詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「嵯峨信之全詩集/時刻表(1975)」を読む(3-20)

2017-05-20 10:58:05 | 谷川俊太郎「詩に就いて」
「嵯峨信之全詩集/時刻表(1975)」を読む(3-20)(2017年05月20日)

39 *(砂の上に文字を書いては消し)

書くことと 消すことのあいだをゆきかえるぼくの心は
いつまでぼくに残るか
もし ぼくから去つていくなら何処へたち去るか

 文字を書いては消す。そのたびにこころが動く。「ゆき、かえる」という往復の動詞でとらえているのだが、最後に「残る」「たち去る」という動詞に変わる。
 「去る」は「行く」か。
 「行く」は「帰る」と対になるが、対であることを拒絶するのが「去る」なのだろう。そして、「去る」は「残る」という対を要求する。
 あるいは逆か。「行く」「帰る」という果のない運動のなかで生まれる「不安」が「残る」を誘い出し、それがさらに「去る」を誘い出すのか。
 動詞が微妙に動いている。
 「残る」のは「心」をなくした「肉体」か、それとも「去っていった心」を思う「心」か。

40 白あじさい

深夜
白磁の壺の中に一茎の白あじさいの花がさしてある

 「白」が繰り返されることで、さらに「白く」なる。違ったものが、同じ何かによって、さらに強くなる。深くなる。
 「行く」「帰る」の往復運動と、「残る」「去る」の永遠を思う。
 いくつかのことばが動き、そのあと、

それらの言葉のなかを何かが過ぎていつた
言葉のあわただしい夜の上を

 このときの「言葉」は「白」そのもの。「白」のなかを別の「白」が過ぎてゆく。そうすることで、それぞれの「白」がさらに「白く」なる。
 「白」ではなく、「なる」という「動詞」がそこにある。あるいは、生まれてくるのか。「過ぎていつた」を「去つていつた」と読み替えたい。
 誤読したい。
 だが、どう「誤読」していいのか、明確なことばにならない。この瞬間「言葉のあわただしい夜」の「あわただしい」が生々しく迫ってくる。
 「あわただしい/あわただしく」しか、わからない。いや、「あわただしい/あわただしく」が「肉体」としてわかってしまう。
 「白」と「白」。繰り返されるとき、無数に生まれ、去っていく「白」がある。


嵯峨信之全詩集
クリエーター情報なし
思潮社


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