論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。次いで小学・華厳論・童蒙訓を翻訳し、H29現在<中論>を翻訳中。

中論-Ⅷ

2017-07-01 08:01:15 | 仁の思想

中論-Ⅷ
藝紀(藝の要点)
1藝之興也,其由民心之有智乎?造藝者將以有理乎?民生而心知物,知物而欲作,欲作而事繁,事繁而莫之能理也。故聖人因智以造藝,因藝以立事,二者近在乎身,而遠在乎物,藝者所以旌智飾能統事御群也。聖人之所不能已也。藝者、所以事成德者也,德者、以道率身者也。藝者、德之枝葉也,德者、人之根榦也,斯二物者不偏行,不獨立。木無枝葉則不能豐其根榦,故謂之瘣。人無藝則不能成其德,故謂之野。若欲為夫君子,必兼之乎!先王之欲人之為君子也,故立保民,掌教六藝:一曰五禮,二曰六樂,三曰五射,四曰五御,五曰六書,六曰九數。教六儀:一曰祭祀之容,二曰賓客之容,三曰朝廷之容,四曰喪紀之容,五曰軍旅之容,六曰車馬之容。大胥掌學士之版,春入學、舍采合萬舞,秋班學合聲,諷誦講習,不解於時,故《詩》曰:「菁菁者莪,在彼中阿;既見君子,樂且有儀。」美育材,其猶人之於藝乎!既脩其質,且加其文,文質著然後體全,體全然後可登乎清廟,而可羞乎王公。故君子非仁不立,非義不行,非藝不治,非容不莊。四者無愆,而聖賢之器就矣。《易》曰:「富有之謂大業。」其斯之謂歟!
[訳1]
 ・藝の興るや、其れ民心の智の有るに由るか?藝を造りし者は将に以て理や有るか?民が生まれ而して心が物を知り、物を知り而して作ることを欲し、作ることを欲し而して事繁(さかん)に、事繁に而して之れ能く理(ただす)こと莫きなり。故に聖人は智に因(もとづ)き以て藝を造り、藝に因き以て事を立て、二者は身に近在し、而して物に遠在し、藝は智飾を旌(あらわ)し能く事を統べ群を御する所以なり。聖人の己に能わざる所なり。藝は、事を以て徳を成す所のものなり、徳は、道を以て身を率いるものなり。藝は、徳の枝葉なり、徳は、人の根榦なり、斯の二物は偏行せず、独立せず。枝葉無き木は則ち其の根幹を豊かにすること能わず、故に之れを謂うに瘣(や)むと。人は藝無くば則ち其の徳を成すこと能わず、故に之れを謂うに野(うとい)と。若し夫れ君子と為ることを欲せば、必ず之れを兼(か)ねよ。先王の人の君子と為ることを欲するや、故(もと)より立てるに民を保(やす)んじ、掌(ただ)すに六藝を教えて:一に曰く五禮、二に曰く六楽、三に曰く五射、四に曰く五御、五に曰く六書、六に曰く九数。六儀を教えて:一に曰く祭祀の容(きまり)、二に曰く賓客の容(ふるまい)、三に曰く朝廷の容(しきたり)、四に曰く喪紀の容(きまり)、五に曰く軍旅の容(きりつ)、六に曰く車馬の容(かたち)。大胥(だいしょ)は学士の版を掌り、春には入学、舍采して萬舞を合わせ、秋には班學して聲を合わせ、諷誦して講習し、時に解(おこた)らず、故に<詩>に曰く、「菁菁(せいせい)たる莪(が)は、彼の阿(くま)に在り、既に君子を見れば、楽しみ且つ儀(やすら)ぎ有り。」と。材を美育するは、其れ猶お人の藝に於けるがごときか!既に其の質を修め、且つ其の文(あや)を加え、文質著(あらわ)れ然る後に體(かたち)は全(まっとう)し、體が全して然る後清廟に登るべく、而して王公に羞(すす)めるべし。故に君子は仁非ざれば立たず、義非ざれば行わず、藝非ざれば治めず、容(かたち)非ざれば荘(さかん)ならず。四者愆(あやま)ち無く、而して聖賢の器(はたらき)は就(な)る。<易>に曰く、「富有は之れ大業と謂う。」と。其れ斯れの謂いか!
