論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。次いで小学・華厳論・童蒙訓を翻訳し、H29現在<中論>を翻訳中。

尹文子-Ⅲ

2016-10-01 09:26:26 | 仁の思想

尹文子-Ⅲ
大道上
37 楚人擔山雉者。路人問:「何鳥也?」擔雉者欺之曰:「鳳凰也。」路人曰:「我聞有鳳凰。今直見之,汝販之乎?」曰:「然。」則十金,弗與。請加倍,乃與之。將欲獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜金,惟恨不得以獻楚王。國人傳之,咸以為真鳳凰,貴,欲以獻之。遂聞楚王、感其欲獻於己,召而厚賜之。過於買鳥之金十倍。
 ・楚の人に山雉を擔(かつ)ぐ者ありて、路人が問うに、「何の鳥ぞ?」と。雉を擔ぐ者が之れを欺いて曰く、「鳳凰なり」と。路人が曰く、「我は鳳凰有りとは聞く。今直に之れを見るに、汝は之れを販(あきな)うや?」と。曰く、「然り」と。則ち十金にては、与えず。倍に加(ふや)して請い、乃ち之れを与う。将に楚王に献ぜんと欲するも、宿を経てしかして鳥は死す。路人は金を惜しむに遑(いとま)あらずして、惟だ以て楚王に献ずるを得ざることを恨む。國人が之れを伝えるに、咸(すべて)以て真の鳳凰と為し、貴び、以て之れを献ずることを欲すと。遂に楚王に聞こえ、其の己に献ずることを欲することに感じ、召して厚く之れに賜う。鳥を買うの金に過ぎること十倍なり。
 ・楚の国の人が山雉を担いで歩いていた。道行く人が、「何の鳥か」と尋ねた。雉を担いでいた者が、「鳳凰だ」と嘘をついた。道行く人が、「鳳凰という鳥が居るとは聞いていたが、見るのは初めてだ。売っては呉れぬか?」と云うと、「売る」と云う返事。十金では売ってもらえず、倍にしてやっと手に入れることが出来た。買った鳥を楚王に献上しようとしたが、宿に泊まっている内に鳥が死んでしまった。彼は金が無駄になったことは惜しくなかったが、楚王に献上して悦んでもらえなかったことを悔やんだ。人々はこの事を称して、彼は山雉を本当に鳳凰だと信じて貴び、純粋に王に献上したいと思ったのだと言い伝えた。この事が遂に王の耳に入り、王は彼を呼び寄せて厚く褒賞した。その額は何と鳥を買った金の十倍であったという。
38 魏田父有耕於野者,得寶玉徑尺,弗知其玉也。以告鄰人,鄰人陰欲圖之,謂之曰:「怪石也。畜之,弗利其家,弗如復之。」田父雖疑,猶錄以歸,置於廡下。其夜玉明,光照一室,田父稱家大怖。復以告鄰人,曰:「此怪之徵,遄棄,殃可銷。」於是遽而棄於遠野。鄰人無何盜之,以獻魏王,魏王召玉工相之。玉工望之,再拜而立,敢賀曰:「王得此天下之寶,臣未嘗見。」王問價,玉工曰:「此無價以當之。五城之都,僅可一觀。」魏王立賜獻玉者千金,長食上大夫祿。
