伊東良徳の超乱読読書日記

読んだ本の感想を中心に本に対するコメントを書き散らします。読み終わった本は図書館に返すのでフォローは保証できません。

イノセント

2017-02-06 00:19:57 | 小説
 性的虐待を受けて育ち優しい夫と死に別れた薄幸の美貌の美容師徳永比紗也と、函館で比紗也を見初めた軽薄なモテ男のイベント会社社長真田、回転ドアで手を挟まれたところを比紗也に救われた自らの「内なる声」と過去の罪に悩む神父如月が、すれ違い絡み合う恋愛官能小説。
 見た目のよい中身はなく軽薄で身勝手な「俺様男」と、誠実に尽くす押しの弱いタイプの男に追われ慕われという設定は、ありがちな韓流ドラマのよう。そして、そういう場合、ヒロインは、押しの弱い性格のいい誠実な男ではなくて、性格の悪い俺様男を選ぶというのも、ありがちなパターン。男性読者には、やるせない思いがあります。
 性的虐待等の過去のためではありますが、心を開かず、見てくれがよく男好きがするという同性からは嫌われるタイプのヒロインと、軽薄で中身がなく外見がよくてモテる俺様男というやはり同性からは嫌われるタイプの男の組み合わせは、男性読者からも女性読者からも受けが悪いのではないかと思います。
 性的虐待を受けたヒロインの行く末は、希望を持てるというべきなのか、如月の普通にはあり得ないような献身があって初めてそのような結末に至るというあたり、むしろ現実には絶望的というべきなのか、類似の経験を持つ読者はどう感じるのか、気になるところです。作者が、性暴力をめぐりその作品ごとにその扱い・評価に大きな振れ幅を見せているように、私には感じられます。「RED」に続き、官能小説的な色彩が強くなってきているその表現とあわせて、作者の姿勢とターゲットが気になります。


島本理生 集英社 2016年4月30日発行(「小説すばる」連載)
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真夜中の約束

2017-02-05 21:29:29 | 小説
 「真夜中の復讐」のラストでローレンとジャッコの前に重傷を負って現れ「助けて、オビ=ワン・ケノービ。あなただけが頼りなの」と言って意識を失ったローレンの命の恩人「フェリシティ」と、ジャッコの同僚の元アメリカ海軍特殊部隊(SEAL)の衛生兵でかつて深手を負い骨の相当部分が金属で置き換えられている「メタル」が、惚れあい、爛れた関係を持ちながら、メタルが勤務先の警備会社ASIのメンバーの協力を得て、フェリシティを狙う敵と戦うアクション官能小説。
 基本的に、前作「真夜中の復讐」のジャッコとローレンをメタルとフェリシティに置き換え、女性の境遇の設定を変え、敵をスケールアップしたもので、おおむね同じテイストの作品だと思います。


原題:MIDNIGHT PROMISES
リサ・マリー・ライス 訳:上中京
扶桑社ロマンス(文庫) 2016年1月10日発行(原書は2015年)
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真夜中の復讐

2017-02-05 21:10:28 | 小説
 アメリカ海軍特殊部隊(SEAL)隊員だったメンバーが設立運営している警備会社ASI(アルファ・セキュリティ・インタナショナル)の幹部社員ジャッコが、ASIの社長の妻であるインテリア・デザイナーのスザンヌがお気に入りにしている画家ローレン・デアに一目惚れし、欲情し、ローレンが人目に付くことを避け続ける原因となっている過去を探り、ローレンを付け狙う悪役と戦うという、アクション官能小説。
 肉体派で下半身が先行するマッチョ男が、美貌のインテリ女性に一目惚れし、高嶺の花と思われたが、執念深い敵に追われ逃げ続け他人(男)と深い関係を持てなかった事情もあり、相手も憎からず思い、思いを遂げるという、ガテン系男性読者の憧れ/妄想を満足させる作品というべきか、深窓の令嬢系の女性が逞しい男と肉体関係を結び、守ってもらいたい願望と性的満足/恍惚感を得るという女性読者のお姫様的願望を満足させる作品というべきか…
 ローレンの知的水準の高さを強調し、ジャッコがローレンを尊重する前半は、フェミニズム色も意識したかと思えましたが、終盤でローレンの致命的ともいえる判断ミスを設定しているあたり、知的な女性も結局は十分な判断力を持たないと言っているようで、基本は男性読者向けかなと思えました。時にはミスを犯す私をそれでもきっちり守ってくれる頼れる男性、への願望を満たすという意味で女性読者を狙っているのかもしれませんが。


