醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  476号  白井一道

2017-08-05 14:44:50 | 日記

 床に来て鼾(いびき)に入るやきりぎりす  芭蕉51歳

侘輔 「床に来て鼾(いびき)に入るやきりぎりす」という芭蕉51歳の時の俳句、ノミちゃんはどう思う?
呑助 鼾とキリギリスとの取り合わせが面白いと言うことなんでしようかね。
侘助 きりぎりすを詠んだ西行の歌があるんだ。「独り寝の寝覚ざめの床のさむしろに涙催すきりぎりすかな」。きりぎりすの鳴き声を聞いていると藁のむしろに一人寝ざめていると泪がほろほろと落ちて来るというような歌かな。
呑助 西行という人は湿っぽい人だったんですね。
侘助 西行にはきりぎりすを詠んだ次のような歌もあるんだ。「独り寝の友にはならできりぎりす鳴く音を聞けば物思ひそふ」。きりぎりすの鳴き声を聞いているとつぎつぎといろいろな思いが起きては消えていく。そのような思いを詠んでいる。
呑助 きりぎのすの鳴き声には人を物思いに沈ませるようなものがあるということですか。
侘助 そうなのかもしれない。百人一首にも「きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵(むしろ)に衣片敷きひとりかも寝む」。あぁー、コオロギが鳴いている。霜夜のむしろの上で私は独りわが袖ひとつを片敷いて夜の闇の深さにうずくまったままだ。
呑助 この歌は女の人のものですか。
侘助 いや一人前の立派な男の歌のようだよ。藤原良経(ふじわらよしつね)と言う人の歌だ。この人は若くして太政大臣になった人のようだ。
呑助 男にしては女々しい歌ですね。妻と一緒に寝られない恨み節ですか。
侘助 そうなのかもしれない。歌に詠まれたきりぎりすは今のこうろぎのことらしいから。こうろぎの鳴き声には「恨み」とか、「物思い」、「泪」を促すような働きがあったのかもしれないなぁー。
呑助 平安時代には貴族であっても筵の上に着物を羽織って寝ていたんですかね。
侘助 そうなんじゃないのかな。床の上に筵を敷き、その上に着物を着たまま寝ていたんだと思う。
呑助 まだ、布団が普及していなかったんですね。
侘助 芭蕉が生きた17世紀の後半には布団が普及していたから、「床に来て」とは布団の敷いてある鼾のする部屋に入るという意味かな。私の寝息はまるでキリギリスの鳴き声のようになって鼾に和して眠ろうというように解しているんだけどね。
呑助 その鼾に対しては恨みを通り越した憎しみみたいなものが「きりぎりす」には表現されているということですか。
侘助 そうなのかも。「鼾」という言葉が芭蕉の「床に来て鼾(いびき)に入るやきりぎりす」という句を俳諧にしていると思う。ノミちゃんが言うように「鼾」と「きりぎりす」の取り合わせが俳諧にしたということだと思う。笑いだ。この笑いが俳諧だからね。キリギリスが鼾を恨み、憎しむ。安眠を妨げる鼾を恨み、憎しみ受け入れざるを得ない状況を笑う。人生とはこのようなものなのかもしれない。恨み、悲しみ、憎しむ。この人生を、社会を受け入れることなしには生きていくことはできない。この辛い人生を否定的にはではなく、肯定的に受け入れ、笑った時に芭蕉は「軽み」という境地に入ったのかな。
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