 ・魏の田父の野に耕す者有りて、寶玉の徑尺なるを得るも、其の玉なるを知らず。以て隣人に告げるに、隣人は陰(ひそ)かに之れを圖らんと欲し、之れに謂いて曰く、「怪石なり。之を畜えれば、其の家に利(よろ)しからず、之れを復すに如かず」と。田父は疑うとは雖も、猶錄(しる)して帰り、廡(のき)下に置く。其の夜玉明(かが)やき、光は一室を照らし、田父は家を稱(あ)げて大いに恐る。復た以て隣人に告げるに、曰く、「此れ怪の徴(きざし)なり、遄(すみ)やかに棄てれば、殃(わざわ)い銷(け)すべし。」と。是こに於いて遽(にわ)かに而して遠野に棄つ。隣人は無何(いくばくもなく)之れを盗み、以て魏王に献じ、魏王は玉工を召して之れを相(み)せしむ。玉工は之れを望んで、再拝して立ち、敢えて賀して曰く、「王よ此の天下の寶を得たり、臣は未だ嘗て見ず。」と。王は價(あたい)を問えば、玉工が曰く、「此れ價の以て之れに当たるもの無し。五城の都、僅かに一を観る。」と。魏王は立ちどころに玉を献じし者に千金を賜い、長く上大夫の禄を食ましむ。
 ・魏の或る農夫が野原を耕していた所、直径が二十糎大の寶玉が出てきたが、農夫はそれが貴重な玉であるとは知らなかった。隣人に話すと、隣人は騙し取ろうとして、語るには、「怪しい石だ。これを持っていると碌なことはないから、元に戻した方が良い。」と。農夫は怪しみながらも心に止めて宝玉を持ち帰り、軒の下につるして寝んだ。その夜中に突然宝玉が光り出して部屋中が真昼のように明るくなったので家中の者が恐れおののいた。またこの事を隣人に話すと、隣人は、「これは悪いことが起こる前兆だろう。すぐに棄ててしまえば禍を受けなくてすむに違いない。」と語る。農夫はすぐに遠くの野原に宝玉を棄てた。隣人はしめしめとすぐに宝玉を盗み出し、魏王に献上した。魏王は玉の細工職人を呼び寄せて鑑定させてみた。職  人は玉を見た途端に再拝してうやうやしく祝して云うには、「王様、天下に名高い宝玉を得られましたね。私はまだ見たこともないすばらしい玉です。」と。王がその価値を尋ねると、職人が言うには、「比べるものがないほどの最高のものです。諸国の都を探しても同じ価値のものが一つあるかないかと云うほどの宝玉です。」と。魏王はすぐに献上者に千金を与え、長い間上大夫の職に止めたという。
39凡天下萬里,皆有是非,吾所不敢誣,是者常是,非者常非,亦吾所信。然是雖常是,有時而不用。非雖常非,有時而必行。故用是而失有矣,行非而得有矣。是非之理不同,而更興廢,翻為我用,則是非焉在哉?
 ・凡そ天下万里、皆是非有りて、吾れ敢えて誣(し)いせざる所にて、是なる者は常に是、非なる者は常に非、亦た吾れの信ずる所なり。然して是が常に是と雖も、時として用いざること有り。非は常に非と雖も、時として必ず行うこと有り。故に是を用いて失うこと有りて、非を行いて得ること有り。是非の理不同にして、興廢を更え、翻って我が用と為れば、則ち是非は焉くにか在り哉?
 ・そもそも世の中の全ての物事には是非の区別があって、軽々しくは蔑ろに出来ない問題で、是は必ず是であり、非は必ず非であることには間違いない。是は必ず是とは云っても、場合によってはそれを受け入れないことがある。非は必ず非とは云っても、場合によってはそれを行ってしまうことがある。そういう訳で是とする處を受け入れて失敗することもあるし、非とする處を行って成功することもある。是非の道理が矛盾して、盛衰が逆転することになると、私にとっては、この是非と云う問題はどう捉えたら良いのだろうか?