原題:MIDNIGHT VENGEANCE
リサ・マリー・ライス 訳:上中京
扶桑社ロマンス(文庫) 2015年10月10日発行(原書は2014年)
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参勤交代の真相

2017-02-04 21:24:17 | 人文・社会科学系
 江戸幕府の大名統制制度の参勤交代について、その実情、費用、制度化と幕末の消滅の経緯などを解説した本。
 一方で莫大な支出に苦しみながら、大名行列の規模や衣装、先頭の槍持ち奴のパフォーマンスなどによる大名の格の誇示に執着し、国元と江戸では行列の人数を増やし衣装も派手なものとするなどしていた様子や、大名行列が重なるときのトラブル(格下側が譲歩させられプライドを傷つけられる)を避けるための配慮、天候、特に増水による川留めによる宿泊・人足費用の増加や宿の手配・キャンセル費用など、悲喜こもごもの様子が興味深く読めます。
 江戸城で大名が将軍に拝謁する際、将軍が現れる前に先払いの御坊主衆が「おー」とか「しー」と声をかけ、それであたりが一瞬のうちに静まり、この場面に遭遇した欧米人はカルチャーショックを受けたとか(169~170ページ)。「しーっ」って、そういう歴史のある言葉だったのか…
 参勤交代の大名行列の費用だけで藩の支出の5~10%を占めたとか(197ページ)。それが江戸と宿場町・街道筋に与えた経済効果も大きかったと考えられ、特異で合理性に欠ける制度ではあるものの江戸の経済を支える仕組みになっていたり、いろいろ考えさせられるところがありました。


安藤優一郎 徳間文庫カレッジ 2016年9月15日発行
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「あきらめる」のが上手な人、下手な人

2017-02-01 21:56:27 | エッセイ
 過去の経緯や決定、他人との比較や意地から方向転換ができないことの愚かさを説き、「あきらめ」て損害を最小限にとどめて出直すなどした方がいいということを勧める人生論・処世術の本。
 過去の努力や投資が無駄になることを恐れて方向転換ができないという事態は、よく見られます。ここまで頑張ったんだからと、引き返せなくなって傷を深めるというやつ。損切り・見切りができるかという話ですね。私は、基本的に、これまでにどれだけのものをつぎ込んだかよりも、これから先続けることのメリットとデメリットを重視して決めることにしていますので、これから先続けるのがものすごく疲れるもので、続けることで得られるメリットが少なくて自分の価値観としてそれほどの意味を見いだせないことなら、過去にどれだけの労力をかけていても関係なくあっさりやめます(仕事だと、契約した範囲はよほどのことがなければ終わりまでやりますけど、その範囲が終われば、次の契約をするかの段階では過去には囚われません)。そういうあたりの話では、著者の意見と同感ですし、実践できていると思います。
 しかし、ビジネス書にありがちですが、「あきらめる」というキーワードで多くのものというか何でもかんでも語ろうとしすぎて、メッセージがごちゃごちゃしているような印象もあります。「あきらめる」のは、何かを実現するためで、大きなものをあきらめないために、目の前のものをあきらめるということであったり、二兎を追えないから片方はあきらめろということで、そこでは「あきらめない」ことに意味が見いだされたりしているわけです。その何をあきらめ、何をあきらめないかの選択が大事なのに、そこがきちんと語られていないというか、ポリシーが見えにくいように感じるのです。
 また、女性については結婚か仕事かの二者択一を論じたり、正しいことの自己主張をするのではなく長い物には巻かれろと諭したり、旧世代の支配構造に都合のいい傾向を持つ本でもあります。
 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」という啄木の歌を引いて、足るを知るを説くのは共感します。友がみなわれよりえらく見ゆる日以外でも、妻と親しみたいと思いますけど。


