田代正一の忘備録

日々気ままに

伊藤博文暗殺考

2017年06月20日 | 歴史・文化

「伊藤博文を暗殺したのはのちに朝鮮の英雄となった安重根ではなく、ロシア陸軍の狙撃兵であった。伊藤とその仲間たちに対する弾痕を合計すると12発で、7連発の安のピストルの弾丸よりも多かった。かつて閔妃虐殺のとき、伊藤は真犯人をかくして関係ない朝鮮人を犯人にしたてて処刑させたが、安重根もこの手で犯人に仕立てられた。このことをいうと朝鮮人の間では評判が悪いが、事実を事実として認めなければ真の友情はない。」(鹿島曻)

「伊藤を倒したのが、ハルビンで安重根の撃ったブローニングの拳銃弾ではなく、随行した貴族院室田義文がいうようにフランス騎馬銃であったとするならば、それは明石元二郞が指揮する、韓国駐在日本憲兵隊の手先である朝鮮人、つまり韓国憲兵隊補助員ではなかったか、と考えられる。
(中略)
ハルビンの伊藤暗殺犯に疑義を抱いた室田義文貴族院議員は、駅の二階の食堂からフランス騎馬銃によって狙撃がおこなわれたと考えた。ということは、ロシア警備隊が注意を払うはずの、二階の食堂に陣取るために、ロシア警備隊に賄賂をつかませるなど、警備隊の協力がいる。そうした謀略にかけて、明石元二郞ほどの人材がいるだろうか。」(上垣外憲一)

「安の主張は、次に引用する伊藤博文射殺の理由——「伊藤博文罪状十五ヵ条」に集約されていた。
第一 今より十年前伊藤さんの指揮にて韓国王妃を殺害しました。
第二 今より五年前伊藤さんは兵力をもって五ヵ条の条約を締結せられましたが、これは韓国にとりては非常なる不利益の箇条であります。
第四 伊藤さんは強いて韓国皇帝の廃位を図りました。
(中略)
第十四 今を去る四十二年前、現日本皇帝の父君にあたらせらるるお方を伊藤さんが弑逆(しぎゃく)しました。そのことは皆、韓国民は知っています。」(斉藤充功)

「弁護士水野吉太郎は、安重根に刑の執行を見届けるように望まれたが、その気になれず、安重根が書いた「志士仁人ハ身ヲ殺シテ仁ヲ成ス」(高知県・小松亮所蔵)の書を生涯大切にし、その死を惜しんだ。また看守千葉十七は看守として囚人安重根に接するうちに、信服するようになり、ある日、安重根に書を書いてもらえないだろうかと依頼した。しかし安重根は今はその気になりませんと断ったが、死刑執行の朝、「国ノ為ニ身ヲ捧ゲルハ軍人ノ本分ナリ」と書いて千葉に贈った。安重根が死刑判決後、頼まれた書の揮毫は二百枚とも三百枚ともいわている。彼は依頼された人の人柄と立場に応じて、自分の心と共鳴する辞句を選んで見事な書を残している。」(中野泰雄)

「安重根の夥しい数の遺墨は、それ(監獄における安の待遇が特別のものであったこと)を如実に物語っている。遺墨は、ありあわせの紙や筆でなく、書家が使う絹の白布、または紙に書いてある。死刑囚に、しかも自国の元勲を殺した属邦の罪人に、おおっぴらに墨と筆、白布を差し入れて揮毫を許す獄舎が、どこの世界にあろうか。また揮毫を求めたのが排日派の韓国人ならばともかく、安重根を裁いた当人、または関係者たちなのである。常識では考えられない事態が、旅順監獄で起きていたのである。この異常な事態は、何を意味するのか。おそらく、平石(氏人)、真鍋(十蔵)、栗原典獄そして千葉十七らまでもが、陰謀を薄々察しながら、その人身御供となる安重根に、心から同情を寄せていたに違いないのである。」(大野芳)

「明石元二郞または彼の代理人が旅順の牢獄に入る前の安重根に「十五条」からなる伊藤博文への告発状を渡し、取引をした。安重根はこの取引に応じた。一方、明石元二郞は裁判関係者(ほとんどが土佐出身)に、それとなく田中光顕が作成した「十五条」を安重根が提出する前に教え、特に「第十四条」を裁判までカットさせるなと命令した。
 それゆえ、劇的な場で、それとなく誰でも分かる瞬間がやってきて、タイミングよく、伊藤博文が逆賊であることを人々は知るようになった。孝明天皇暗殺は今でこそ公然の秘密とされているが、明治四十三(1910)年の時点で、伊藤博文が孝明天皇を暗殺したと知るものは一人しかいなかった。これを計画したのは岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、そして、実行したのが伊藤博文。この伊藤博文を補助したのが吉井幸輔(友実)と田中光顕。田中光顕以外は全部死んでいる。(中略)
 伊藤博文は非戦論者であった。日清戦争のときも勝海舟とともに非戦論を説いた。日露戦争にも反対した。そんな伊藤博文を殺そうとしたのは玄洋社の頭山満だった。彼は絶えず命を狙われ続けた。そして遂にハルビン駅頭で倒れた。(中略)
 伊藤博文が暗殺され、日本は韓国を併合する。大アジア主義を唱える玄洋社の時代がやってきたのである。平成の今日、頭山満を称える声が高まりつつある。
 結論を簡単に記すことにしよう。
 伊藤博文を暗殺したい男がいた。頭山満、内田良平、明石元二郞。そしてもう一人いた。それは伊藤博文に恨みを抱く田中光顕。暗殺の費用は田中光顕が出した。その金の出所は、大谷光瑞ならびに三菱財閥。明石元二郞が作戦を練り、暗殺に成功する。のちの裁判は田中光顕が指揮した。この二人の暗殺の指導者は未だ闇に隠れたままである。」(鬼塚英昭)

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