまわりにアンコつけた子供が「ぼく食べてないよ」と親に云い訳
しているような感じ。
そもそも、云えば云うほど視聴者は白けるわけで、従業員のせいにして自分は
生き残るつもりなのが見え見えで。
でも、逆に弁明すればするほど自分が無能だと云っているわけで、世の中悪いこと
はなかなか出来ないなぁと思います。
世の中にはあまたの経営者はおりますが、いや、上司と呼ばれる人間がおりますが
優秀な上司と云うと滅多にいない。
と、ここで大東亜戦争における日米の将校、司令官を比較して、組織と人材起用術
について見てみようかと思いましたが、めんどくさいのでまた次回。



                            パートはそんなことしない 音子
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鍵穴

2007-11-14 23:58:49 | 雑記
世の中には運のいいヤツってのがいるわけで、宝くじが当たっただの、ひょんな
ことがキッカケで可愛い嫁さんゲットとか、そんな感じです。
私の友人にも妙に運のいいヤツがいて、それこそ些細なもんですがジャンプの
懸賞に当たったりとか、自分の買ったゲーム機のIDがいいIDでレアアイテム
出まくりとか、運がいいと云えば運がいい。
いっぽう運の悪いヤツってのも当然いて、ロシアンルーレットをすればたいてい
当たってしまう私なんかがそうです。

で、この厄介な「運」。
この運についていろいろ考えていた時があって、その時は「運とは数値」と
思い至りました。
生まれた瞬間に人間てのは運の数値、略してウンチが決まっていて、大小様々。
このウンチの数値によってその人の人生における運のよさが決まるという。
こんなふうに考えたわけです。

が、数値だとすれば、消費すると無くなるのは必然ですし、宝くじの一等が
当たったヤツがその後の人生運が悪いかと云えば必ずしもそうではない。
だとすると、数値というのはちょっと当てはまらない。

で、つらつら考えた末に出た結論というのが「運はカギ」ということです。
人間誰しも、運のカギというのを持っていて、その形状は十人十色。
いろんな場面に遭遇する時に、そのカギが合うか合わないかが判定される。
運のいいヤツというのは、カギの形状が非常にいろんな鍵穴にマッチしやすく、
いろんな場面でカチャリと開けてしまうというわけで。
運が悪い人はその逆。

つまるところ何が云いたいかというと、今、運が悪いなぁとか思っている人、
あなたの持っているカギは希少な鍵穴にしかハマらない特殊なカギです。
ありふれた小さな鍵穴にはハマらないので、滅多に合うことはありませんが、
決して嘆くことなかれ、いつの日かすんごい鍵穴に巡り合う時がやってきます。
なので、運が悪いと思っちゃいけない。
とてつもない可能性を持っているのであります。



                           半分自分へのおまじない 音子
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お前のキンタマの揉み心地は

2007-11-09 20:50:31 | 雑記
民主党の小沢さんが「辞める!」と云い出したかと思えば、「辞めるのやめた」
とか云っちゃうもんだから、日本全土が総ズッコケという国を挙げたコントを
やったわけです。
それで侃侃諤諤の討論が行われておるわけですが、これもまた茶番にすぎず、
政治家という賭場で生きる人種にとっては思想信条なんてのはあってないような
もので、多少は標榜する主張に違いはありますが、大なり小なりみんなキンタマ
握られているわけで。
今回の騒動?ってのもどうせキンタマの握り加減が変わってあたふたしていた
だけの話のような気がするわけです。

おカネ、キンタマ、キム何某……。

なんつーか、「金」まみれで身動き取れるわけもない。
お、パ「チンコ」なんてのもあったなコレェ。
下の世話を人任せにしておるので、アレコレとこんがらがる。もういいトシなん
だから、おとなしく土いじりかセガレいじりでもしてりゃあいいものを。
とはいえそんな中、素早くトンズラここうとした小沢さんはやっぱり嗅覚の鋭い人。
ある意味、天性の政治家だなぁと思うわけであります。



                             モロッコ行ってくる? 音子
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昨日の牛乳なんだけど、大丈夫ですかね?

