醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  390号  白井一道

2017-05-06 14:26:26 | 日記

 万葉集の酔いの歌

句郎 万葉集に酔いの楽しみを詠った歌があるのを華女さん、知っている。
華女 万葉集にそんな歌があるの。全然知らなかったわ。誰が詠っているの。
句郎 万葉集の歌人というと、華女さんが知っている歌人は誰?。
華女 高校生のころ、習った人でいうと、貧窮問答歌の山上憶良とか、柿本人麻呂、額田王、大伴家持といったところかな。
句郎 「春の苑紅におう桃の花下照る道にいで立つ乙女」。誰の歌だったか、覚えている?。
華女 失礼ね。私は有名大学の日文科出身よ。もちろん、知っているわよ。大伴家持でしょ。
句郎 そう、その家持の父親が大伴旅人だ。この大伴旅人が大宰(だざいの)帥(そつ)だったときに詠んだ中に酒を讃(ほ)むる歌があるんだ。
華女 どんな歌なの。
句郎「驗(しるし)なき物を思(おも)はず一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし」という歌なんだ。
華女 「驗(しるし)なき物」って、どんなものなの。
句郎 成果のでないもの、考えても甲斐のないものというような意味のようだけどね。
華女 それじゃ、思っていても仕方がないようなときには酒でも飲んで気を紛らした方がいいと、いうような歌なの。
句郎 おおよそ、そんな解釈でいいと思うけどね。
華女 男って、昔からだらしがなかったのね。苦しいときに男は享楽的になるのね。
句郎 この歌を享楽的なものだと解釈するのは疑問だね。
華女 なぜ、この歌は酒でも飲んでどんちゃん騒ぎをして楽しめば憂さもはれるという歌じゃないの。
句郎 そうじゃないんだ。哀しみに耐えている歌なんだ。旅人は大宰府で妻を亡くしている。亡くなった妻をいつまで思っていても、亡くなったものはしかたがない。更に大伴氏は宿祢(すくね)という姓(かばね)を持つ天孫降臨の氏にして大和朝廷の大貴族だったんだ。その氏族の長であった旅人にとって藤原氏の台頭によって大伴氏は衰退していっている。この哀しみがあった。このようなことをいつまでも悔やんでいても、どうなるものでもない。親しい仲間とお酒を楽しむ。酔いの楽しみに生きる力を育もうというような意味だと思うけれどもね。
華女 やっぱり、そうじゃない。哀しみを忘れるために酔っ払おうというんじゃないの。違うの。
句郎 うーん。難しいな。「哀しみを忘れるために酔っ払おう」というのじゃないと思うんだ。「一坏(ひとつき)の濁れる酒を」飲んでどんちゃん騒ぎをするのじゃなくて哀しみに耐えようという気持ちを表現しているように考えているんだけどね。
華女 句郎君がそういう気持ちはわかるような気がするわ。そういって、句郎君もまたお酒を飲もうというのじゃないの。高尚そうな理由をくっ付けてみても、ようはお酒を飲みたいわけよね。それにつきると私は思うわ。
句郎 お酒を楽しまない人には酔いの楽しみがいかに大事なものかわからないのかもしれない。
華女 何言っているの。

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