伊東良徳の超乱読読書日記

読んだ本の感想を中心に本に対するコメントを書き散らします。読み終わった本は図書館に返すのでフォローは保証できません。

最新 映画産業の動向とカラクリがよ~くわかる本 [第3版]

2017-05-14 21:36:45 | 実用書・ビジネス書
 映画産業の市場の動向、映画ビジネスの関係者の業務・分担、タイアップなどについて説明した本。
 「カラクリ」などという言葉がありますが、裏話的な話や掘り下げた話は見当たらず、表面的公式見解的なことを淡々と書いているように思えます。
 「第2章 日本のアニメ産業の動向」「4 海外市場の動向」では、「まず北米市場において、これまで最も多くの興行収入を上げた日本のアニメ映画は『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(一九九九年公開)で、興行収入は八五七四万ドルになっています。また『ハウルの動く城』(宮崎駿監督)が二〇〇五年に公開され、四七一万ドルの興行収入を上げています。同じスタジオジブリの『千と千尋の神隠し』もヒットするなど映画の本場ハリウッドでの日本アニメに対する評価は高くなっています。」(44ページ)と書かれています。「クールジャパン」とかいって日本のアニメは外国でも高く評価されていると喧伝されていますが、こういう書き方はどうなんでしょうか。日本のアニメ作品をその物語性や作画の丁寧さなどの面から高く評価する人は、ハリウッドにも当然にいるでしょうし、私もそういう点で日本のアニメ作品を貶めるつもりはありません。しかし、こういう書きぶりでは、「クールジャパン」とかいっている連中と同様、読者は日本のアニメ作品がアメリカでも大ヒットしたかのように誤解し、アメリカでヒットした故に日本のアニメは高く評価されていると誤解してしまうのではないでしょうか。アメリカでこれまで一番ヒットした日本のアニメ映画「ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」(Pokemon : The First Movie)は、アメリカ歴代ランキングでは200位圏(1億8000万ドル台の上の方)もほど遠く、1999年公開映画のランキングでようやく25位です。2番目にヒットした「ポケットモンスター 幻のポケモンルギア爆誕」(2000年)(Pokemon : The Movie 2000)の興行収入4376万ドルは2000年公開映画のランキングで59位、ジブリアニメの中でアメリカでの興収が最高の「借りぐらしのアリエッティ」(2012年)の1919万ドル、「崖の上のポニョ」(2009年)の1505万ドル、「千と千尋の神隠し」(2002年)の1006万ドルのいずれも公開年のランキング100位(大抵は2000万ドル台の上の方)にも届いていません。日本のアニメ映画で、アメリカで大ヒットした作品はなく、せいぜいポケモン2作品がふつうレベルで「ヒット」したという余地があるという程度という客観的な認識をまず持つべきだと、私は思います。逆に、日本での興行成績を見ると、もちろん、日本のアニメ映画が上位を占めているのですが、その中で「アナと雪の女王」(2014年)が歴代3位(「君の名は。」は、結局、これを抜けないようです)、「ファインディング・ニモ」(2003年)が歴代21位、「トイ・ストーリー3」(2010年)が歴代26位など、アメリカのアニメ映画作品が相当に受け入れられています。外国市場でヒットしているという点からすれば、日本のアニメ作品はアメリカのアニメ作品に遠く及ばないとみる必要があるでしょう。
 こうした客観的なデータ(今どき、私のような素人でも簡単に探すことができます)を掲載しないで、日本のアニメ映画がアメリカ市場でヒットしているかのような誤解を与えるような文章をプロが書くことには強い疑問を持ちます。それも、2007年の初版より後のアニメ作品の情報が全く入っていないのも不思議です(初版出版の少し前の「ハウルの動く城」を取り上げて、その後それより数倍の興収を挙げた作品を紹介しないというのでは、フェアでもないでしょう)。
 予告編の制作で、「ときには本編にない映像を作るなど、観客に期待を持たせるために、様々な工夫が要求されます。」(113ページ)って、それは「工夫」じゃなくて、「だまし」「詐欺」だろうと思うのですが、映画業界人は、観客に対する誠実さというのは気にもかけないものなのでしょうか。そういう感覚だから、上述のように客観的な事実を無視して日本のアニメ映画がアメリカでヒットしているかのような書き方も平気でできるのかと思ってしまいます。