 教養が現れるのは人の心に知識が植え付けられる事に由るのか?教養を身に付けた者は確りと道理を弁えているのだろうか?人が生まれて心が物の存在を認知し、次いでその物を作りたいと願い、そうして物作りが盛んにはなったが、一方で道理を正すことが疎かになった。そこで聖人は知恵を働かせて教養を確立し、そうして教養によって物作りの有り方を正したが、この知恵と教養の二者は自分自身が考慮すべき問題であって物自体には関係なく、教養は知恵の表だった顔を意味し、能く状況をまとめて万事を整える役目を持っている。聖人でも成しがたい所でもある。教養は人が守るべき道の枝葉であり、道徳は人本来の根幹に関わるものであり、この二物は偏ることもないし、別々に独立する物でもない。枝葉の無い木は根や幹を太らせることは出来ないし、だからこう云う状態を病むと云うのである。人は教養が無いと徳を完成させることは出来ないし、だからそう云う状態を疎いと云うのである。若し君子と為ることを望むならば、必ず教養を身に備えなければならない。昔の聖天子は人を学識有るらしめる為に、基本的には先ず民に平穏をもたらし、育成の為に六藝を教えた。則ち、五禮(礼法)、六楽(音楽)、五射(弓術)、五御(馬術)、六書(漢字の成り立ち)、九数(算術)の六種の技藝である。又た六儀を教えた。則ち、祭祀の容(きまり)、賓客の容(ふるまい)、朝廷の容(しきたり)、喪紀の容(きまり)、軍旅の容(きりつ)、車馬の容(かたち)の六種の作法である。大胥とは学生の名簿を管理し、春には学生を受け入れ、学生に菜を手に持たせて昔の聖人に祭りを捧げさせ、秋には編成替えをして合唱させ、詩文の暗誦など学業に専念させ、折に触れて厳しく指導する、だから<詩経>には、「生い茂るキツネアザミは、川の畔に咲く、水神のお出ましに、私の心は楽しみ落ち着く。」とある。資質を立派に育てると云うことは、人の教養を高めることと全く同じなのだ!既に内面の実質を修め、更に外面の美しさを磨き上げ、内面外面共にその華々しさが世に知られれて人格が完成し、そうなって始めて政治の場に加わる資格が得られるのであって、こうして王公に推薦する事が出来るのである。と云う訳で君子は仁徳が備わらなければ表舞台には現れないし、正義の心が備わらなければ物事を実行しないし、教養が備わらなければ政治に参加しないし、人格が完成されないと行動を起こさないのである。仁・義・藝・容の四者に欠ける所が無くなって始めて聖賢の器量が完成するのである。<易経>に、「心が豊かなことを偉業と云う。」とある。これはこのことを指して言っているのだ!
[参考]
 ・藝:後天的才能。教養。才能、技、技術。
 ・紀:1. おさめる。正す 2. 糸口。始め 3. 要点。要所 4. 細い綱 5. 人のふみ行うべき道 6. おきて
 ・物:萬物。様々な形。物体。
 ・事:職(いとなみ)也。働き。事態。経験・習慣・必要・状態など。
 ・<周禮、春官宗伯、大胥>
    106大胥:掌學士之版,以待致諸子。春,入學,舍采合舞。秋,頒學合聲。
 ・<周礼>:官職を天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官の六官(六卿)に分け、それぞれに60の官職が属
         する。

