醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  488号  白井一道

2017-08-17 13:01:35 | 日記

 風流の初やおくの田植うた  元禄二年 芭蕉46歳

句郎 「風流の初やおくの田植歌」。元禄二年芭蕉四十六歳『おくのほそ道』須賀川で詠んだ句として知られている。芭蕉はなぜ白河を越え、初めて聞く田植え歌に風流なものを感じたのかな。
華女 風流なものといったら、俗世間から離れ、山の中の静かさ、鳥の囀り、虫の音、木の葉の音などの楽しみに生きることのようなイメージがあるわ。
句郎 芭蕉は洗練された歌ではなく、鄙びた陸奥の田植え歌に風流なものを感じたのじゃないのかな。
華女 江戸時代の田植え歌とは一種の神事じゃなかったんじゃないかしらね。
句郎 田植えとは村を挙げての行事であったのではないかと思う。
華女 句郎君、田植えの経験はある?
句郎 六十年前位の田植えを見たことはあるかな。実際に田植えの作業を経験したことはないよ。
華女 私は経験しているのよ。一緒に並んで植えていくのよ。母はとっても早いのよ。父はゆっくりなのよ。だから母と組む人はみんな早いのよ。
句郎 田植えの時には田植えをしてくれる人を頼んだりしたの。
華女 そうよ。茨城や群馬から小母さんさんたちが来てくれたのよ。田植えの時は毎日が賑やかだったわよ。
句郎 田植えが風流だなんて言えないね。
華女 小母さんたちは皆おそろいの恰好をして、おしゃべりしてうるさいぐらいぐらいだったわ。卑猥な話もして、笑い声をあげてね。
句郎 現実の昔の田植えはそのようなものだったんだろうね。何しろ厳しい過酷な労働を女性たちがしていたんだからね。
華女 そうよ。実際に働いている者の気持ちと眺めていた者との気持ちは大きく隔たっていると思うわ。ミレーの「晩鐘」や「落穂拾い」の絵は、ただ見ている者の視線よ。一つの風景でしかないのよ。畑で働く者の気持ちは表現されていないわ。
句郎 そういう点では。芭蕉の視線は眺め、農村の神事としての田植えという行事を眺め、感じたことを表現したに過ぎないのかもしれないなぁー。
華女 江戸時代の村で一番の行事は何と言っても実りの収穫祭だったのではないかと思うのよ。その次の神事が田植えだったんじゃないかしら。
句郎 実りを願う神事だったんだろうね。だから男根を祭ったりすることもあったんだろうね。そのような神事としての田植えを風流なものと認識する芭蕉の心を現代に生きる我々は理解できないのかもしれない。
華女 風流という美意識はいつごろから生まれたものなのかしら。
句郎 室町時代ごろじゃないのかな。『風姿花伝』の中で世阿弥は「古きを学び、新しきを賞する中にも、まったく風流をよこしまにすることなかれ。ただ言葉卑しからずして、姿幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきをや」と述べている。この言葉を田植えに置き換えてみると田植え歌に合わせ、一糸乱れることなく、無駄のない動きをする早乙女たちの姿に人間が生きる真実を芭蕉は発見したのかもしれない。田植えする早乙女たちの姿に幽玄なものを感じ、その幽玄なる姿が風流なものの真実じゃないのかと、芭蕉は悟ったのかな。