伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

性と法律 変わったこと、変えたいこと

2014-03-15 23:19:19 | 人文・社会科学系
 結婚・離婚・親権、DV、労働、性暴力、セクシュアル・ハラスメント、売買春の6つの領域で、法律と裁判の運用について、性差別の観点から過去と現状を概観し論評する本。
 著者の主張と思い・熱意は一貫していると思うのですが、書きぶりには微妙な落差を感じます。Ⅰの「結婚、離婚と子ども」、Ⅲの「女性が働くとき」は、弁護士の目にはかなり手堅くというか、法律を学び裁判の実務を行っている者からは正面切って反対する者はないだろうという感じの記述になっています。家を出て離婚調停とともに生活費の請求(法律用語では「婚姻費用分担」)の調停を起こした妻に「なぜ勝手に出て行った女房に生活費をやらなければならないんだ!」と怒鳴りまくる夫を「それはですね。あなたが家長だからですよ」と説得した男性調停委員の話(18~19ページ)にも、自分の信条に反する主張でもその事件の解決に有効ならばそれに乗る弁護士の鵺的・場当たり的な性格/よくいえばしたたかさが表れていて、いかにも実務家的な記述になっています。
 しかし、Ⅳの「性暴力」で強姦罪の保護法益が(女性の)性的自由であることから暴行・脅迫を伴う性交をすべて犯罪とすべきという主張には、私は、弁護士として違和感を持ちます。著者は「強姦罪の本質は同意していないにもかかわらず性交を強要することにあるのだから、暴行・脅迫は同意していないことの印である。その同意していないという程度がなぜ、議論になるのだろうか。この考え方では、暴行・脅迫の下で性行為がされたが(だから、検察官は起訴した)、その程度が求められている程度(高度なものであろう)に達していないので強姦罪にはならないということが起きる。この場合、法益の侵害はないとするのであるから、被害者の性的自由の侵害はないことになる。」(152ページ)と論じています。刑罰は違法性が高い場合に科せられるべきもので、適法でないあるいは違法と評価される場合のすべてが犯罪として処罰すべき程度の違法性を有しているわけではありません。それは強姦罪の場合だけでなく、さまざまな犯罪について考慮されるべきことです。しかも、強姦罪の場合法定刑の下限があり犯罪とされれば3年以上の懲役(情状酌量で半分にまで下げられますが)となることを考えれば、暴行・脅迫について被害者の反抗を抑圧する程度という制限をかける通説・判例の立場にそれほどの問題があるとは思えません。そう解したからといって「法益侵害はない」「被害者の性的自由の侵害はない」ということではなくて、刑罰を科する程度までの違法性がないというだけです。強姦罪に当たらないとしても暴行・脅迫を伴う性交は不法行為として民事上は違法と評価されるでしょう。「違法」であればすなわち処罰すべきという一般人の感覚・信念/思い込みは、弁護士に対してよく素朴にぶつけられますが、ここで展開されているのはそれを煽るレトリックだと思います。著者自身、あとがきで「弁護士は現行法の枠の中で仕事をするしかないが、わたしの前に現れた何人かは、わたしが『現行法ではそれは無理』と説明してもなかなかあきらめてくれなかった。そこで、わたしは『何とかしなければ』とない知恵を絞ることになり、そのうちに、『それは無理』といわせる法律のほうに問題があると考えるようになった。」(255ページ)と書いています。そういう立場で書くということなら、それはそれとして理解できますけど。
 著者はセクシュアル・ハラスメントについてアメリカでは性差別として禁止されているが日本では不法行為として扱われ性差別の論点が忘れられてしまったと悔やんでいます(211~212ページ)。理念的にはわかりますが、アメリカでは性差別の禁止と位置づけられるためにバイセクシュアルの抗弁(男性相手でも同じ扱いをしたはずだから性差別ではない)などというある種ばかばかしい議論が出たりしていたわけですし、また差別と位置づけるとかえって立証が難しくなりかねず、被害救済という観点では性的人格権侵害/不法行為と位置づけた現在の判例法理の方が素直でまた使い勝手がいいように、私には思えます。
 「職場でのセクシュアル・ハラスメントを裁判に訴え、地裁、高裁と裁判所では勝訴しながら、結局職場の同僚からはトラブルメーカー扱いされて孤立してしまった事例すらある」(192ページ)というのも、それ自体はその通りで裁判の提起を妨げる困った事情なのですが、それはセクシュアル・ハラスメントに限った話ではなくて、労働者が在職中に使用者(会社)を訴えるケースの多くがそういうリスクを抱えていて、その現状を何とかしたいところです。
 母子家庭で「自分の収入等で経済的に問題がないと答えた人は、わずかに2.1%である。父子家庭では、21.5%が自分の経済力でやっていけると答えているのと対照的である。男女の経済力の差の正直な反映であろう」(28ページ)というのも、確かに母子家庭の経済状況が悲惨だと主張するのは正しいですが、父子家庭でも自分の経済力でやっていけるという答えが21.5%しかない、裏返せば8割近くが自分の経済力ではやっていけないというのは、父子家庭も大半は経済状況が悪いと評価するのが普通の見方じゃないでしょうか。この数字で父子家庭は恵まれているかのように書くのはやはり違和感を持ちます。
 そういういくつかの違和感を持つ記述はありますが、全体としては現在の法律と裁判が女性をどのように扱っているのか、何が不足なのかということをおさらいし考えるのにはよい材料となる本だと思います。


角田由紀子 岩波新書 2013年12月20日発行

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