詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

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自民党憲法改正草案を読む/番外32(情報の読み方)

2016-10-12 01:17:15 | 自民党憲法改正草案を読む
南スーダンで死んだら「衝突死」?
               自民党憲法改正草案を読む/番外32(情報の読み方)

NHK NEWS WEB(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161011/k10010725461000.html )(2016年10月11日12時24分)にこういう記事があった。

首相 南スーダン“衝突あったが戦闘行為にはあたらず”

 安倍総理大臣は、参議院予算委員会の集中審議で、来月、南スーダンに派遣される見通しの自衛隊の部隊に対し、安全保障関連法に基づく新たな任務を付与するかどうかの判断に関連して、ことし7月に政府軍と反政府勢力との衝突はあったものの、戦闘行為にはあたらないという認識を示しました。
 この中で民進党の大野元防衛政務官は、政府が、来月、南スーダンに派遣される見通しの自衛隊の部隊に対し、安全保障関連法に基づく新たな任務の「駆け付け警護」などを付与するかどうか判断するとしていることに関連して、「南スーダンでは、ことし7月に政府軍と反政府勢力との衝突事案があったが、これは『戦闘』ではないのか。新たな任務を付与するのか」とただしました。
 これに対し安倍総理大臣は、「PKO法との関係、PKO参加5原則との関係も含めて『戦闘行為』には当たらない。法的な議論をすると、『戦闘』をどう定義するかということに、定義はない。『戦闘行為』はなかったが、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった。われわれは、いわば一般的な意味として『衝突』という表現を使っている」と述べました。

 三段落目の「論理」が無茶苦茶である。
 「法的な議論をすると、『戦闘』をどう定義するかということに、定義はない。」これは「法律」は「戦闘」を定義していないということだが、どこの国の「法律」?
 日本の憲法は、こう書いてある。

第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争を放棄し、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 「戦闘」と「戦争」は違うというかもしれないが、ここには「戦争」が「定義」されている。「国際紛争を解決する手段として」「武力による威嚇又は武力の行使」することを「戦争」という。(「戦争の定義を、武力による紛争解決、武力による威嚇、武力の行使とする」と書いてなくても、「定義」はない、とは言えない。)
 南スーダンの場合は「国際紛争」ではなく「国内紛争」だから「戦争」ではなく「戦闘」とよばれるのかもしれないが、そうであれば「戦闘」とは「紛争を解決する手段として」「武力による威嚇又は武力の行使」することになるだろう。(実際にそこで行動している人には「戦争」と「戦争」の区別などない。武器で肉体が傷つけられれば死んでしまうかもしれないという「事実」があるだけだ。)
 先日、自民党議員のパーティー券の「白紙領収書」が問題になったとき、高市は「領収書の発行側の作成方法についての規定は法律上ない。主催団体が了解しているものであれば、法律上問題はないと考える。」と言ったが、それと同じ言い方だ。それは「法律」の読み方を間違えている。「白紙領収書」に勝手に金額、使途を書き込めば「文書偽造」だろう。
 「『戦闘行為』はなかったが、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった。」ではなく「武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった。武力をつかっているのだから、それは「戦闘行為」である」と考えるのが常識だろう。
 「武力の衝突」が「戦闘」である。「殺傷」があれば、それは「戦闘」である。「戦争」である。いつでも、ひとが死ぬ可能性があるということだ。「ことば/表現」で「事実」をごまかすな。
 「われわれは、いわば一般的な意味として『衝突』という表現を使っている」というが、「われわれ」とはだれのことか。安倍以外のだれとだれが「われわれ」と呼ばれるの仲間なのか。
 「われわれ」に、私(谷内)を含めるな。

 翻って。

 「衝突」と呼ばれているものについて考えてみる。
 いま沖縄・高江で起きている住民と機動隊とのあいだで起きていることは、なんと呼ぶべきか。「衝突」か。機動隊員が「武器」(殺傷能力を持つ道具)こそつかっていないが、頑強な「肉体」を利用して住民を強制的に排除している。これは、私の感覚では「武器」をつかっていないが「戦闘/戦争」である。ことば(会話/対話)による問題解決の方法を排除している。「暴力」に頼っているからである。
 民主主義では「衝突」とは「意見の衝突」に限定されないといけない。
 安倍は、「意見の衝突」を必死に避けている。「しっかり説明する」といった「戦争法」「TPP」も「憲法改正」も、「ことばの戦い」をしようとしない。
 安倍にとっては「意見の衝突/ことばの衝突」こそが「戦争」なのだ。そこで負ければ「死ぬ」。それを恐れている。そして、ひたすら「ことば」をずらしつづける。まともに答えない。
 しかし「意見の衝突」で、ひと(肉体)は死なない。もちろん、「意見の衝突」の結果、安倍の「こころが傷つく」、あるいは「身分を失う」ということはあるかもしれない。「身分を失う」ことは、安倍にとっては「死」かもしれないが、そんな「死」は「比喩」にすぎない。。

 「戦争/戦闘」は「比喩」ではない。「武器」は「比喩」ではない。「肉体」に直接働きかけ、いのちを奪うのだ。「法的な議論」「(法的な)定義」などと、よく平気で言える。無責任すぎる。
 「日本の法律では、自衛隊員は戦闘の行われないところに派遣されているのだから、そこで戦争に巻き込まれ死ぬことはない。たとえ死んだとしても、それは戦死ではなく、衝突死だ」ということになるのか。
 安倍は、きっとそういうに違いない。





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