醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  591号  星崎の闇を見よとや啼千鳥(芭蕉)  白井一道

2017-12-14 15:23:28 | 日記

  星崎の闇を見よとや啼千鳥  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「星崎の闇を見よとや啼千鳥」。「鳴海にとまりて」と前詞を書き、この句を詠んでいる。また真蹟画賛の前書きには、「寝覚めによいのは松風の里、呼続(よびつぎ)の浜は夜明けてから、笠寺は雪の日がよい」とある。『笈の小文』に載っている句である。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 星崎とは、地名なのかしら。
句郎 鳴海にある地名だと思う。松崎の風、呼続の浜も地名のようだ。笠寺で芭蕉は句を詠んでいる。
華女 どんな句を詠んでいるのかしら。
句郎、「笠寺や漏らぬ岩屋も春の雨」という句のようだ。
華女 笠寺には「漏らぬ岩屋」があるのね。
句郎 「草の庵を何露けしと思ひけん洩らぬ岩屋も袖はぬれけり」という行尊の歌をふまえて芭蕉は詠んでいるようだよ。
華女 鳴海は何で有名なのかしら。
句郎 「鳴海潟汐の満干の度ごとに路踏みかふる浦の旅人」と南北朝の時代、後醍醐天皇の第四皇子宗良親王が鳴海を詠んだ歌があるようだ。当時は鳴海潟という干潟が広がり、千鳥が鳴いていた。だから鳴海は千鳥の名所になったようなんだ。江戸時代になると干拓が始まり、今では当時を偲ぶことができなくなっている。当時の鳴海は歌枕になっていた。
華女 芭蕉は月のない真っ暗な夜、鳴海星崎で千鳥の鳴き声を聴いたのね。
句郎 千鳥の鳴き声が詩人芭蕉の心を刺激したんだろうね。
華女 浜辺に千鳥の鳴き声を聴くと歌を詠みたくなるのよね。歌人たちはきっと。
句郎 芭蕉は知っていたのか、どうかわからないけれども、万葉の時代から千鳥は詠み続けられてきたようだからね。
華女 「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしぬに古おもほゆ」という柿本人麿が詠んだ歌が『万葉集』にあったように思うわ。
句郎 芭蕉のこの句は、歌仙の発句だったようだ。
華女 星崎の闇を見て、月光に照らされた鳴海潟を想像してみて下さいと、千鳥が鳴いていますよと、芭蕉は句を詠んだのよね。
句郎 星空の下の鳴海潟を想像してみて下さいともね。
華女 「星崎」という地名は星と関係があるのかしら。
句郎 紀元637年頃、この地に星、隕石が降ったという言い伝えがあったようだ。だから「星宮社」という星にちなんだ神社がこの地にはある。星崎の地名の由来は星降る里だったからじゃないのかな。
華女 星降る里、ちょっとロマンチックになるわね。月の光に照らされた鳴海潟と星空ね。千鳥の鳴き声を聞くと闇の中に芭蕉は想像したのかもしれないわね。
句郎 千鳥の鳴き声を聞き、和歌を思い浮かべ、月光と鳴海潟、星空を本当に芭蕉は想像していたのかもしれないな。
華女 そうなんじゃないの。
句郎 闇というのは、恐ろしくあるが、いろいろなことを想像させる力があるように思うね。高濱虚子に「金亀子擲つ闇の深さかな」という高浜虚子の句があるでしょ。芭蕉の句にも闇の深さが表現されているように思うね。
華女 私もそう思うわ。

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