斎藤茂太 角川文庫 2014年8月25日発行(単行本は2009年9月)
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サラダの歴史

2017-01-31 23:53:44 | 人文・社会科学系
 サラダの歴史と各国のサラダを論じた「食」の図書館シリーズの1冊。
 タイトルになっている「サラダの歴史」については、古代ローマ時代には、レタス(現在のロメインレタスに近いものだそうな)は生で食べるのが一般的だった唯一の野菜で、他の野菜は人の健康に害を与えるような成分を何かしら含むと考えられていた(21ページ)という話が紀元1世紀・2世紀の文献を引用して語られた後、突然「1554年の春、ルネサンス期の画家ヤコポ・ダ・ポントルモが、自分がおいしいと思った食べ物について日記に書き綴ったころまでには、サラダは数世紀続いた多難な時期を乗り越え、再び食卓に戻りつつあった。」(41ページ)とされています。生で食べられるものなら生で食べようとする人が多くいたはずで、当時どのような野菜があったのか、栽培可能だったのかはわかりませんが、一般に生食が回避されていたのか自体に疑問が残りますし、それならそれでなぜそうなったのかの探求が欲しいところです。また、1世紀・2世紀と中世の人々の暮らしが当然に同じというわけではないでしょうから、その間を埋める試みをして欲しいと思います。ドレッシングについても、昔から塩・油・酢(要するにいわゆるフレンチ・ドレッシング)が用いられていたということで、それが確立されていく試行錯誤の歴史も見ることができません。
 最後のレシピ集の1番「伝統のサラダ ミックスサラダ プラティーナ、1473~75年頃」(177ページ)で、「レタス、牛タン、ミント(中略)そのほか、香りのよい各種ハーブを集め、よく洗い、水気を切る」って…「牛タン」?これって「ハーブ」?プラティーナのレシピを紹介している本文の46~48ページを見ても「牛タン」は出てきませんけど(47ページに「ランセット(医者は子羊の舌と呼ぶ)」という記載があるので、それが「牛タン」に化けたんでしょうか)。


原題:SARAD:A GLOBAL HISTORY
ジュディス・ウェインラウヴ 訳:田口末和
原書房 2016年12月23日発行(原書も2016年) 
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作家の収支

2017-01-27 22:22:17 | 実用書・ビジネス書
 38歳でデビューして以後19年間に280冊ほどの本を書いた(まえがき)小説家の著者が、小説を出版したときの単行本、ノベルズ、文庫、ドラマ化・映画化による収益などについて語った本。
 これといった大ヒット作はなくマイナーな読者層を狙って書いているという著者が、大きな収益を得るために推奨しているのは、とにかく次々と出版すること。新刊が並んでいれば、過去の本もあわせて売れたりして長く売れるって。出版社が次々書かせてくれる、出版してくれること自体、売れてないと無理ですけど。
 原稿料が、小説でもエッセイでも、そしてどんな人気作家でも駆け出しの新人でも同じ、ものすごい傑作でもどうでもいいような駄作でも同じということに、著者は疑問を呈して(要するに不満なんでしょうね)います(29~31ページ)。弁護士の世界でも、会社の弁護士の場合はタイムチャージ(1時間当たりいくら)で新人弁護士(それでも1時間2万1000円とか)とベテラン弁護士(有名どころだと1時間5万円くらい)で単価が違うのですが、一般市民相手の法律相談とかだとどんな専門家の弁護士・ベテラン弁護士でもまったくの新人弁護士でもたいていは30分5000円(+消費税)です。かつては弁護士会の報酬基準がそうでしたし、弁護士会の報酬基準が公正取引委員会に競争制限だと言われて廃止された今でもほとんどの弁護士が自主的にその基準でやっています。専門の弁護士とまったくの新人弁護士では同じ時間相談しても、その質はまったく違うと思うのですが、そうは言ってもあまり高くすると一般市民の方が相談できなくなりますし…という配慮でそうなっているのだと思います。作家の原稿料の場合、出版社との力関係が大きいかもしれませんが、原稿料が高くなると文芸誌が作れなくなるし、というところで似たような話があるのかもしれません。