中村恵二、荒井幸博、角田春樹 秀和システム 2017年4月1日発行(初版は2007年10月、第2版は2012年8月)
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図説 紅茶 世界のティータイム

2017-05-11 21:52:05 | 趣味の本・暇つぶし本
 紅茶の歴史、茶葉の産地、淹れ方/飲み方、世界の紅茶事情などを解説した本。
 5月から6月に摘まれるダージリンの「セカンドフラッシュ」のマスカット(マスカテル)フレーバーは、ウンカが大量発生して茶葉の柔らかい部分から汁を吸い、ウンカに噛まれた葉が治癒しようとして作り出す「ファイトアレキシン」の香りだとか(43ページ)。ウンカは「害虫」じゃなくてウンカのおかげでダージリンの商品価値が上がるんだ。
 茶(緑茶・ウーロン茶を含む)の1人あたり消費量の上位3国は、トルコ、アイルランド、イギリスで、トルコの1人あたり消費量は日本の3倍以上、イギリスは日本のほぼ2倍だそうな(49ページ)。
 イギリスでは紅茶に入れるミルクは新鮮な冷たい低温殺菌牛乳(イギリスで流通している牛乳の8割が低温殺菌牛乳。高温殺菌牛乳がほとんどの日本とは事情が違う)だそうです(66ページ)。「コーヒーフレッシュを使用したミルクティは日本独自の文化です」(67ページ)って。そして、ロシアには紅茶にジャムを入れる習慣はない!(108~109ページ)のだそうです。
 ちょっと意外なトリビアが楽しめました。


Cha Tea 紅茶教室 河出書房新社 2017年2月28日発行
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ニッポンが変わる、女が変える

2017-05-10 00:13:14 | 人文・社会科学系
 福島原発事故前は、原発については「これは触れないでおこう」と戦略的に黙っていた(14ページ)という著者が、原発再稼働に向かう政権への危惧、特に橋下維新の勢力拡大とその後の総選挙での安倍政権の成立・暴走に対する危機意識/絶望を背景に、各界の先行者と著者が評価する女性たちと、3.11後の日本社会のあり方を語る対談集。「婦人公論」2012年4月号から2013年3月号までの連載のため、前半は、民主党政権のだめさ加減と橋下維新のポピュリズムへの危機感、後半は原発推進戦犯の政権復帰と安倍政権への危機感が表れています。2013年10月の単行本出版から3年余を経て出版された文庫本では、12名のうち8名から「文庫化に寄せて」が寄稿され、その後の状況に対するフォローと感想が記されていて、そこも対談者の思いが表れていて感慨深い。
 第8章の歴史学者の加藤陽子さんとの対談では、畑村洋太郎東京大学名誉教授の失敗学も今回は難しかったはずですとして、政府事故調の報告書でも「電源喪失が地震段階なのか、津波段階なのかという点も不明のまま。」、(上野)「事故が引き起こされた原因についての解明も、できていませんね。」、(加藤)「国会事故調では、津波の前の地震段階ですでに電源喪失していたとの判断をしています。」(149ページ)と論じていただいたのは、その部分を担当した国会事故調協力調査員としてはうれしく思います。
 今後の日本のあり方について、縮小経済に見合った社会、肩の力を抜いて排除することのない上手な分かち合いをする「老いらく社会」(138~140ページ。第7章:経済学者の浜矩子さん)、「人口と地面の大きさに見合うくらいの小さな国になる」「こぢんまりとした、しかしよその国が『あの国はいいな』というような国。競争に負けても、最後には『やっぱりあなたたちが正しい』と言われる国になれればいい」(235ページ。第11章:ノンフィクション作家の澤地久枝さん)というのが、心に染みました。