40觀堯、舜、湯、武之成,或順或逆,得時則昌。桀、紂、幽、厲之敗,或是或非,失時則亡。五伯之主亦然。
 ・堯、舜、湯、武の成(な)るを観るに、或いは順或いは逆にして、時を得れば則ち昌(さか)ん。桀、紂、幽、厲の敗(やぶ)れるは、或いは是或いは非にして、時を失えば則ち亡ぶ。五伯の主亦た然り。
 ・堯帝、舜帝、湯王、武王らが成功した例を見ると、順当な時もあれば逆境に晒される時もあったが、結局時を得て繁栄した。一方、桀王、紂王、幽王、厲王らの敗北は、是認されたり非難されたりしたが、結局時を失って滅亡した。春秋時代の五人の覇王についても同じ事が云える。
[参考]
 ・五伯:春秋五覇のこと。斉の桓公・晋の文公・楚の荘王・呉の闔閭・越の勾践。
41宋公以楚人戰於泓,公子目夷曰:「楚衆我寡,請其未悉濟而擊之。」宋公曰:「不可。吾聞不鼓不成列,寡人雖亡之餘,不敢行也。」戰敗,楚人執宋公。
 ・宋公は以て楚人と泓に戦い、公子目夷が曰く、「楚は衆く我は寡し、請う其の未だ悉く濟(わた)らざれば之れを撃たん。」と。宋公が曰く、「よろしからず。吾れは列を成さざるに鼓せずと聞く、寡人は亡の餘なりと雖も、敢えて行わず。」と。戦い敗れて、楚人宋公を執(た)つ。
 ・宋公が楚の国と泓水で戦った時、公子の目夷が進言するには、「楚軍は多勢なのに我が軍は無勢、相手が川を渡らぬうちに撃つべし。」と。宋公はこれに対して云うには、「駄目だ。体制が整わぬ相手には仕掛けないと聞いているので、苟も殷の末裔である私は、劣勢でも不意打ちはしないのだ。」と。結局戦に敗れて、楚が宋公を打ち負かした。
[参考]
 ・宋公:春秋時代の宋の第二十代君主襄公のこと。春秋五覇の一人に数えられることがある。
 ・公子目夷:襄公の異母兄の公子。襄公を輔けて宰相となる。
 ・この戦いが有名な泓水の戦いで、ここから「宋襄の仁」という言葉が生まれた。無益の情け。つまらない情けをかけてひどい目にあうことを意味する。詳しくは、<春秋左氏傳、僖公二二年>に見える。
 ・亡の餘:亡びた殷の末裔と云う意味。
42齊人弒襄公,立公孫無知。召忽、夷吾奉公子糾奔魯,鮑叔牙奉公子小白奔莒。既而無知被殺,二公子爭國,糾宜立者也。小白先入,故齊人立之。既而,使魯人殺糾,召忽死之,徵夷吾以為相。
 ・斉人が襄公を弒(しい)し、公孫無知が立つ。召忽・夷吾が公子糾を奉じて魯に奔り、鮑叔牙は公子小白を奉じて莒に奔る。既にして無知は殺され、二公子は国を争い、糾は宜しく立つ者なり。小白が先に入り、故に斉人は之れを立つ。既にして、魯人を使て糾を殺し、召忽は之れに死し、夷吾を徵(め)して以て相と為す。
 ・斉の襄公が暗殺されて、公孫無知が君主と為った。補佐役の召忽と管仲が公子糾を奉戴して魯の国に逃げ、鮑叔牙は公子小白を奉戴して莒の国に逃げた。無知は殺され、公子糾と公子小白の二公子が後継争いをし、公子糾が優勢であった。しかし、公子小白のほうが先に都に入って即位してしまった。こうして、桓公となった小白  は魯に逃げ帰った糾を魯に命じて殺してしまい、召忽は殉死し、功績のあった管仲を招いて宰相に取り立てた。
[参考]
 ・襄公:春秋時代の斉の第十四代君主襄公のこと
 ・公孫無知:春秋時代の斉の第十五代君主。襄公は従兄。
 ・召忽:公子糾を補佐し、のち殉死。忠義一筋の純粋な人。
 ・夷吾:斉の賢相の管仲のこと。第十六代桓公を輔けて覇をなさしめた。
 ・鮑叔牙:桓公に仕え、管仲と苦楽を共にした仲。ここから厚い友情を称して、「管鮑の交わり」と云う言葉が生まれた。
