伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

倫理の死角 なぜ人と企業は判断を誤るのか

2013-12-18 21:55:00 | 人文・社会科学系
 倫理違反の行為は意図的な違反よりも人が無意識のうちに都合の悪い情報を遮断したり倫理の問題ではなく別の問題と規定するといった微妙な人間心理の作用によってなされることが多く、倫理違反が故意になされることを前提として行われている現在の倫理教育では防ぐことができないことを論じる本。
 人は倫理上のジレンマに向き合う前の段階では自分は倫理上正しい選択を行うはずだと思っている(倫理的な私の自己イメージ)が、いざ意思決定の段階になると刹那的で衝動的な「したい」が合理的で冷静な「すべき」を打ち負かし、意思決定後は倫理に反することをしたという認識の不快感を緩和するために都合の悪い情報を忘却したり倫理の基準をすり替えたり他に責任転嫁して振り返ってみると自分は倫理的な行動をしたと思い込み、これらのバイアスが一体となって人は自分を実際以上に倫理的な人間だと思い込む(88~109ページ)とか、「人は概して、まず私利私欲に基づいてどういう結果を望むかを選び、そのあとで、公正性の基準を自分に都合よく変えることにより、自分の望む結果を公正なものと位置づけ、正当化しようとする」(73ページ)とかの指摘は、なるほどと思います。
 裁判を例に「被告は原告に比べて、自分の主張に有利な細かい事実関係をよく記憶している反面、原告の主張の証拠となる事実はあまり覚えていない。一方、原告はこれと正反対の傾向が見て取れる」「人は自分にとって好ましい情報を吸収し、悪い情報を無視する傾向がある。裁判や和解調停に臨む人が結果を過度に楽観視することが多いのも、これが原因だ。もちろん、裁判で勝てるのは片方だけ。裁判で争う両者ともに『勝利の確率が75%』などということは、論理的にあり得ない。しかし双方とも、自分に都合のよい情報だけを見る結果、自分が勝てるはずだと思ってしまう。こういう人たちは、勝算を判断する際の根拠としている『事実』の認識にバイアスがかかっている。自分にとって好ましい情報しか見ておらず、都合の悪い情報は視界に入っていないのだ」(73~74ページ)というのは、弁護士として度々実感するところです。
 この本の基調は、講演なり交渉、政策提言において、相手のメンツを潰さずに未来志向で変化を求める立場から、大半の倫理違反行為は行為者が無意識のうちに、主観的には誠実であろうとしているのに、行われていると論じているのだと思います。私の感覚では、この本で挙げられている倫理違反の事例や日本でも多数ある企業不祥事では、行為者が誠実であろうとしてなされたというようには思えません。この本の最後の方で取り上げられている事例のたばこ産業が肺癌と喫煙の因果関係を隠蔽するために、1人1人の肺癌患者の発症原因を特定することがほぼ不可能なことを利用して、「専門家」に金を払って科学界のコンセンサスに異を唱えさせ、わかりにくい情報や曖昧な情報を意図的に流してその問題に結論が出ていないという印象を作り、動かぬ証拠を求め…(190~195、214~218ページ)という姿勢を取ってきたことは、どう見ても確信犯的に反倫理(犯罪」といってもよいと思う)的な行為を行ったものだと思いますし、これを見ていると原発の危険性を隠蔽するための電力会社の手口とそっくり。


原題:Blind Spots : Why We Fail to Do What’s Right and What to Do about It
マックス・H・ベイザーマン、アン・E・テンブランセル 訳:池村千秋
NTT出版 2013年9月17日発行 (原書は2011年)

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