上野千鶴子 中公文庫 2016年12月25日発行(単行本は2013年10月)
 
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広域警察極秘捜査班BUG

2017-05-09 23:22:21 | 小説
 航空機墜落の実行犯とされて死刑囚として拘留されていた天才ハッカー水城陸が、アメリカと日本などで構成する環太平洋連合(PU)の刑事警察である「広域警察」から偽装死刑執行/助命と引き換えに無令状で盗聴その他の内偵等を行う極秘捜査班「BUG」に組み込まれ、墜落した航空機に搭乗して死んだはずのブティア博士の動向を探り通信を傍受することを命じられ、内偵を続けるうちに、水城陸が冤罪を主張する航空機墜落事件の真相、水城陸が逮捕されて絶望して自殺したとされていた父の死の真相に迫るという近未来サスペンス小説。
 悪役と被害者がはっきりとして、誰が犯人/黒幕かではなく、いかに事件解決に至るかを楽しむタイプの作品です。そういう点で安心して読める感じで、わかりやすく爽快感があるのですが、直接の悪役の動機/背景・上部組織は明確にはされず、そこには欲求不満が残ります。シリーズ化を目論んでいる様子の終わり方ですから、続編で展開するつもりなのかもしれませんが。
 水城陸から北浦教授へのメール、留守を任されたチェック担当者が削除した(156~157ページ)とされているんですが、そのメールを仲間が知らせてきた(168ページ)というのは・・・


福田和代 新潮社 2016年11月20日発行
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新版 うつ病をなおす

2017-05-08 00:44:34 | 自然科学・工学系
 うつ病のさまざまな種類に応じて典型例を挙げて説明し、治療法の進展(多様化)とうつ病の原因についての著者の見解を説明する本。
 生真面目で几帳面な性格の人が発症して全面的に落ち込み気力(エネルギー)がなくなり自分を否定し追い込んでいくこれまでの典型的なうつ病(著者は「メランコリー型うつ病」と呼ぶ)が、周囲の同情を集めるのに対し、近年は仕事の場では元気がなく出社できないがレジャーはできてその時は元気、自分を責めることはなく周囲に責任があると主張する新しいタイプのうつ病(世間では「新型うつ病」、著者は「現代うつ病」と呼ぶ)は欠勤/休職をめぐり使用者(企業)側からは詐病を疑われ、労働者側の弁護士から見ても悩ましいところですが、著者は、こだわりを持つ凝り性のところは同じでかつてのような儒教道徳的な倫理観ではなく西洋的な合理主義のもとで育った者が学校で甘やかされ企業で厳しく扱われる落差に適応したのが現代うつ病ではないかと説明しています(62~64ページ)。挙げられている症例のようにリワーク活動にもともと凝り性の性格ということもあって熱心に参加し復職できた(62ページ)というようなことだと、なるほどやはりうつ病だったのねと理解しやすいところでしょうけど。
 「気分変調症」として挙げられている症例で、アドバイスが欲しいというのでアドバイス的なことを言うと「そんなことは自分にもわかっている。でも、できないから仕方がない。」と居直り、次回の予約を決めるときにも朝は起きれないから夕方にとか平日は道が混むから土曜日になどと要求が多く、そのくせしばしば予約の無断キャンセルをするというケース(71~72ページ)、法律相談の相談者にも時々います。そういうのは、病気と考えるべきなんですね。とっても困ったちゃんですが。
 治療法で、生活療法(休養→日常生活記録、運動)を優先するとしたうえで、薬物療法のさまざまな薬を紹介し、次いで通電療法(電気ショック)を紹介しています。通電療法は効果があるのに感情的に否定されてきた、通電療法が残酷な感じがするからやるべきではないというのは、人間の体をメスで切り刻むなど残酷だとすべての手術を禁止するようなもの(165~169ページ)、と著者はいうのですが…
 うつ病の原因を、ゆううつになり行動を止める(強敵に無意味に戦いを挑まない)ことが生き残り上有利、負けたときにあきらめることで復讐の連鎖が回避され安心して子孫が残された、落ち込むことが周囲の援助を誘い生き残り上有利という進化生物学的見地から、ゆううつになる者の遺伝子が残されてきたが、それが社会の変化により意味が変わったために病気と評価されるに至った(198~207ページ)としています。興味深い主張ではあります。