 ・公子小白:後の桓公。
 ・この話は、<春秋左氏傳、荘公八年>に詳しく見える。
43 晉文公為驪姬之譖,出亡十九年,惠公卒,賂秦以求反國,殺懷公子而自立。
 ・晋の文公は驪姬の譖(そし)りの為に、出亡すること十九年、惠公卒し、秦に賂(まいな)いして以て国に反ることを求め、懷公子を殺して自ら立つ。
 ・晋の文公は驪姬の中傷により、辺境の地の蒲に追いやられ、その後母の出身地である白狄へ亡命して十九年後、惠公が亡くなり、それを機会に秦の力を借りて国に帰り、懷公子を殺して君主の地位に就いた。
[参考]
 ・文公:春秋時代の晋の第二十四代君主。、諱は重耳。斉の桓公と並んで斉桓晋文と称された春秋五覇の一人。
 ・驪姬(りき):春秋時代の晋の第十九代君主の献公の寵姫。
 ・惠公:春秋時代の晋の第二十二代君主。
 ・懷公子:春秋時代の晋の第二十三代の君主
 ・この話は、<春秋左氏傳、僖公四年>に見える。
44彼一君正,而不免於執。二君不正,霸業遂焉。己是而舉世非之,則不知己之是。己非而舉世是之,亦不知己所非。然則是非,隨衆賈而為正,非己所獨了。則犯衆者為非,順衆者為是,故人君處權乘勢,處所是之地,則人所不得非也。居則物尊之,動則物從之,言則物誠之,行則物則之,所以居物上御群下也。
 ・彼の一君は正しく、而して執(と)ることを免(ゆる)されず。二君は正しからずして覇業を遂ぐ。己は是にして世は挙げて之れを非とし、則ち己の是を知らず。己は非にして世は之れを是とし、亦た己の非とする所を知らず。然して則ち是非は、衆賈に随って正と為し、己の独り了(さと)る所に非ず。則ち衆を犯す者は非と為り、衆に順う者は是と為り、故に人君は権に處(よ)り勢に乗り、是とする所の地に處れば、則ち人は非を得ざる所なり。居りて則ち物之れを尊び、動いて則ち物之れに従い、言いて則ち物之れを誠とし、行いて則ち物之れに則るは、物上に居りて群下を御する所以なり。
 ・ある君主は正しい行いをしたにも係わらず覇権を握るには至らず、他の君主は不正を行ったのに覇業を達成する。自分は正しいのに世間が非難するのは、自分の正しさが認められていないと云うことである。自分が正しくないのに世間が歓迎するのは、自分の不正が見逃されていると云うことである。だから是非と云うものは、大衆の価値判断に従って正され、自分独りの認識とは異なってくる。すなわち、大衆を敵にまわせば非となり、大衆を味方に出来れば是となるから、人君は権勢に迎合することになり、是として迎え入れてくれる場所が得られれば、何事も非難されずにすむ。じっとしていても為す物事が歓迎され、動いても為す物事が受け入れられ、発言すれば為す物事が信用され、行動すれば為す物事に従うのは、為す物事が先行して人々が後から着いてくると云うわけである。
45國亂有三事。年飢民散,無食以聚之,則亂。治國無法,則亂。有法而不能用,則亂。有食以聚民,有法而能行,國不治,未之有也。
 ・国乱れるに三事有り。年(みの)り飢(とぼ)しく民散じ、食以て之れを聚(あつ)めること無ければ、則ち乱る。国を治めるに法無くば、則ち乱る。法有りて用いること能わざれば、則ち乱る。食有りて以て民を聚め、法有りて而して能く行えば、国治まざること、未だ之れ有らざるなり。
 ・国が乱れる訳には三つある。一つは、飢饉に遭って民が逃散し、食物を蓄えることが出来なければ、結果として乱れることになる。二つには、国を治める為の法律が整わなければ、結果として乱れることになる。三つは、法律が整っていても、上手く運用されていなければ、結果として乱れることになる。食物が貯えられていて民が集まり、法律が整えられていて上手く運用されていて、国が乱れたと云う話は、未だ聞いたことがない。