2007-10-27 21:32:37 | 雑記
「セカイ系」という言葉があるそうです。
一般的に、アニメとか漫画とか、そういった創作物に対して使われるモノの
ようで、その解説文を読むと「きみとぼくとのその関係」とかいうらしい。
これだけだとよくわからんので、噛み砕いて説明すると、要するに主人公と
ヒロイン等の小さな関係性が世界に如実に影響を与えている作品のこと、とか。

例えば――ぼく(主人公)があの子(ヒロイン)をあと一週間で振り向かせる
ことが出来なければ世界の因果律が狂ってしまい、この世のすべての生命が
辿ってきた歴史そのものの確率がぐるんぐるんに変動してナンダカわかんない
けどもう大変!!

とかいう……ね。
主人公を取り巻く社会や地域なんてのをすっ飛ばして、世界の問題にしちゃって
るわけです。
セカイ系で有名な作品なんかは、敢えて狙ってるらしいですが、いろんな人が
作った物語が氾濫する昨今、自然とセカイ系になっているモノも珍しくないと
思うわけです。

で、話変わって今回のいわゆる「亀田問題」。
私なんかはどこが問題なんだ? とか思うわけで、それでもテレビをつければ
連日のように報道している。しまいには首相にインタビューしたりしている。
今の流れをチャートにすると、

亀田!! 亀田はゴイスー! byTBS
       ↓
亀田の家族は強い絆! 世界チャンピョンおめでとう! byTBS
       ↓
亀田1だけじゃない! その2も強いぜ! byTBS
       ↓
その2VS内藤! くたばれゴキブリ野郎! byTBS
       ↓
内藤!! 内藤は大人じゃ! じゃあの by竹原
       ↓
亀田をバッシング! モラルがないのか! byTBS

と、いうわけで、今は亀田バッシングになっています。
が、思うわけです。このままの流れでいくと次は「亀田同情論」が来る。
いや、もうきつつありますね。
ハッキリ云って、マスコミが「大衆VS亀田一家」という図式を作り上げ、
「もういいじゃないか」という落とし所を探している状況です。
でもマスコミは気づいてない。大衆とマスコミの温度差に。
金平会長が何度も謝罪会見をやろうとしましたが、そのたびに胡散臭さが増す。
大衆が別に謝れと云っているわけではないのに、まるで槍玉に挙げられたように
謝罪を繰り返すわけです。すると何故か今度は大衆が悪人にされるという。
つまり、これを狙っていた。

しかし、今は時代が悪かったわけで、ネットというモノがあります。
往々にして過去の歴史を語る上で、よく有名な人物を基点に話を展開しますが、
必ずその背景には多くの名もなき「大衆」がいました。
古くはカエサルがルビコンを越えた時も、彼の背中を押す大衆がいましたし、
風雲児の織田の信ちんだって、支持する大衆がいた。
ヒトラーは抜群のジェスチャーで大衆を引きつけ扇動し、戦時中の日本も大本営
発表でうまいこと大衆の世論を作っていたわけです。
でも今はネットがある。
それまではテレビが情報の王様でした。でも、ネットで繋がれた無数の人々が
それぞれ見解を述べることが可能になり、テレビの作る茶番劇に野次を飛ばす
ことが起こるようになったというわけで。
ある意味ね、革命ですよね。コレ。そりゃ現政権のテレビが焦るわけです。
今回の亀田騒動も、マスコミやらの思惑が透けて見えた。

さて、ここで話戻ってセカイ系。
無意識のうちにセカイ系の作品を作ってしまう人が増えた昨今。どうにも社会
感覚というか、地域の距離感といったモノが欠如しつつあるのだと思います。
つまりは、ああなればこうなる、というプロセスを知らないのであり、そこから
理論の飛躍が起こるわけです。
思春期やらのモノ思ふ年頃の子が、極端なモノに走りたがるのはそのため。

で、テレビとしてはそのまんまのセカイ系な大衆のままでいればよかったの
ですが、ぼく(茶の間)ときみ(マスコミ)の関係性が必ずしもそうでなくなった
わけであります。
やっと、世間が見えた。
もちろん、それが狭小的なコミュニティというまやかしの世間かもしれませんが、
とにかく意見を持ち寄る場が増えたわけです。
すると浮き上がってくる疑問や不信感。今まで世論を作っていた黒幕の存在。

えー、オチが思い浮かばない。
まぁそんなこんなで、次はネットが壊れて、次のメディアが来て、最終的に
個人になるのは間違いないので、賞味期限切れのモノはよく吟味してから
食べようね、というハナシでした。



                               まだテレビは強いかな 音子
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