醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  587号  痩せながらわりなき菊のつぼみ哉(芭蕉)  白井一道

2017-12-10 14:45:07 | 日記

 痩せながらわりなき菊のつぼみ哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「痩せながらわりなき菊のつぼみ哉」。この句は「起きあがる菊ほのかなり水のあと」と一緒に詠まれた句であろうと考える人が多いようだ。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 「わりなき」とは、どのような意味の言葉なのかしら。
句郎 1975年に出版された大野晋他編『岩波古語辞典』では、「ものごとをうまく処理し、打開しようにも、筋道が付かず、どうにもならない状態である意」と説明している。だから現代語としては、どうにもならない」「やむを得ない」「耐えがたい」等の訳語を当てている。2003年『ベネッセ全訳古語辞典』では、「ことわりと同じ意味の『わり』に形容詞『なし』が付いて一語になったもの」と説明している。①分別がない。むちゃくちゃだ。②苦しい。辛い。③なすすべがない。どうしようもない。④特別に。たいへん。⑤素晴らしい⑥親しい。縁が深い。などの訳語を当てている。
華女 句郎君はどのような訳語がいいとかんがえているかしら。
句郎 痩せながらいじらしい菊のつぼみだこと。または、痩せながらけなげな菊のつぼみだなぁー、と。このような訳でどうかなと、思っているんだけれど。
華女 床下浸水のような水害を受け野菊はやせ細ってはいるけれどもつぼみを付けているのはなんともいじらしいということね。
句郎 そのような解釈でいいんじゃないかと思っているんだ。
華女 水害にもめげずに生きていこうという励ましの句ということね。
句郎 芭蕉の句は、そのような句だと思うよ。山本健吉は『芭蕉名句集』河出書房新社版の中で「痩せ細った庭前の菊の身にとっては、莟をつけるということは、大変な重荷なのだが、詮方なくもつぼみをつけてしまったというつらさの認容である。痩せ菊が自然のやむにやまれぬ力に屈服して、莟をもったという、無力さへの愛隣である。みごもって捨てられた貧しい女の切ないあきらめ心も連想される。弱い女性の運命への共感を示した、『細み』の句である」。このような頓珍漢な評釈をしている。山本健吉の想像力の凄さに呆れるばかりだけれど。全く間違った評釈をしていると、私は考えているんだけどね。
華女 山本健吉といえば、名のある文芸評論家だったんじゃないの。
句郎 『現代俳句』なんていう名著のある文芸評論家なのかな。
華女 「わりなき」という言葉に対して間違った解釈をした結果、山本健吉は頓珍漢な評釈をしてしまったということなのね。
句郎 誰でも基礎的な小さな間違いが大きな間違いになるということをしがちだということを肝にめいじないといけないよね。
華女 そうよ。誰にでも間違いはあるものよ。
句郎 大野晋の辞書にも不十分さがあるものね。この辞書に基づいて解釈すると山本健吉の解釈のような解釈が出てくるのもやむを得ないのかもしれないと思うね。
華女 古語辞典も日々変わっていくものなのね。
句郎 古文を読む営みは自分で現代文に翻訳して読むような営みなのかもしれないからね。

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