福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

形には意味がある

2017年07月30日 | 家庭生活&家族事情


「おぶくさま」はお仏壇に供えるご飯ですが、最近の我が家はご飯を炊いた時にまずこれを作ることになっています。
なっていますが、しばしば忘れます。
習慣化されていないし、信心も足りないのか、食事の途中に「あ~!」と思い出すことが多いのです。

実家の処分の際の仏壇は結局どうしたか?
ということについて、今回はまとめてみます。

我が実家はもともと仏壇の無い家でしたが、父が亡くなった12年前から母は仏壇のお守を始めました。
したがって、仏壇イコール父の居場所として守ってきたと言えるでしょう。
 

転居に際して、この仏壇を持ち込むことに母には少し抵抗がありました。
その理由の一つは、我が家は狭くて置き場を確保するのに相当の工夫を要すること。
もう一つは、我が家に既にある夫の家の先祖の位牌と仏様は、仏壇に入っていないこと。
後者の方が母を強く躊躇させていたようです。

そこで、考えた挙句「同じサイズの仏壇を並べて置く」ことになりました。
宗派は異なりますが、お寺に尋ねたところ構わないとのことでした。
そう決まったら母は急に張り切って、二つの仏壇のお世話をすることにして、実家の仏壇はお精ぬきをして処分することになりました。

さて。
二つ並べて置けるサイズは限りがあります。
購入して見ると、何と!実家の仏様は少しサイズオーバーで中に入りません。
母と二人で悩んだ末、仏壇の上に置いて「これはいい!」と納得しました。
 

ところが、お精入れにいらしたご住職から、この配置ではいけないと教えられました。
「仏壇というのは、仏様が居る場だから仏壇というのであって、お位牌しか入っていないのであれば単なる位牌箱ですよ」
なるほど!
母にとっては、仏壇イコール亡き父の居場所だったので、お位牌こそが大切だったのでしょう。

ご住職によって丁寧に仏様が収められ、無事に開眼供養と相成りました。
形には意味があったのです。
その意味を知らずして形式だけ守ることの怖さにちょっと触れた思いです。
 

こんな調子ですから仏壇のお守も極めて表面的で、仏教についても不見識です。
せめて知識としてもう少し身につけておいた方がいいと思い、書物を探して読み始めました。

日常生活の中に、自らけじめをつけていくことは実はとてもしんどいことだと感じます。
「このくらいいいや」とか、「誰に迷惑をかけるわけでもない」とついダラダラして過ごしてきましたが、簡単な形式とかルールに少しだけ縛られるのは意外と楽なことなのかもしれません。
そしてその意味が理解できれば、少し内心が強くなれるような気がします。
見えない世界を理解し未知の世界に触れるためには、特にそう思います。


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