詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「有識者会議」の嘘のつき方

2017-01-12 09:56:13 | 自民党憲法改正草案を読む
「有識者会議」の嘘のつき方
               自民党憲法改正草案を読む/番外65(情報の読み方)

 2017年01月12日読売新聞(西部版・14版)2面に次の見出し。

退位 特例法が軸/有識者会議 論点整理 23日公表

 具体的には、どういうことか。

 論点整理では、退位を実現する法整備として、①特例法制定②皇室典範の付則に根拠規定を置いた上で特例法を制定③皇室典範改正による恒久制度化--の3案を盛り込んだ上で、恒久制度化は難しいとの方向性を示す見通しだ。

 いままで報道されてきたことを考えると②が「結論」になるのだろう。しかし、皇室典範に「付則」を付け加えるのは皇室典範の改正には当たらないのか。「付則」だから「本文(?)」の改正ではないというのは、ごまかしの論理である。「付則」を増やし続ければ、どうなるのだ。
 自民党憲法改正草案には「緊急事態」条項がある。いまの憲法にはない項目である。これを「付則」としていまの憲法に付け加えれば、それは憲法改正ではないのか。「付則」を付け加えただけ、とは言えないだろう。
 もしかすると②は憲法改正の「手法」を探るための予備訓練かもしれない。
 公明党も「憲法改正ではなく加憲」という、奇妙な論理を展開しているが、同じ「嘘のつき方」である。
 「付則に根拠規定を置く」というやり方をいったん認めれば、次から次へと「付則に根拠規定を置いた特例法」が生まれる。
 すでに「戦争法案」というものが「付則」という形はとっていないが、「付則」と同じようにして「憲法」に付け加えられた。憲法の「戦争放棄」を無視して、つまり「憲法違反」の法律が誕生している。「憲法違反」の法律など無効であるはずなのに、「法律」として存在している。
 同じことが次々に起こる。
 「憲法改正」がむりなら、憲法に「付則」をつける。「付則」に「根拠規定」を置いた上で「緊急事態特例法」を制定する。
 絶対に、そうなる。

 2面の記事だけではわかりにくい。4面に御厨座長代理の会見要旨が載っている。そこに、こういうことばがある。

「(特例法か皇室典範の改正かなど)法形式論よりも現在の天皇陛下に限って判断するのか、すべての天皇を対象とする制度をつくるのかということが議論の主眼ではないのか」「特例法による(退位実現の)場合、国会でその都度国民の意思を反映し、状況に応じた慎重な審議ができるので、(典範改正による退位の制度化よりも)リスクは少ない」との意見も出た。

 「一代限りの特例法」は「みせかけ」。「一代限り」を装って「恒久的な制度」をつくろうとしていることは明らかである。しかも、その「恒久的制度」は「その都度」変更可能なもの、つまりその都度「一代限り」を繰り返すのである。「一代限り」が可能のな「特例法」をもくろんでいる。
 誰が天皇か、その天皇がどのような考えを持っているかを見極め、その都度「一代限りの特例法」を定め、対処する。言い換えると、安倍の都合にあわせて、そのときどきの天皇の在位期間を決めるということである。
 まず手始めに、今の天皇を追い出す(口封じをする)というのが、安倍のもくろみである。一度これが成功すると、次は簡単である。「理由」などどんなふうにもつけられる。皇太子の一家には雅子の「健康問題」がある。それを理由に退位を迫り、秋篠宮を天皇にする。しかし、それでは皇太子と秋篠宮の関係がぎくしゃくしそうなので、いっきに悠仁を天皇にする。あるいは「摂政」にし、安倍が「後見人」にして思いのままに「天皇制度」を利用する。
 天皇の問題だけではなく、天皇と権力の問題を関係づけて「恒久法」にする必要があるのだ。権力が天皇制度を利用できないようにする制度が必要なのだが、天皇の「意思」ばかりが問題にされ、権力の「意思」が問題にされないのは、非常におかしいだろう。大問題だろう。

 「状況に応じた慎重な審議」とは「美しいことば」だが、裏を返せば「状況に応じた天皇を在位させる(都合が悪ければ、その都度退位させる)」ということである。
 いまの状況を見ればわかるが、「国会でその都度国民の意思を反映し」ということ自体おこなわれるはずがない。天皇の生前退位意向が籾井NHKによってスクープされてから約半年。国会で天皇の生前退位問題が審議されているか。安倍は「有識者会議」を設置し、審議はそこに閉じ込められている。有識者会議には安倍にとって不都合な人間、たとえば野党の推薦する「有識者」を含んでいないだろう。安倍の「意図」にそった審議しかされていない。「国民の意思」など反映されないのである。

 「19年元日に新元号」。「国民生活への影響に配慮」というきのうのニュースも、非常にふざけた発想である。カレンダーの「年号」が「国民生活」にどう影響しているのか、実態調査をした上で言っているわけではない。単なる口実だ。
 すでに書いたが、いったん「元日に新元号」というシステムが作られると、次の天皇が退位する/即位するのも「元日」に制限される。「元日に新元号」は「元日に新天皇」という形にすり替えられ、「退位」強制の名目ができてしまう。
 カレンダーが大事なら、天皇即位の人「新元号」を切り離せばいいだけのことである。年の途中で天皇が交代したときは、12月31日までを前の天皇の「元号」、1月1日から「新元号」にすればいい。それでは今までの「歴史」との整合性がとれなくなるというかもしれないが、歴史の整合性と国民生活は無関係。国民の暮らしは、せいぜい「元号」が三回変わればおしまい。私は歴史に疎いせいかもしれないが、「明治」以前、どんな「元号」がつづいてきたか、天皇が誰だったかなんて知らない。暮らしのなかで考えたこともない。

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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ポエムピース

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