野村総一郎 講談社現代新書 2017年2月20日発行(旧版は2004年)
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科学報道の真相 ジャーナリズムとマスメディア共同体

2017-05-07 00:06:39 | 人文・社会科学系
 STAP細胞問題、福島第一原発事故(炉心溶融していたか否か)、地球温暖化問題(温暖化への懐疑論)についての報道をとりあげて日本のマスコミの科学報道が大本営発表になりがちな現状について検討し苦言を呈する本
 STAP細胞に関する報道では、最初の段階で、そもそもまだ最初の「発見」であり科学的には仮説にすぎずこれから他の研究者の追試・再現による検証を経てようやく定説となるべきものを、まるでノーベル賞受賞のように確立された功績のような扱いで報道したことの誤りが指摘されるとともに、マスコミの「ネイチャー」の権威への寄りかかりがその根本にあったこと、そして「ネイチャー」がいったんは査読者が拒否した論文を再掲し騒動後も自己検証していないことと「ネイチャー」の責任を問う報道が見られないことを批判しています。
 福島第一原発事故では、いったんは保安院の担当者が炉心溶融に言及し、それに応じてマスコミも炉心溶融を報じた(結果的にそれが正しかった)にもかかわらず、その後東電と保安院が事故を小さく見せるために炉心溶融に言及せず「炉心損傷」と欺瞞的な表現をするようになる(この本では言及していませんが炉心溶融を認めた保安院の広報担当者は更迭された)とマスコミの報道がトーンダウンした様子を、かなり退屈ではありますが、見出しや記事の定量分析で追い、いかに「大本営発表」報道に陥っていたかが指摘されています。
 地球温暖化問題では、地球温暖化への懐疑論(そもそも本当に温暖化しているのか、温暖化しているとしてそれは人類の行為が原因ではなく自然現象ではないか)について、欧米ではバランス論の立場から比較的紹介されているのに対して日本のマスコミではほとんど紹介されないことを指摘しています。ここでは、懐疑論は科学者の間ではごく少数説であるが、欧米では懐疑論が存在することからバランスを取ろうとしていることが果たして適切かという疑問を提起し、その意味では日本の報道の方が適切かもしれないが、日本の報道が懐疑論をほとんど紹介しないのはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)という公式の国際組織の権威にほぼ盲従しているからという指摘がなされます。
 これらの権威に依拠した、批判的な自己検証(調査報道)がほとんどない日本のマスコミの報道姿勢は、科学報道に限ったことではなく、記者クラブ体制での発表報道を中心とし、記者と取材者の固定的で利害共通(発表者は自己の利益に沿った報道を、記者は情報の入手を)の関係、特ダネ(取材対象との強固な関係が必要)を尊び特落ちを恐れマスメディア共同体内での評価を優先する姿勢から強化されていくことが指摘され、科学報道においては、検証と取材対象からの独立性こそが重要だとされています。
 そのとおりと思い、日本のマスコミも権威と発表者への疑問と検証に、少しは奮起してくれるといいなと思いました。


瀬川至朗 ちくま新書 2017年1月10日発表
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海を照らす光

