醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  413号  白井一道

2017-05-30 16:08:18 | 日記

 夜伽の句は気持ちを詠む

句郎 元禄七年十月十一日、難波、御堂筋の旅籠「花屋仁左衛門」の離れ家には重苦しい空気が張り詰めていた。芭蕉は病を得て瀕死の床の中にいた。芭蕉の弟子たちは師匠を囲み夜伽の句を詠んだ。「うづくまる薬の下の寒さかな」と丈草が詠むと師・芭蕉は「丈草できたり」と言った。このようなことが『去来抄』に書いてあるんだ。
華女 芭蕉の死の床には誰がいたの。
句郎 夜伽の句を詠んだ弟子たちは八人いたみたいだよ。
華女 八人もいたの。驚きだわ。名前と句もわかっているんでしょ。
句郎 一番弟子の其角、去来、丈草、惟然、支考、正秀、木節、乙州の八人のようだ。
華女 それぞれの弟子が詠んだも伝わっているのね。
そのようなんだ。芭蕉さんて、凄い俳人だったのね。今から三百五、六十年前の人だったんでしょ。
句郎 現在に至るまで多くの人に影響を与え続けているからね。
華女 八人の句の中で芭蕉が褒めた句は丈草の詠んだ句だけだったのかしら。
句郎 そうだったみたいだよ。支考は「しかられて次の間へ出る寒さ哉」と詠んだ。丈草の句と比べてみると丈草の句の方が良いよね。
華女 遥かに丈草の句の方がいいと思うわ。
句郎 うずくまって皆が黙っている。この静かさが身に沁みるのかな。
華女 丈草の句の「寒さ」が効いているんじゃないのかしらね。
句郎 そうなんだろうね。旧暦の十月十一日というと新暦の十一月二十八日のようだから、寒さが身に沁みる頃かもしれないから、本当に寒かっのかもしれないけれど、それだけでなく、芭蕉が亡くなるという寒さを表現しいるような気もするよね。
華女 そうね。薬瓶が置いてあっかもしれないから、その下から寒さが伝わってくるのよ。
句郎 そう。芭蕉を慕う気持ちが静かに伝わって来るものね。
華女 丈草の句と比べて、支考の句は初心者の句みたいだわ。
句郎 そうだよね。「かかる時は、かかる情こそ動(き)侍れらめ」と去来は芭蕉の言葉を理解したようなんだ。
華女 「丈草できたり」と芭蕉が言った言葉を去来は気持ちを詠めと理解したと言うことでいいのかしら。
句郎 そうなんじゃないかな。余命いくばくもない人を囲み、その人を思う気持ちを詠むことが夜伽の句なんじゃないのかな。
華女 俳句は即興で詠むんでしょ。だから即興で何を詠むべきかということはその場、その場に合った句でなくちゃらないわけね。
句郎 そうだよね。挨拶句なら、挨拶する句でなくちゃね。今日はいい天気ですね、というような句は挨拶句になるんじゃないのかな。
華女 そうよね。即興で夜伽の句を詠む場合でも、夜伽でお酒を楽しむ場合だったら、また別の気持ちになるわけなのね。
句郎 もちろんだよ。俳句というのは自分の気持ちを周りの人に伝える手段なのかもしれないな。おしゃべりじゃ、伝わらないことを十七文字にして表現すると伝わるというなのかもしれないな。言葉は話すことだけでなく、文字にすることによってより深く、つたわることがあるということなのかもしれないなぁー。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