       天官 - 治(国政)を所管。長官は冢宰(ちょうさい)
       地官 - 教(教育)を所管。長官は司徒
       春官 - 礼(礼法・祭典)を所管。長官は宗伯
       夏官 - 兵(軍政)を所管。長官は司馬
       秋官 - 刑(訴訟・刑罰)を所管。長官は司寇
       冬官 - 事(土木工作)を所管。長官は司空
 ・《詩》曰:<詩經、小雅、彤弓之什、菁菁者莪>
      「菁菁者莪、在彼中阿、既見君子、楽且有儀。」
 ・美育:美術・音楽などを通じて情操を豊かにし、人間性の向上を図る教育。知育・徳育・体育と並んで用
      いられる語。美的教育。

 ・《易》曰:<周易、繫辭上>
      「5・・・富有之謂大業,日新之謂盛德。・・・ 」
 ・六藝
   ・五禮:吉・凶・軍・賓・嘉
   ・六楽:楽雲門・楽咸池・楽大磬・楽大夏・楽大濩・楽大武
   ・五射:白矢・参連・剡注・襄尺・井儀
   ・五御:鳴和鸞・逐水曲・過君表・舞交衢・逐禽左
   ・六書:象形・指事・転注・会意・諧声・仮借
   ・九数:方田・粟布・衰分・少廣・商功・均輸・盈肭・方程・句股
2君子者、表裏稱而本末度者也,故言貌稱乎心志、藝能度乎德行。美在其中,而暢於四支,純粹內實,光輝外著。孔子曰:「君子恥有其服而無其容,恥有其容而無其辭,恥有其辭而無其行。」故寶玉之山,土木必潤。盛德之士,文藝必衆。昔在周公,嘗猶豫於斯矣。
[訳2]
 君子は、表裏が称(ひと)しく而して本末には度(のり)あるものなり、故に言貌は心志に称しく、藝能は徳行を度(はか)る。美は其の中に在り、而して四支に暢(の)び、純粋内に実(み)ち、光輝外に著(あらわ)る。孔子が曰く、「君子は其の服を有(たも)ち而して其の容(かたち)無きを恥じ、其の容を有ち而して其の辭(ことば)無きを恥じ、其の辞有ち而して其の行い無きを恥ず。」と。故に宝玉の山、土木必ず潤う。盛徳の士、文芸必ず衆(おお)し。昔周公在り、嘗て斯のところに猶予す。
 君子は、その言動に表裏なく、しかも本末転倒する事もなく、従ってその言葉や顔付きには心の内がそのまま現れ、身に付けた教養の深さは徳行に反映されることになる。
美徳が心の内に培われ、体中に満ち満ち、心の内には邪念無く、名声は外に現れる。孔子が云うには、「君子たる者は身分に相応しい衣服を着ながらそれに相応しい態度を保つ事が出来ないことを恥じ、身分に相応しい態度を保ちながらそれに相応しい言葉使いの出来ないことを恥じ、身分に相応しい言葉使いをしながらそれに相応しい行動が出来ないことを恥じる。」と。すなわち宝の山を掘れば必ず潤うと云うものである。道徳を完全に身に付けることが出来た人物は、必ず深い教養を持っている。昔周公旦という人物が居たが、こう云う境地に居たのである。
[参考]
 ・美在其中,而暢於四支:<周易、文言傳、坤>
     「13君子「黃」中通理,正位居體,美在其中而暢於四支,發於事業,美之至也。」
       君子は黄中にして理に通じ、正位にして體に居る。美其の中に在りて、四支に暢び、事業に發
       す。美の至りなり。