大道下
仁、義、禮、樂,名、法、刑、賞,凡此八者,五帝三王治世之術也。故仁以道之,義以宜之,禮以行之,樂以和之,名以正之,法以齊之,刑以威之,賞以勸之。故仁者,所以博施於物,亦所以生偏私。義者,所以立節行,亦所以成華偽。禮者,所以行恭謹,亦所以生惰慢。樂者,所以和情志,亦所以生淫放。名者,所以正尊卑,亦所以生矜篡。法者,所以齊衆異,亦所以乖名分。刑者,所以威不服,亦所以生陵暴。賞者,所以勸忠能,亦所以生鄙爭。凡此八術,無隱於人,而常存於世。非自顯於堯湯之時,非自逃於桀紂之朝。用得其道則天下治,失其道則天下亂,過此而往,雖彌綸天地籠絡萬品,治道之外,非群生所餐挹,聖人錯而不言也。
 ・仁、義、礼、楽、名、法、刑、賞、凡そ此の八つの者は、五帝三王の治世の術なり。故に仁以て之を道びき、義以て之を宜しく、礼以て之を行い、楽以て之を和し、名以て之を正し、法以て之を斉え、刑以て之を威し、賞以て之を勧める。故に仁は、博く物を施す所以にして、亦た偏私を生ずる所以なり。義は、節を立てて行う所以にして、亦た華偽(かぎ)を成す所以なり。礼は、恭謹を行う所以にして、亦た惰慢(だまん)を生ずる所以なり。楽は、情志を和する所以にして、亦た淫放を生ずる所以なり。名は、尊卑を正す所以にして、亦た矜纂(きょうさん)を生ずる所以なり。法は、衆の異なるを斉える所以にして、亦た乖(そむ)き分かるるを生ずる所以なり。刑は、服せざるを威す所以にして、亦た陵暴(りょうぼう)を生ずる所以なり。賞は、忠能を勧める所以にして、亦た鄙しき争いの生ずる所以なり。凡そ此の八つの術は、人に隠れること無く、而して常に世に存り。自ら堯湯の時に顕れるに非ず、自ら桀紂の朝に逃れるに非ず。用いるに其の道を得れば則ち天下は治まり、其の道を失わば則ち天下は乱れ、此を過ぎて而して往かば、天地を弥綸(びりん)し万品を籠絡すると雖も、治道の外にして、群生の養い挹(おさ)える所に非ざれば、聖人は錯(お)きて言わざるなり。
 ・仁(徳)・義(理)・礼(節)・(音)楽・名(目)・法(律)・刑(罰)・(褒)賞の八つは、五帝三王が行った治世の手段である。すなわち、仁によって民を導き、義によって民を安んじ、禮によって民を修め、楽によって民を和ませ、名によって民を正し、法によって民を整え、刑によって民を抑え、賞によって民を励ます。従って、仁徳は、広く恩恵を施すものだが、また一歩間違えると依怙贔屓にもなりかねない。義理は、節度を弁えて行うものだが、また一歩間違えると上滑りになりかねない。礼節は、厳かに謹んで行うものだが、また一歩間違えると手抜きをしたり驕慢になったりする。音楽は、感情や志向を調整することに役立つが、また一歩間違えると淫乱・放蕩に耽ることになる。名目は、物事の尊卑を正すものだが、また一歩間違えると己惚れを招いてしまう。法律は、民の行動を一定の枠に収めるものだが、また一歩間違える反目・分離を招きかねない。刑罰は、民を脅して服従させるものだが、また一歩間違えると民衆をひどく痛みつけることになる。褒賞は、民に忠勤を奨励し才能を伸ばす為の手段だが、また一歩間違えると醜い争いを招くことになる。大体この八つの手段は、目に見える形で行われるもので、常に世間に存在していたものである。自然に堯や湯の時代に現れたものでもないし、自然に桀や紂の王朝で消えてしまったものでもない。治世にこれらの手段を用いれば天下は治まり、失えば天下は乱れ、この手段が存在しない所では、たとえ天地を広く治め万物を自由に操っても政治の道理から外れることになり、民を養い治める訳にはいかないので、聖人は手出しをせず口出しもしないのだ。