森博嗣 幻冬舎新書 2015年11月30日発行
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おいしいは正義

2017-01-26 23:12:34 | 小説
 3代続いた警察一家に生まれ、刑事となったが過去の事情で交通課勤務となっているいちご大福に欲情する/いちご大福にしか欲情しない倒錯性癖を持つ警察官杉元新一が、幼馴染の刑事三國健次郎に頼まれて通り魔事件の捜査の手伝いをするうちに、被害の第一発見者のさすらいの/ホームレスフードジャーナリスト松樹いたるの好奇心と知識・人脈に絡めとられながら、事件の真相解明に突き進むミステリー仕立ての恋愛小説。
 主人公は、パソコンが得意という設定ながら、ミステリーではおなじみのハッカーではなく、パソコンのスキルはふつうレベル(パソコンが普及してから生まれてきた今どきの若者は、むしろスマホの普及でふつうのパソコンは使えない人が増えているようなので、今どきの若者のレベルからは「パソコンが得意」なのかもしれませんが)。なぜか幼馴染の健次郎にまで異様に丁寧な言葉遣い、いちご大福に欲情することもあわせ、読んでいて今ひとつ主人公の視点に入りにくい(後半でそういうふうになった事情も説明されてはいるのですが)。
 ミステリーとしては、ちょっと飛んで外れた挙句に最後は予想されたところに帰り、中盤でそういう外し方をせずにうまく回り込んで最後は別のところへ持って行ってもらう方がいいんだけどなぁと感じました。好みの問題かとは思いますが。
 基本は、ちょっと外れた2人の恋愛ライトノベルと位置付けて読むべき作品だと思います。


松田未完 SKYHIGH文庫 2016年10月25日発行
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裁判と法律学 「最高裁回想録」補遺

