なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ120

2017年08月13日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月13日日曜日。

お盆に突入しました!
お盆さえなかったらお坊さんはもう少し楽なのに、と思ったりします。
田植えのない農家のようなものでしょうか。
それでも松林寺はまだ、棚経も一部だけなのでいいのですが、宿用院はお盆三日の内に県内の全檀家約100軒を回るので、それはそれは大変でした。
膝は痛くなるし、声は出なくなるし。
今は若い者が苦労していますが、年をとってからできることではありませんね。

山門の前の掲示板に、8月に入って書いたのは、西内正浩さんの句
 「いくたびも 背きし 父の 墓 洗う」です。
お盆ですからそれらしく。
父が生きているうちは、何度となく反抗してきた。
亡くなってから気がつくこと、分かることがたくさんある。
今は亡き父に、詫びながら、その背中を流すように墓を洗う。という句ですね。

福島県飯舘村に「あいの沢」という所があります。
飯舘村では、震災と原発事故による全村避難の数年前から、「あいの沢」に因み、愛の句を募集し、入選作は句碑にして沢に建てる、というイベントを行ってきました。
その選者は俳人の黛まどかさんでした。
震災から2年目の年、黛さんの呼びかけで、飯舘村の墓掃除のボランティア活動がありました。
飯舘村はまだ住むことはできないけれど、お盆には里帰りしてお墓参りをする人もいるでしょう。
できれば、少しでも墓地の周りをきれいにして、気持ちよく墓参りしてもらおう、という意図からでした。
私を含め最上町から3人、増田明美さん、わたせせいぞうさんなど全国から約50名が集まったと思います。
墓地の周囲の草むしりの後、あいの沢に行き、句碑を眺めてきました。
その中で出会ったのが先の句だったのです。
 いくたびも 背きし父の 墓洗う
パッと読んだときに、「これは俺の句だ」と思いました。
他にもそう思った男性がいたようです。
父親と息子の関係はどちらも似たようなものなのかもしれません。

 亡くなって 初めて気づく 親の恩
死んでから気がついたって意味がないじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが、そうではないと思うんですよ。
もしかしたら人間は、そのようにしていつの時代も、亡くしてから気がつき、悔やみ、詫びながら手を合わせてきたのではなかったのか。
その時、詫びる気持ちの中で、優しさや人間性を取り戻し、「大人」として生きてきたのではなかったか、と最近思うのです。
亡くなってから気づき、詫びながら手を合わせることは、決して無駄でも無意味でもないと思います。
死んだ人からも学べるのが人間の特長なのですから。
むしろ、悔いと詫びこそが人間らしさ、なのかもしれません。
そして、墓前で真剣に手を合わせる姿を見て、子や孫の心に宿るものもあるでしょう。
大人から教えられずに、あるいは目で見ることもなく、手を合わせることを覚える子などいるはずがないじゃありませんか。
人間らしさを、して見せること、それは大事なことですよね。
子どもの前でも照れずに、真剣に手を合わせましょう。お盆なのですから。


それでは1曲お送りしましょう。ここはもうこれしかないでしょう、中島みゆきで『帰省』。


1.遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車にも乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく
 
   けれど年に2回 8月と1月
   人ははにかんで道を譲る 故郷ふるさとからの帰り
   束の間 人を信じたら
   もう半年がんばれる


2.機械たちを相手に言葉は要らない
決まりきった身ぶりで街は流れてゆく
人は多くなるほど 物に見えてくる
ころんだ人をよけて 交差点(スクランブル)を渡る
 
   けれど年に2回 8月と1月
   人は振り向いて足をとめる 故郷からの帰り
   束の間 人を信じたら
   もう半年がんばれる


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



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