詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎『詩に就いて』(27)

2015-05-26 09:12:31 | 谷川俊太郎「詩に就いて」
 谷川俊太郎『詩に就いて』(27)(思潮社、2015年04月30日発行)


同人

詩をことばから解放したい
と彼女は言う
漂白されたような顔で
じゃ踊れば?と私は言う
肉体は恥ずかしいと彼女
都合よく大空を雁が渡って行く
あれが詩よ 書かなくていいのよ
書くと失われるものがあるのは確かだが
草の上にシートを敷いて二人は寝転がっている
他の同人たちは下の川に釣りに行っている

天から見れば私たちは点景人物
誰が描いた絵なんだろう この世界は
型通りの発想も時には詩を補強する
結局言葉なのね 何をするにも
唇は語るためだけにあるんじゃない
まだお握り残ってるわよ
食べるためだけにある訳でもない
愛でもっともすばらしいものは口づけ……
とトーマス・マンは書いている
おおい!と誰かが下から呼んでる

 「小景」「二人」「同人」と三篇、女と男(私/詩人/谷川?)の「やりとり」が書かれている。「小景」「二人」の女は詩は書いていないようにみえる。「同人」の女は詩を書いている、ように見える。谷川が若い時代、「櫂」で他の仲間といっしょに詩を書いていた時代に体験したことを思い出して書いているのかもしれない。
 詩を書きながら、女は「詩を言葉から解放したい」という夢を持っている。「書かなくていい」ものが詩であると、言いたい。これに対して、谷川は「書くと失われるものがあるのは確かだが」という形で、女のことばを半分受け入れながら、違うことを考えている。谷川の考えは明確には書かれていないが、「……は確かだが」というのは、その意見に対して「態度保留」という感じの部分がある。
 谷川は、谷川が詩だと思っているものと、他人が詩と思っているものの違いから、詩を定義しようとしているのだろう。
 女は「詩は言葉ではない(書かなくていい)」と考えている。「私」は、明確には書いていないのだが「詩は言葉である」と考えている。ただし「未生の言葉」(まだはっきりとした形になっていない言葉)と考えている。
 少し強引な「論理」になるかもしれないが、そのことを私は、二連目の

型通りの発想も時には詩を補強する

 という一行に読み取る。
 「型通りの発想」とは「定型」のことである。「既成の言葉」「表現として確立された言葉」。ふつうは、そういうことばを「詩ではない」と否定するのが、谷川は否定しない。それは「詩=未生の言葉」を「補強する」。
 どんなことばも、それひとつだけでは自立しない。動かない。ほかのことばに支えられながら、動きはじめ、他の力を借りて「生まれてくる」。既成のことばから動き方を学びながら、その既成を超えるものを手探りで探し出す。
 それは見つけられないかもしれない。
 けれど、「未生の言葉」を見つけようとする「動き(欲望/本能)」が詩である。
 
 「型通り(定型)」は「都合がいい」。一連目に「都合よく大空を雁が渡って行く」という行があるが、ことばではなく「大空を渡る雁」という「存在」が詩であるというのも、一種の「詩の感覚」の「定義」にあっている。「定型」のひとつである。「都合」にあわせられるのが「定型」というものなのか、「定型」だから「都合」がいいのか、わからないが、それは、ほとんど同じものである。既成の「美」が、「いま/不安定」なことばにならないものを、ことばへ向けて動かしてくれる。
 二連目では、「定型」はもっと明確に「既成のことば」そのままに引用されている。トーマス・マンの「愛でもっともすばらしいものは口づけ……」。その「定型」を通って、谷川は「未生の言葉」を動かそうとしている。トーマス・マンのことばに接続する形で、それを乗り越える(切断していく)ことを夢見ている。そこに、詩がある、と思っている。
 最後は、しかし、その「未生の言葉」を誕生させるのではなく、別なことばで、それまでの「世界」を叩き壊し、解放する。

おおい!と誰かが下から呼んでる

 呼んだ誰かは「同人」仲間なのだが、彼は、谷川と女が詩とことばについて「やりとり」していたことを知らない。そういう「やりとり」を叩き壊して、無関係に、呼んでいる。
 この「無関係」は「無意味」ということでもある。
 「無意味」にこそ詩がある、という谷川の哲学がここにあらわれている。
 「無意味」という点、自分たちとは無関係な「存在」という「意味」では、それは「大空を渡っていく雁」と同じものである。
 これを「都合よく」と読んでしまうと、この形式が谷川の詩の「定型」になってしまうが……。




詩に就いて
谷川 俊太郎
思潮社


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