詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

天皇生前退位の「論点」、あるいは「口封じ」の手口

2016-12-28 15:37:04 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇生前退位の「論点」、あるいは「口封じ」の手口
               自民党憲法改正草案を読む/番外59(情報の読み方)

 2016年12月28日読売新聞朝刊(西部版・14版)の2面に、次の見出し。

退位論点 来月23日公表/有識者会議調整/法制化理由 焦点

 記事では、「前文」でこう書いてある。

特例法を制定し、現在の天皇陛下にかぎった退位の実現を求める方向性を打ち出す方針だが、退位理由をどう説明するかが焦点となっている。

 これを「末尾」で、こう言いなおしている。(番号は、私が便宜上、振ったもの)

 焦点となっているのは、
(1)なぜ退位を可能とする法整備を行うかという点の書きぶりだ。
天皇は「国政に関する権能を有しない」と定める憲法4条との関係から、
(2)陛下の「意思」を退位理由にすることは難しいとの見方が強い。
同会議は「高齢」を退位理由とすることも検討したが、
(3)「何歳から高齢なのか定義できない」との意見が相次いだため、
(4)報道各社の世論調査などで「多くの国民が退位を支持している」ことを理由とする案が有力になっている。

 いくつかの疑問を感じる。要点から言うと、(4)に特に疑問を感じる。
 世論調査ではたしかに「多くの国民が生前退位を支持した」。しかし、これは天皇が「生前退位」の意向を持っているということがニュースになり、その後、天皇が8月8日にビデオでメッセージを放送した直後のものである。「多くの国民」は、天皇の「意向」に対して安倍がどういう姿勢で向き合っているのか知らない状態で「生前退位」を支持した。ビデオ放送からすでに4か月が過ぎた。その間に、国民の意見は変わっているかもしれない。簡単に「多くの国民が退位を支持している」とは判断できない状況ではないのか。4か月前の「判断」をそのまま採用するというのは無責任である。
 4か月の間に有識者会議が何回か開かれた。専門家がヒアリングに応えている。それを読んで国民はどう考えたか。それを重視しないといけない。4か月の間に起きたことを省略するのでは有識者会議の意味もないだろう。
 そして、これがさらに重要なのだが、この4か月間、有識者会議は国民に向けて、どれだけ情報を提供したか。国民からどれだけ「意見」を聞いたか。単に「密室」で専門家から意見を聴き、それをつまみ食いして「論点」を生理用としているだけである。
 これは民主主義に反する。
 広く国民から意見を聞きとる工夫が省かれている。世論調査も有識者会議が主体となって調べたものではない。他の機関が調べたものを、精査もせずに採用しようとしている。都合がいいから、それを「つまみ食い」する。専門家の意見を「つまみ食い」しながら論点を整理するのと同じ方法である。
 そこでは少数意見が無視されている。議論も無視されている。「主張/意見」というのは他人の意見に触れることで変わるものである。その変化を大事にし、意見の向かう先を見極める。これが民主主義である。
 そういう「手間」を省いたものは民主主義とは言えない。「手間」を省きながら、最後は「国民の多くが支持している」と自分たちの責任を放棄している。責任を「国民」に押しかぶせている。
 こういういい加減なあり方でいいのか。
 最初から「結論」があって、それを打ち出すために「国民」を利用している。

 (3)は、もっともらしく聞こえるが、今後のことを考えると危険なものがある。有識者会議は「一代限りの特例法」を念頭に置いているようだが、先に御厨が「一代限りであっても、特例法を今後に適用できる」というような発言をしていた。
 これは次に天皇になった人が、たとえ「高齢」でなくても「退位」させる口実になる。「85歳で退位」と決めておけば「85歳」になるまで退位させることができない。それでは不都合だから、年齢を設定しないということだろう。いつでも政権にとって不都合な天皇(政権が口封じをしたい天皇)の場合は、「高齢」の「年齢設定」があっては困る。だから、設定せずにおく。
 そしてそのとき、きっと「国民の多くが天皇の退位を支持している/望んでいる」という形でまた「国民」が利用される。

 (2)も逆に読むべきだろう。天皇が「退位したい」という意思を持っており、それに従うことは憲法違反になる、というよりも、天皇が「退位したくない」といったときにどうするかを考慮に入れているのだと思う。天皇の「意思」ではなく、政権の「意思」をどう反映させるか。政権の「フリーハンド」を残しておくために、「天皇の意思」に従うことは憲法違反であると言うのである。

 私の読み方は「妄想」に満ちているかもしれない。
 しかし、ことばは、どう読むことができるか。裏から、表から、斜めから、点検する必要がある。
 「TPP反対とは一度も言ったことがない」と平気で嘘をつく安倍が設置した有識者会議である。安倍のように平気で嘘をつく、と考えて向き合わないといけない。

 これは(1)の問題につきあたる。
 「書きぶり」ということばを読売新聞はつかっている。
 「結論」をどう書くか。書き方次第では、違った読み方ができる。外交文章では、あることばを自分の国のことばでどう翻訳するかということが常に問題になる。「ことばの意味」は「ひとつ」ではない。
 新聞ではこう書いてある。テレビでは、こう言っている。それを「私のことば」で読み直すと、どうなるか。「私」の「多様性」で、「多様な読み」をつきあわせる。そして考えるということが重要である。

 きのう、天皇の「新年の感想」が来年は中止になるということについて書いた。天皇のことばは「天皇の見た現実」である。天皇は象徴だけれど、ひとりの人間でもある。「個」である。つまり「多様性」の「ひとつ」である。その「多様性」の「ひとつ」が安倍によって弾圧され、消される。

 籾井NHKが「天皇の生前退位」をスクープしたあと、宮内庁長官が風岡典之から西村泰彦に変わった。このとき、世間では「天皇の気持ちを抑え込めなかった風岡への、安倍からの報復人事」という見方が広がった。
 私は、逆だと思っている。
 籾井NHKをつかって「天皇の生前退位」という問題を表面化させ、それを利用して天皇の口封じをするというのが安倍の動きの基本である。口封じを加速するために西村を送り込んだのである。
 「報復人事」などというの「書きぶり」は世間を興奮させる。問題を見えにくくする。それに「報復人事」を全面に出すと、その影響で「天皇が自分の意見を言う」ということが「憲法違反」という印象を強くすることにもなる。悪いのは天皇。悪いことをする天皇を抑えきれなかった風岡を更迭するというストーリーを全面に出すとき、安倍の天皇の口封じというストーリーは背後に隠れる。
 安倍は天皇の口を封じるためなら何でもする。
 「生前退位」問題も、突然のものではなく、すでに事前に何度も宮内庁(天皇)と官邸は交渉している。官邸が「摂政ではだめなのか」と提起し、天皇が「だめだ」と応えたらしいことは報道されている。すでに安倍が熟知していることが表面化しただけである。そうであるなら、それは「表面化した」というよりも、「表面化させた」ととらえるべきである。
 「表面化」させることで天皇の口封じを加速している。
 天皇の退位問題をどうするかは憲法に関係してくる問題なのに、それを「特例法」という場当たりで解決しようとしているところからも、天皇の口封じをするのだという安倍の「強い決意」を私は感じる。

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