[参考]
 ・五帝三王:黄帝・帝顓頊・帝嚳・帝尭・帝舜と禹王(夏)・湯王(殷)・文王(周)。
2 凡國之存亡有六徵。有衰國、有亡國、有昌國、有強國、有治國、有亂國。所謂亂亡之國者,凶虐殘暴不與焉。所謂強治之國者,威力仁義不與焉。君年長多媵,少子孫,疏宗疆,衰國也。君寵臣,臣愛君,公法廢,私欲行,亂國也。國貧小,家富大、君權輕,臣勢重,亡國也。凡此三徵,不待凶虐殘暴而後弱也。雖曰見存,吾必謂之亡者也。內無專寵,外無近習,支庶繁字,長幼不亂,昌國也。農桑以時,倉廩充實,兵甲勁利,封疆脩理,強國也。上不勝其下,下不犯其上,上下不相勝犯,故禁令行,人人無私,雖經險易而國不可侵,治國也。凡此三徵,不待威力仁義而後強。雖曰見弱,吾必謂之存者也。
 ・凡そ国の存亡に六徵あり。衰國有り、亡國有り、昌國有り、強國有り、治國有り、亂國有り。所謂乱亡の国は、凶虐殘暴與らず。所謂強治の国は、威力仁義與らず。君が年長けて媵(つきそい)多く、子孫少なく、宗疆(そうきょう)を疏(おろそ)かにするは、衰國なり。君が臣を寵(いつく)しみ、臣が君を愛し、公法廢れ、私欲行われれば、乱国なり。国は貧小にして,家は富大、君權は輕く,臣勢は重ければ,亡國なり。凡そ此の三徵は、凶虐殘暴を待たずして後に弱まる。存するを見ると曰うと雖も、吾れ必ず之れを亡者と謂うなり。内に專寵なく、外に近習なく、支庶繁字し、長幼乱れざるは、昌國なり。農桑は時を以てし、倉廩(そうりん)は充實し、兵甲は勁利(けいり)し、封疆(ほうきょう)を脩理するは、強國なり。上は其の下に勝たず、下は其の上を犯さず、上下相に勝犯せず、故に禁令は行われ、人々は私無く、險易を経ると雖も而して国が侵すべからざれば、治國なり。凡そ此の三徵は、威力仁義を待たずして後に強し。弱く見えると曰うと雖も、吾は必ず之  れを存者と謂うなり。
 ・大体、国の存亡には六つの特徴が見られる。すなわち、衰國(衰えた国)・亡國(亡びる国)・昌國(盛んな国)・強國(強い国)・治國(治まりのある国)・亂國(乱れた国)の六つである。所謂乱れて亡ぶ国は、捻くれていて道理に逆らい残酷で荒々しい事とは関わりないものである。所謂非常に良く治まっている国は、威力や仁義などとは関わりないものである。君主が老いていて側室が多く、子や孫の数が少なく、先祖代々の領土を守り切れないのは、衰国と云うことになる。君主が家臣を寵愛したり、家臣が君主に媚びへつらったり、国の法律が行われなくなったり、私利私欲が蔓延ったりするのは、乱国と云うことになる。国力はひ弱だが民は富み、君主の力は弱いが臣下の力が強いのは、亡国と云うものである。大体この三つの特徴に適合する国々は、捻くれていて道理に逆らい残酷で荒々しい事が起きるまでもなく衰えて来る。存続しているとは云え、必ず亡びてしまう事は間違いない。家臣を偏重したり側近を寵愛したりせず、分家を沢山増やし、長幼の序が保たれれば、それは昌國である。耕作や養蚕は時期をよく見て作業し、米倉が満ちあふれ、兵士は屈強で、領土を補強出来れば、それは強国である。上に立つ者は仕える下の者を虐げず、下の者は仕える上の者に逆らわず、上下共にその立場を弁えれば、掟は良く守られ、人々は私心無く行動し、危機に陥ったり平和を取り戻すと云った経過をたどっても、国を侵すことが出来なければ、それは治国である。大体、この三つの特徴に適合する国々は威力を用いたり仁義の徳を持ち出すまでもなく強い。弱く見えることがあっても、必ず永続する事は間違いない。