 ・孔子曰:<禮記、表記>
     「21子曰:「・・・是故君子恥服其服而無其容,恥有其容而無其辭,恥有其辭而無其德,恥有其德
       而無其行。・・・」

3 孔子稱「安上治民,莫善於禮」、「移風易俗,莫善於樂。」存乎六藝者,著其末節也。謂夫陳籩豆,置尊俎,執羽籥,擊鐘磬,升降趨翔,屈伸俯仰之數也,非禮樂之本也。禮樂之本也者,其德音乎!《詩》云:「我有嘉賓,德音孔昭。視民不佻,君子是則是效。我有旨酒,嘉賓式宴以敖。」此禮樂之所貴也。故恭恪廉讓、藝之情也,中和平直、藝之實也,齊敏不匱、藝之華也,威儀孔時、藝之飾也。通乎群藝之情、實者,可與論道。識乎群藝之華、飾者,可與講事。事者、有司之職也,道者、君子之業也,先王之賤藝者,蓋賤有司也。君子兼之則貴也。故孔子曰:「志於道,據於德,依於仁,游於藝。」藝者、心之使也,仁之聲也,義之象也。故禮以考敬,樂以敦愛,射以平志,御以和心,書以綴事,數以理煩。敬考則民不慢,愛敦則群生悅,志平則怨尤亡,心和則離德睦,事綴則法戒明,煩理則物不悖。六者雖殊,其致一也。其道則君子專之,其事則有司共之。此藝之大體也。
[訳3]
 孔子が称(とな)えるに、「上を安んじ民を治むるは、礼より善きはなし。」と、また「風を移し俗を易えるは、楽より善きは莫し。」と。六藝に存する者は、其の末節を著(あらわ)すなり。謂(おも)うに夫れ籩豆(へんとう)を陳(つら)ね、羽籥(うやく)を執(と)り、鐘磬(しょうけい)を撃ち、趨翔(すうしょう)して升降(しょうこう)し、屈伸俯仰するなどの数なるは、禮楽の本に非ざるなり。禮楽の本なるものは、其れ徳音かな!<詩>が云うには、「我に嘉賓(かひん)有り、徳音孔(はなは)だ昭らかなり。民に視(しめ)すに恌(うす)からざるは、君子是れ則(のっと)り是れ傚(なら)へばなり。我に旨酒有り、嘉賓よ式(もっ)て燕(えん)し以て敖(あそ)べ。」と。此れ禮楽の貴き所なり。故に恭恪(きょうかく)廉讓なるは、藝の情(こころ)なり、中和平直なるは、藝の實なり、齊敏(せいびん)匱(とぼ)しからざるは、藝の華なり、威儀孔(はなは)だ時(よ)きは、藝の飾りなり。群藝の情・實に通じる者とは、與に道を論ずべし。群藝の華・飾りを識る者とは、與に事を講ずべし。事は、有司の職なり、道は、君子の業(つとめ)なり、先王の賤藝は、蓋し有司を賤しめん。君子は兼之(くわうる)に則ち貴きなり。故に孔子が曰く、「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ。」と。藝なるものは、心の使(はたら)きなり、仁の聲なり、義の象(あらわ)れなり。故に禮は以て敬(つつし)みを考(おもんば)かり、楽は以て愛を敦くし、射は以て志を平(たい)らかにし、御は以て心を和(やわ)らげ、書は以て事を綴り、数は以て煩(わづら)わしさを理(おさ)める。敬みを考かれば則ち民は慢(おごら)ず、愛を敦くすれば則ち群生は悦び、志が平らかなれば則ち怨尤(えんゆう)は亡われ、心が和らげば則ち離德は睦まじく、事が綴られれば則ち法戒(ほうかい)は明らかに、煩わしさが理まれば則ち物は悖(みだ)れず。六つの者は殊(こと)なると雖も、其の致すところは一なり。其の道は則ち君子が之を専らにし、其の事は則ち有司が則ち之を共にす。此れ藝の大體なり。
 孔子が賞賛するには、「主君の安泰を実現してその民を治めさせるには、礼節ほど善いものはない。」と、また「風習を変えて改めるには、音楽ほど善いものはない。」と。六藝に含まれるものは、それぞれの本質に付随する枝葉を表している。考えてみると、祭器を並べ、祭事の舞の道具を手に持ち、打楽器を敲き、礼儀正しく行動し、挙措動作を正すなどの類いは、礼節・音楽の本質となるものではない。礼節・音楽の本質は、人々と良い関係を築くことにある。<詩経>にも詠われている、「我が下に降りしは祖先の御霊、その名声が大いに高いことは明らかである。民への教えが大変行き届いているのは、君子が天の下された道に倣えばこそのことである。この旨酒で、祖霊よ宴して遊び給え。」と云うことである。これこそが礼節・音楽が貴ばれる所以なのである。従って礼儀正しく心清く謙譲の心を持つことは、教養の芯(情)となるものであり、中庸で公正であることは、教養の本質(實)となるものであり、偏らず賢く充実していることは、藝の華となるものであり、礼儀が大変良いことは、教養の飾りとなるものである。多くの教養の内でも情・實に長けた者とは、共に道徳について議論しても良い。多くの教養の内でも華・飾りに長けた者とは、共に物事を処置しても良い。物事は役人が処理すべき仕事であり、道徳は君子が処理すべき務めであり、昔の君主で低劣な知識を懐き、勝手な振る舞いをした者が居るが、これでは民を治める役人の評判を落とすことになる。君子はその上に貴くなければならない。そこで孔子が云うには、「人として正しい道を踏み行なうよう心掛け、人格(徳)を磨き、徳の実践はすべて仁をより所とし、その上で豊かな教養を身につけ悠々と生きよ。これが人生の王道である。」と。教養というものは心の働きであり、相手を思い遣る気持ちの表れであり、人として守るべき正しい行動の表れである。そこで礼節によって敬意の念を表し、音楽によって愛情を手厚くし、射技によって気持ちを落ち着かせ、馬術によって心を和ませ、書の原理によって物事を記録し、算術によって物事を単純化するのである。慎みを重んじれば民は思い上がることもないし、愛情を深くすれば人々は心を開くし、意思に偏りが無ければ恨まれることも無いし、気持ちにゆとりが有れば異姓よりも同姓を大事にするし、物事が記録されれば守らねばならぬ戒律が明らかになるし、物事が単純化されれば乱れることも無くなる。これら六つの者はそれぞれ独立しては居るが、その目指す所は一緒である。目指す道理は専ら君子が示し、其れを実行に移すのは役人の務めとなる。以上が人が身に付けるべき教養の概要である。
[参考]
 ・孔子稱:<孝経、廣要道章、第十二>
     「安上治民、莫善於禮。」 、「移風易俗,莫善於樂。」
 ・籩豆:祭器の名。高つき  ・籩:竹製。豆:木製。
 ・尊俎:酒樽といけにえを載せる台。
 ・羽籥:舞の名。古代祭祀或宴飨时舞者所持的舞具和乐器,
 ・鐘磬:鐘と磬の打楽器。  ・趨翔:貴人の前を通る時の作法。
 ・《詩》云:<詩經、小雅、鹿鳴之什、鹿鳴>
     「2 呦呦鹿鳴、食野之蒿。我有嘉賓、德音孔昭。視民不恌、君子是則是傚。我有旨酒、嘉賓式燕
       以敖。」