2017-05-06 12:08:34 | 小説
 孤島の灯台守と3度目の流産をしたばかりの妻のもとに男の死体と乳児を乗せたボートが流れ着き、妻は報告の信号を送ろうとする灯台守を制止し、流れ着いた乳児を自分の子として育て、2年後に本土を訪れて夫と乳児を失いあきらめきれずにさまよう材木商の娘の存在を知り、逃げるように孤島に戻る妻と良心の呵責に耐えきれない灯台守の言動とその行く末を描いた小説。
 偶然に自らの手元に流れ着いた乳児を育てるという人道的な行為に始まった育ての親子関係が、数年の時を経たのちに、生みの母の存命と生みの母がなお乳児を探し求めているといった状況を知った場合、人はどうすべきか、子どもにとってはどうすることがよいのか、育ての親と生みの母の心情と人生観からはどうかという、重いテーマを投げかけています。
 あわせて、子の生死、子を手放すことと夫婦の愛情/関係、夫婦関係の強さと脆さもまた、さらに重いテーマとなっています。
 数週間とか数か月程度であれば、単純に生みの親に戻せばいいと思いますが、数年を経て育ての子としっかりとした関係/絆ができてしまうと簡単ではなく、私はむしろ血縁よりも共に過ごした月日の重さの方を尊重したくなります。そこは再会した生みの親側の子との関係の作り方もあって、この作品で言えば祖父セプティマス・ポッツと叔母グウェンの懐の深さで子の心を開いていく過程の大切さが沁みるところでもありますが。
 逆に、他の者たちの狼狽しながらも相対的に落ち着いた言動に比して、育ての母(灯台守の妻)イザベルと生みの母ハナの頑なで気短なふるまいは、女性/母をステレオタイプに貶める描き方とも見えます。
 提示された重いテーマについて、「決断」に至るまでの葛藤は描かれますが、「決断」したのちの苦しみ、葛藤はあっさり飛ばされています。あまり引きずって重苦しくしたくなかったのかもしれませんが、そこももう少し描いて欲しかった気がします。
 この作品を原作とした映画「光をくれた人」が2017年5月26日から公開されます。そのために原作を読んだのですが、夫婦で見に行くのが重い作品だなぁと思いました (-_-;)


原題:The Light Between Oceans
M・L・ステッドマン 訳:古屋美登里
早川書房 2015年1月25日発行 (原書は2012年)
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サーモン・キャッチャー

2017-05-05 10:20:05 | 小説
 郊外のベッドタウン「図図川町」で、釣れた鯉の点数に応じて景品と交換する釣り堀「カープ・キャッチャー」でアルバイトをしながら人気の黒人歌手「ムキダス」が話すアフリカの少数言語「ヒツギム語」のレッスンに夢中の春日明、健康ランド「ジョイフル図図川」に寝泊まりしつつ「何でも屋」で何とか食べてる明の父大洞真実、「カープ・キャッチャー」で神と呼ばれる釣りの名手だがボロアパートで年金暮らしの河原塚ヨネトモ、量販店でバイト中の対人恐怖症のフリーター内山賢史と心霊ものDVDファンの妹智、裕福な中年女柏手市子らが、「カープ・キャッチャー」周辺で織りなす群像コメディ。
 プロローグでバラバラに羅列される登場人物が、「カープ・キャッチャー」で出会い、実は他の人物を介して現在や過去の関係があり、という形で収斂してゆくという、舞台が「図図川」「図図川町」なる特定の場所ですから、最初からそうなるだろうという展開で、ドタバタして進みます。
 登場人物中、柏手市子という中年女性が、裕福なのに物欲しげで意地悪で身勝手な共感ができないキャラで、しかもプロローグの紅葉の「手品」「奇跡」がまったく回収されないままに終わり、どうしてこの人物を登場させたのかもよくわからない印象です。他の話は、かなり無理してつなげているのに、性格の悪い柏手市子とその息子はいかにも浮いたままで、全体のドタバタ感(登場人物とエピソードのつなぎ方がスムーズでない)とあわせて、あまりうまくないなぁという読後感です。
 架空の言語「ヒツギム語」が終盤で爆発しますが、これも、こういうのを好む読者には「面白い」のかもしれませんが、私はあまりついていけない思いです。とりわけ、終盤まで、なぜ「カープ・キャッチャー」の話が「サーモン・キャッチャー」なの?という疑問を持たされ(ふつう、終盤はもうそこが読者の関心/疑問になると思います)た挙句、ラストは、それはないだろうと思います。ヒツギム語で「兄」が「タツヤ」、「弟」が「カズヤ」(314~315ページ)というのに、ああこの作者「タッチ/あだち充」で育ったんだという感慨は持ちましたが。