2017-01-19 19:00:04 | 人文・社会科学系
 行政法学者から最高裁判事となり2002年9月から2010年4月まで最高裁判事を務めた著者の、退官後の講演と法律雑誌「法学教室」掲載の座談会を取りまとめて出版した本。
 前半の講演集の部分は、同じ話の重複がかなり多く、通し読みすると飽きるところはありますが、学者向けとはいえ講演なのでかなりわかりやすい。
 講演集の前半は、民事裁判では「真相解明」ではなく、その事案の適正な解決が最も重視されているということ、学者は法規範(法律・法解釈)がまず(確固たるものとして)存在しその事件の事実を法律に当てはめて判断がなされ判決がなされる(べき)と考えがちだが、裁判所はその事件の事実関係を前提にその適正な解決のためにはどの法を適用すべきか(どのように法を解釈すべきか)を考えるということを、繰り返し論じています。この点は、裁判実務を行っている者(裁判官、弁護士)には制度上も経験上も当然のことだと、私は思っていますし、私のサイトでも繰り返し説明しているのですが、一般の方にはなかなか理解していただけないところで、著者が裁判実務から学者の世界に帰って学者たちにこのテーマを繰り返し取り上げ強調して説く姿に、共感し同情します。
 講演集の後半は、著者の専門分野の行政法の領域での近時の最高裁の動き、特に行政裁量についての司法審査に関して、かつてのような行政法独特のドグマというか行政庁の判断(行政処分)であるがゆえに特別な扱いを受けるべきか否か自体に対する疑問/思考的なチャレンジが語られ、興味深いところです。
 後半の座談会は、率直に言えば、弁護士でも行政事件の経験がない(数的に見れば大部分の弁護士は行政事件にはタッチしない)人には難しいとは思います(たぶん、一般の方が読んでもチンプンカンプンだろうと思います)が、行政事件をめぐる近年の最高裁の動きに加えて、最高裁判事の事件に対する判断の際の思考パターンが垣間見えて、弁護士にとっては、とても示唆的な読み物になっています。最高裁判決(のみならず下級審判決についても)を読む際に、判例集で「判旨」として掲載されたり、判例雑誌でアンダーラインが引かれた部分だけを取り上げて、それが具体的事件の事実関係とどう関係するか、どの事実がその結果を導いているのかをあまり考えずに、他の事案(あらゆる事案)に当てはまると考える傾向が、学生(もし一般人が読めばもちろん一般人も)はもちろんのこと学者にも強く、さらには弁護士の多くもそうなりがちです。その点に関しては、私は常々判決は事案との関係、特にどの事実が判決の結果を導き出しているかに着目して読む必要があると、自分にも周りにも言い聞かせるようにしているつもりです。それでも特に最高裁判決に関しては、最高裁は他のケースにも当てはまる「判例」として法解釈を示している(最高裁には判例を統一する責務がある)と考えるのが一般的な受け止め方で、私たち弁護士は、その最高裁判決の射程はどこまでかということに強い関心を持っています。その最高裁判決の射程に関し、元最高裁判事が「なかなか判決の射程というのは読みにくいですね。」と話を振られて「読みにくい読みにくい。判決をしているほうも正確にどれだけの射程があるかということは見通しがつかないままにやっている、ついているつもりで実はついていないということが起こり得るわけですから。」(324ページ)と言っているのを読むと、目からうろこというべきか、驚天動地というべきか…
 出版物としては、すでにどこかに掲載された講演と座談会をただ集めただけの安易なものといえますが、私のような弁護士の目には、最高裁判事の事件に対する見方、思考パターンを知るうえで大変参考になる1冊でした。


藤田宙靖 有斐閣 2016年7月10日発行
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僕らのごはんは明日で待ってる

2017-01-15 20:39:22 | 小説
 仲のよかった兄が病死し殻にこもりたそがれている男子高校生葉山亮太が、体育祭で勝手に割り当てられた米袋ジャンプでコンビを組んだことを契機に同級生の体育委員上村小春から告白されて交際を始め、大学進学の意思がなかった葉山は上村が受験する女子大に一番近い大学を受けて入学し、人がすることを気にしない葉山は心が広いと誤解されて学内では「イエス」と呼ばれて人気者になり、上村と癖のある会話を交わしながら順調に交際を続けるが、2年たったところで上村から特に理由もなく別れようと言われ…という青春恋愛小説。
 葉山のいい加減さと上村の気まぐれ/ひねくれぶり、その組み合わせの会話で読ませている感じです。「米袋が明日を開く」「水をためれば何かがわかる」「僕が破れるいくつかのこと」の3話がストーリーとしても連続しているのに、最後の「僕らのごはんは明日で待ってる」が話が飛んで、名前の表記も「上村」から「小春」になっています。執筆の時期がずれているのかと思いましたが、初出は季刊誌「GINGER L.」(ジンジャーエール。だそうだ)の1、2、4、5号で連続しています。飛んだところは気(構想)が変わったのか、書けなかったのか。青春恋愛小説としては、その間を書いてほしいと思うのがふつうの読者じゃないかと思うんですが。
 ジャニーズのアイドルグループ Hey!Say!JUMP のタレント主演で映画化され、それが2017年1月7日封切で、その前日の朝日新聞夕刊の映画欄で主演女優のインタビュー記事があって、それを見てからその原作を図書館でネット予約したら、なんと予約待ちなしですぐ来てしまいました。いや、現在公開中の映画の原作本って予約数十人(数百人のときも)で数か月待ちがふつうでしょ。この映画の主要な観客層の若年層は公立図書館で本なんて借りない?それ以前に本なんて読まない?


瀬尾まいこ 幻冬舎文庫 2016年2月25日発行(単行本は2012年4月)
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