 ・<詩經、大雅、生民之什、既醉>
     「5 威儀孔時、君子有孝子。孝子不匱、永錫爾類。」
 ・孔子曰:<論語、述而>
     「子曰、志於道、據於徳、依於仁、游於藝。」
 ・離德:<春秋左傳、襄公二十九年>
     「2・・・棄同即異,是謂離德,・・・」
      ・・・同を棄て則ち畏に、是れ離徳と謂う、・・・
      同姓を見棄てて異姓に親しむことを離徳と云う。
[感想]
 本項の趣意を纏めてみよう。即ち、
  ①教養は知恵の表だった貌であり、道徳を培う為に必要な枝葉に相当し、教養が備わって始めて道徳
    は充実完成する。

  ②君子は必ず教養を身に付けなければならない。そこで人々が君子を目指す為の手段として、聖天子
    が六藝・六儀の手法を編み出した。君子は仁徳を備え、正義の心を培い、教養を身に付け、人格を
    完成してから政治の世界に登場することになる。その代表例が周王朝の礎を築いた周公旦である。

  ③禮楽は教養の情(核心)であり、中庸・公正は教養の實(本質)であり、不偏・堅実は教養の華であり、
    礼節は教養の装飾である。情・實に長けた者とは語り合い、華・装飾の素晴らしい者とは物事の処
    理を共にすべきである。前者は君子の役目であり、後者は役人の務めとなる。

  ④六藝のそれぞれが目指す所は同じであり、君子は其の道理を示し、役人がその実行に努めることに
    なる。即ち、

   ・礼節:敬意の念を以て接すれば、人々は謙虚になる。
   ・音楽:愛情が深くなれば、人々は落ち着く。
   ・射技:穏やかな心が培われれば、人々は怨みを懐かなくなる。
   ・馬術:気持ちにゆとりが出来れば、人々は穏やかに接するようになる。
   ・書法:物事が正しく記録されれば、守るべき戒律が人々に正しく伝わる。
   ・算術:物事が理路整然と処理されれば、人々の間に要らぬ争いが無くなる。
 以上教養の大切さについて述べているが、一言で言えば、聖天子の編み出した六藝の重要性を再認識せよと云うことであろう。
                         (29.07.01)続く。

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