道尾秀介 光文社 2016年11月20日発行
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グローバル・ジャーナリズム 国際スクープの舞台裏

2017-04-28 23:34:48 | ノンフィクション
 タックス・ヘイブンの匿名法人を利用して不正蓄財や犯罪収益を隠匿していた政治家や財界人、犯罪グループを暴いた「パナマ文書」スクープを始め、各国での汚職や組織犯罪を暴く調査報道の事例、それらを担う新聞社や元編集者・元記者らがつくり寄付で運営するNPOの現状、調査報道の手法についてのジャーナリストたちの情報交換・経験交流などを紹介し、日本の現状について苦言を述べる本。
 第1章の「パナマ文書」をめぐる世界各国の数百名に上る記者たちの連携と調査の遂行、そして調査過程で裏切者が出ることなく秘密と解禁日が守られたことには驚きと感動を覚えます。
 第2章の各国で記者たちが圧力と迫害を受けながら汚職や組織犯罪を暴く調査報道をする様子も、興味深く読みました。もっとも、この章でイタリアの記者が警察と協力し警察から情報をもらい捜査に配慮している様子を、肯定的に描いているあたり、イタリアの記者に「警察官も他の取材先と同様に扱う」、「我々は警察の広報係じゃない」(96ページ、97ページ)と言わせてはいますが、どうかなと思います。安倍政権の提灯記事を書いている日本の記者だって、聞けば公平・中立だの我々は政府の広報じゃないというと思いますけど。
 第3章で、地方紙の記者やNPOの調査衝動を紹介していますが、ここでも、オレゴン州の「革新知事」だったゴールドシュミットについて政界引退後にかつてベビーシッターとして雇った14歳の少女と性関係を持っていたことを暴いて叩き潰し州議会議事堂の歴代知事の肖像画からも撤去させその功績と歴史を消し去った地元紙のスクープをほめたたえています(125~138ページ)。リベラル/革新の政治家をその権力から離れた後に叩く、タブーへの挑戦ではなく、より大きな権力・保守系政党の利益に沿う行動です。この「スクープ」の情報は、もともとゴールドシュミットの政敵の上院議員からもたらされたものです(127ページ)。その経緯を見ても、リベラル/革新勢力を叩きたい権力者・保守系政党の思惑とリークに記者が踊らされ操られたということではないのでしょうか。
 日本で調査報道がやりにくい事情として、裁判記録の公開の程度が低いことが挙げられています。アメリカでは裁判記録の全体(提出された書面や証拠書類も含めて)がネットでダウンロードできるというのを聞くと世界が違うというふうに思いますし、私も裁判に限らず日本の個人情報隠しは行き過ぎの感があり違和感を持つところはあります。ただ、本来の意味での一個人の情報は、権力と戦うことなどほとんどなく弱い者いじめに血道を上げる三流週刊誌(あえて言わせてもらえば「週刊新潮」とか)が跋扈する日本の現状を考えると、公開に反対したい気持ちが強くなります。
 裁判の関係者の名前が判例集で隠されるようになったのは、ネットでの検索が一般的になるころからではなかったかと思います。日本でも、以前は判例集に当事者や関係者の実名が記載されていて、図書館で紙媒体の古い判例集をめくれば今でももちろんそれを見ることができます。私の専門分野の労働事件では、古くから事件名は使用者企業の名前で呼ぶのが通例で、今でも多くの事件はそうやって事件名がつけられます。しかし、企業や役所は企業名を出すことを嫌がります。情報公開法で、個人の情報と並んで「法人情報」も企業の競争に影響を与えるなどとして公開対象から外されているのは、企業の意向/利益を最優先したものと思います。労働事件の事件名の分野でも、日本経団連が発行している判例雑誌「労働経済判例速報」では、大企業でなければ企業名を隠す傾向にあり、ほとんどの事件が「X社事件」「甲社事件」とされて事件名を付ける意味がなくなっています。エルメス・ジャポンなどの有名企業でも「X社」とされます。労働事件関係の判例雑誌で一番メジャーな「労働判例」(産労総合研究所)でさえ、判例時報が当事者を「ホッタ晴信堂薬局」と書いている事件を「甲野堂薬局事件」と表記したり、海遊館と報道されている事件を「L館事件」と表記したり、企業の意向を忖度し遠慮して匿名化を図ることが多くなっています。2016年6月に弁護士会の研修で私がコメンテーターとしてしゃべったのが第二東京弁護士会の機関誌に収録された(NIBENフロンティア2017年4月号)際にも、私が「海遊館の事件で」と言ったのが、勝手に「L館事件で」と直されてたりします。個人のプライバシー保護を理由に一私人の情報を非開示とするというのとはまったく違う、権力者や企業の情報をそういった連中の意向により隠したがる傾向が進んできているのは、本当に嘆かわしいことだと思います。
 権力の裏側を暴く調査報道には、敬意を表しますし、本当に大切なことだと思います。ただ、同時に、それがどこに向けられるのであっても真実を探し出す調査報道は/記者は正義なのだと、記者の調査を制約するのはすべて間違いであるかのように言われるのであれば、素直に支持できないものを感じます。


