醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  408号  白井一道

2017-05-25 16:41:46 | 日記

 去来抄から 凩の地にもおとさぬしぐれ哉 去来

句郎 芭蕉が偉いのは弟子たちに恵まれたということなのかな。
華女 芭蕉にはそんなにたくさん弟子がいたの。
句郎 今の俳人たちにも強い影響力を持っている著書を書き残した弟子がいるからね。
華女 『去来抄』を残した向井去来ね。
侘助 そう、俳諧の古今集と言われている「猿蓑」を編集したのも去来だからね。
華女 去来は偉い俳人だったのね。去来の人に知られた句は何なの。
句郎 『去来抄』の中に「凩の地にもおとさぬしぐれ哉」という句がある。
華女 自分で書いた著書の中で自分の句を載せているの。
句郎 師に添削された例として載せているんだ。
華女 なるほどね。どのように添削されたのかしら。
句郎 発案は「凩の地迄おとさぬしぐれ哉」だった。それを芭蕉は「凩の地にもおとさぬしぐれ哉」と添削した。「迄」を「にも」に訂正した。
華女 あぁー、「迄」だと説明になるということね。確かに「にも」になると表現になるわね。
句郎 芭蕉は説明になるとは言っていないんだ。
華女 何と言っているのかしら。
句郎 「ただ地迄とかぎりたる迄の字いやしとて、直したまいけり」と去来は書いている。
華女 迄だと「いやし」いのね。「いやし」とは「卑しい」ということね。
句郎 そう、卑しい、表現になっていないということだと思う。
華女 でも、「いやし」と言っている意味が分からないわ。
句郎 なぜ卑しいのか。ちょっと解りずらいよね。俳句は文字に書いたものを読者に読んでいただくものだよね。だから読者に著者の気持ちというか、主観というか、感情を押し付けるのは「卑しい」ことなんじゃないのかな。だから説明とは読者に押し付けるものなんだよ。だから読者は押し付けられるものは嫌なんだよ。読者は自分で句を読み、自分で鑑賞したいんだよ。著者は読者を敬うことが上品なんだよ。読者に自分の説明を押し付ける句は下品な卑しいものなんだと思うんだけどね。
華女 芭蕉は読者を敬っていたのね。確かに読者を敬ってくれる著書は楽しく読むことができるわね。
句郎 芭蕉は今から三百五十年前に人を敬うことを知っていたんじゃないのかな。だから芭蕉の周りには沢山の弟子たちにあつまってきたのじゃないのかな。
華女 去来のように私は師匠にこのように添削されましたと『去来抄』に書き残したのね。
句郎 添削の具体的な例を残しているのが現代に生きる俳人たちに大きな影響を与えているんじゃないかと思うんだ。
華女 そうよね。「凩の地迄おとさぬしぐれ哉」では、確かに凩を説明しているわね。「地迄」と限定しているものね。
句郎 「地にも」になると読者は凩に対する想像は限りなく広がっていくからね。読者の想像力を刺激するということなのかな。
華女 表現することは読者を敬うことなのね。読者を敬うと必然的に説明ではなく、表現になるのかしもしれないわね。
句郎 読者を敬うことが上品だということだよ。

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