醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  540号  白井一道

2017-10-12 13:18:45 | 日記

 しのぶさへ枯て餅かふやどり哉 芭蕉


侘輔 「しのぶさへ枯て餅かふやどり哉」。『野ざらし紀行』に「社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰に石をす(ゑ)えて其神と名のる。よもぎ、しのぶ、こゝろのままに生たるぞ、中なかにめでたきよりも心とヾまりける。」と書きこの句を載せている。貞享元年、芭蕉41歳の時の句。
呑助 芭蕉は茶店のようなところで餅を買い、茶を飲み、餅を食べながら、昔はさぞ立派な神宮だったことだろうと懐旧の念に浸っているということですか。
侘助 「社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる」と書いているからね。諸行無常ということなのかな。
呑助 この「社」とは、熱田神宮のことですか。
侘助 そうなんじゃないのかな。「熱田の宮にやすらひて」と前詞を書き、「荵(しのぶ)さへ枯て餅うるやどりかな」という句も芭蕉は残しているようだから。
呑助 熱田神宮といったら、今じゃ、伊勢神宮にも負けないような立派な神社ですよ。それが芭蕉が生きた時代にあっては、社は荒れ果て野草の中に土塀は倒れている。縄のはってあるところが社の跡になっている状態だ。その中に石が据えられている。その石が熱田神宮の神さまだというんですか。
侘助 蓬や荵が好き放題に繁茂していることに熱田神宮の神様の有難さよりも心に残ったことだったんじゃないのかな。
呑助 神社は独自に信者を獲得する努力をしていかないと生き残れないんですね。
侘助 神社の大きな収入源の一つが暦の発行だったんじゃないのかな。
呑助 農民にとって暦はなくてはならないものだったんでしようからね。
侘助 「しのぶさへ枯て」というのは、「荵草」のことなんだろうね。と同時に枯れた野草の中にある在りし日の社を偲ぶという意味もあるんだろうね。
呑助 「やどり」というのは休憩したということですか。
侘助 餅を買い食いし、茶を飲み、休んだということだと思う。
呑助 熱田神宮が三百年前は寂れていたんだということに何か、歴史の発見がこの句にはありますね。今の我々にとって。
侘助 そうだね。俳句的に言うと今一という感じがしないでもないかな。
呑助 そうなのかもしれませんね。芭蕉さんにとって、神社はとてもありがたいものだという信心を持っていたということも分かりました。
侘助 江戸時代に生きた人々にとって神社は心を癒してくれた場所であった同時に体を癒してくれる娯楽の場所でもあったのかもしれないな。
呑助 江戸時代の門前町は今の歓楽街のようなものだったということですか。
侘助 伊勢にも色町というか、花街、遊郭があったように信仰と酒と女というものが一体のものとして門前町にはあったんじゃないのかな。
呑助 芭蕉の色町でいろいろ遊んだんですかね。
侘助 丸谷才一が述べていた。芭蕉は恋句を実に上手に詠んでいるとね。
呑助 色町で遊んだ経験があればこそ上手に恋句を詠んだということなんですね。
侘助 そうなんじゃないの。

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