澤康臣 岩波新書 2017年3月22日発行
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労働法実務解説8 高齢者雇用・競業避止義務・企業年金

2017-04-27 22:47:48 | 実用書・ビジネス書
 日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの秘密保持義務、競業避止義務(労働者が勤務先のライバル会社に勤務したりライバル会社を経営したりしない義務)、公益通報(内部告発)、個人情報保護、高齢者雇用、企業年金関係の部分。
 2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。「問題解決労働法」では、「社会の変化と労働」というテーマで、要するに近年新たに問題となってきているものを寄せ集めた巻になります。
 第2章の競業避止義務は、主として使用者が退職する労働者に退職時に競業避止義務を負う契約書(誓約書等)を書かせている場合に、どのような場合にどの範囲でそれが有効となる(労働者が競業避止義務を負う)かについて、裁判例のばらつき(ブレ)が大きく、弁護士としては、相談を受けた場合に判断がとても難しい問題(分野)です。この本では、裁判例を多く取り上げそのばらつき加減(わからなさ)をあるがままに論じていて、現状での労働者側の解説としては割とハイレベルなものになっていると思います(それでも結局裁判例の「傾向」はすっきり説明できないのですが)。その契約書等での競業避止条項の目的(企業の秘密や独自に開発したノウハウを守る目的か、秘密と称していても一般的な知識にとどまったり競争排除目的にすぎないか)を重視して後者の場合には競業避止義務を容易に認めない一連の裁判例の傾向(とその問題意識をあまり持たない一群の裁判例)という説明の視点があった方が、私はよりよかったと思いますが。
 第5章の高齢者雇用(定年再雇用)では、関連の行政規制の説明が多く、裁判実務で問題となる高年法(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律)の経過規定で一定年齢(2017年4月現在では62歳)以上の労働者の契約更新の際に2013年3月末日までに再雇用制度を設けて労使協定を締結した使用者は労使協定で定めた再雇用基準(成績優秀とか、勤労意欲に富み周囲によい影響を与えているとか、使用者が更新拒否をしやすい内容であることが多い)により労働者を選別して更新拒絶できることに対して、労働者側でどう闘うかについての記述がまったくないのは、この本の性格からして大変残念です。
 第6章の企業年金は、弁護士の多くにはなじみがなく、私もほとんど知らない領域なので、主として年金減額に対するものですが、裁判例を多く挙げて解説されていて、とても勉強になりました。
 雑多なテーマの寄せ集めのため、通し読みにはあまり向いていないと思いますが、労働事件を多く扱う弁護士には読み甲斐と使いでのある1冊かなと思いました。


大塚達生、野村和造、福田護 旬報社 2016年11月7日発行
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