詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岬多可子「桜病院周辺、春」

2007-04-14 14:20:47 | 詩集
 岬多可子「桜病院周辺、春」(「樹林」25、2007年03月16日発行)。
 高見順賞受賞作『桜病院周辺』のなかの一篇が転載されている。

(重)

八重の桜が重くて
眠い。
熱帯の河を
暗い部屋に流れる映像で見ていると
自分の腕や脚が嵩を増し
他人のもののように思えてくる。
他人の腕や脚。
そんなものを運ぼうとしたら
重いだろうな、
思いどおりにならないだろうな。
春の
雨を含んだ夜に
ものを切、断、する音がある。
重くて眠い音。

 春の倦怠感−−その体で感じる重力がとても自然だ。

他人の腕や脚。
そんなものを運ぼうとしたら
重いだろうな、
思いどおりにならないだろうな。

 「重い」と「思い」はことば遊びだが、思考が「遊ぶ」ことでしか動かない、そういう倦怠感と重なり合う。
 重なるはずのないものが重なり合い、重なり合うことで動いていく。
 それは、「八重の桜」と「重い」、「重い」と「熱帯の河」の水の「重さ」、さらには「熱帯の河」水の量、「嵩」(水嵩)へと揺れる。そしてそれは「自分」と「変化してしまった自分」、眠くて、体中が重くて、まるで「他人のように感じる自分」(他人)への移動を、まるで熱帯の大河の水が海や流れるように、ゆらゆらとたゆたいながら、自然に動かしていく。
 ものうさ、倦怠とはたしかにこうしたものだと思う。
 「重い」「思い」は重なり合って「重い思い」になる。「重い」といっても持ち上げられない重さではなく、「重い」と「思って」しまう程度の重さ。
 「重い思い」はまた「思い思い」でもあるのか、思考はひとつにまとまることをいやがって、すぐにほかのことへと逃げていく。

雨を含んだ夜に
ものを切、断、する音がある。

 「切断」ではなく「切、断、」。ほんらいひつとのものがばらばらになっている。倦怠感の重力は、思考を、そんなふうに分離させる。

 倦怠感がそのままことばの肉体を獲得した、とてもすばらしい詩だと思う。


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