醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  403号  白井一道

2017-05-20 12:29:51 | 日記

 飲み友の死

 四八歳の若さで友人のセーさんは死んだ。柩の蓋を開けた居酒屋のママさんは大声をあげて泣きだした。回りにいる者が驚くような大きな声で鳴いた。真っ赤に泣き腫らしたその目を見て、私はなぜそんなにママさんが泣くのか分からなかった。私の奇異な顔を見て、隣にいたセーの上司であったM食品工業の常務さんがそっと耳打ちしてくれた。「ママさんはセーの内縁の妻だったらしいよ」。
 セーさんは私がその居酒屋で知り合ったただ一人の友だった。一緒に長野の酒蔵見学を兼ねた旅行もした。何回も一緒に酒を飲み、カラオケも楽しんだ。仕事で地方に出たときに買ってきた地酒を持ちより私の自宅でも数回飲み会をした。利き酒の会も何回も一緒した。そんな付き合いが五年近くも続いていた。それなのにセーさんとママさんが内縁の関係にあったことには全然気づかなかった。
 セーさんはテレビコマーシャルで誰でも知っている食品会社に勤めていた。東京の有名私立大学を卒業し、その食品会社に入社した。若かったころのセーさんは女性の間で人気があった。その名残が残っていた。私たちの中でのアダ名は市長だった。セーさんは端正な顔立ちの中年男だった。セーさんはその食品会社に入社して数年後、社内恋愛のすえ、結婚した。結婚後も奥さんは仕事を続けた。夫婦共働き、男の子が二人生まれ、幸せな生活が続にいていた。ある日、セーさんが家に帰るとガランとしていた。胸騒ぎがした。奥さんと子供のものがない。奥さんと子供たちはセーさんを家に置いたまま出ていった。セーさんがお酒を本格的に飲むようになったのはそれからである。
 「ゼーさんは本当に律義な人なんだから。奥さんと離婚してからというもの一度として子供さんへの仕送りを滞らせたことがないのよ。毎月、十二万円、子供たちが二十になるまで仕送りしていた記録が銀行の通帳に残っていたわよ。本当にまじめな人だったのよね。」セーさんが亡くなってから、偶然、他に客がにいないとき、居酒屋のママさんはセーさんを思い出して話し始めた。「こうのろけられたんじや、今日の飲み代はサービスかな」。私はママさんに言った。「いつ頃から付き合い始めたの」。「三年前くらいからよ。セーさんの部下のEさんがいたでしょ。彼がセーさんの手紙を私に届けてきたのよ。今度、一緒に食事をしましよう、というお誘いだったのよ。私、初めは、全然その気はなかったんだけど、私の友だちがやっているレストランがあるでしょ。そこでお昼ご飯なら一緒に食べてもいいわよ、と何回か、誘われたとき、言ったのよ。それからだったかしら。付き合い始めたのは。彼、正真正銘の独身だったでしょ。だから、安心して付き合えたのよ。奥さんがいる人だったら、付き合わなかったわ。だって面倒でしょ。私も独身だったし、ちょうど、良かったのよ。月々五万円、いただいて彼の身のまわりの世話をしたのよ。部屋代、光熱費などは、全部彼がもって、私はただ彼の部屋に居候してたのかな。本当に楽しかったわ。札幌の雪祭りには二回行ったでしょ。沖縄にも行ったし、日本全国行かなかったところなんてないくらいよ。いい思い出になったわ。日曜日にはバドミントをしたり、釣りに行ったり、遊ぶのに忙しかった。帰って彼がお風呂に入ると体を全部洗ってあげるのよ。するととても悦んでね。それがまるで
子供なんだから。毎日が楽しかったね。でも怒ると恐いのよ」。ママさんのノロケ話はつきることがない。商売を忘れ、ウットリしている。
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