[参考]
 ・倉廩:倉廩実而囹圄空。<菅子、五輔>;倉廩実則知禮節。<菅子、牧民>
 ・封疆:域民不以封疆之界。<孟子、公孫丑下>
3治主之興,必有所先誅。先誅者,非謂盜,非謂姦,此二惡者,一時之大害,非亂政之本也。亂政之本,下侵上之權,臣用君之術,心不畏時之禁,行不軌時之法,此大亂之道也。
 ・治主の興るや、必ず先に誅する所有り。先に誅するとは、盗むの謂いに非ず、姦(おか)すの謂いに非ず、此の二つの悪は、一時の大害にして、政の本を乱すに非ざるなり。政の本を乱すは、下が上の権を侵し、臣が君の術を用い、心が時の禁を畏れず、行いが時の法に軌(したが)わず、此れが大乱の道なり。
 ・国を治める者が出てくる場合、必ずその前に誅伐と云う行為がある。前に誅伐があるというのは、国を盗み取るという意味ではないし、侵すと云う意味でもなく、此の二つの大きな罪悪は一時的なもので、政ごとの本質を乱すものではない。政ごとの本質を乱すのは、下の者が上の者の職権を侵し、臣下が君主の政治手法に手を出し、定められた掟を破る気持ちを持ち、定められた法律に逆らうこと、これが大乱を起こすに至る道筋なのである。
[参考]
 ・治主: 所謂治主無忠臣,慈父無孝子。<商君書、畫策篇> →法家の書。
4 孔丘攝魯相,七日而誅少正卯。門人進問曰:「夫少正卯,魯之聞人也。夫子為政而先誅,得無失乎?」孔子曰:「居,吾語汝其故。人有惡者五,而竊盜姦私不與焉。一曰心達而險,二曰行僻而堅,三曰言偽而辨,四曰強記而博,五曰順非而澤。此五者,有一於人,則不免君子之誅,而少正卯兼有之,故居處足以聚徒成群,言談足以飾邪熒衆,強記足以反是獨立,此小人雄桀也,不可不誅也。是以,湯誅尹諧,文王誅潘正,太公誅華士,管仲誅付里乙,子產誅鄧析、史付,此六子者,異世而同心,不可不誅也。《詩》曰:『憂心悄悄,慍於群小。』小人成群,斯足畏也。」
 ・孔子が魯の相を攝(か)ね、七日にして少正卯を誅す。門人が進み問うて曰く、「夫れ少正卯なるは、魯の聞人なり。夫子は政を為して先ず誅す、失すること無きを得んや?」と。孔子が曰く、「居よ、吾は汝に其の故(わけ)を語らん。人には悪しき者五つ有り、而して竊盜姦私は與(あずか)らず。一に曰く心が達にして険、二に曰く行が僻にして堅、三に曰く言偽りて辨、四に曰く記強くして博、五に曰く非に順がいて澤(あつ)し。此の五者は、人に一つも有れば、則ち君子の誅を免れず、而して少正卯は之れを兼ねて有(も)ち、故に居處は徒を聚めて以て群を成すに足り、言談は邪を飾りて以て衆を熒(まど)わすに足り、強記は是れに反して以て独立するに足り、此れは小人の雄桀なり、誅せざるべからざるなり。是れを以て、湯は尹諧を誅し、文王は潘正を誅し、太公は華士を誅し、管仲は付里乙を誅し、子產は鄧析と史付を誅し、此の六子の者は、世を異にするも心を同じくし、誅せざるべからざるなり。詩に曰く、{憂心悄悄として,群小に慍(いか)る。}と。小人群を成せば,斯れ畏れるに足る。」と。
 ・孔子が摂政となってすぐに、大夫の少正卯を誅殺した。門人が尋ねるには、「少正卯は魯国に聞こえた有名人です。先生は政に携わってすぐに彼を誅殺しましたが、失敗したのではありませんか?」と。孔子は答えるに、「先ずは座りなさい、誅殺した訳を話そう。人には為してはならない悪い五つの事があるが、そこにはこそ泥や欺しなどの小事は含まれない。まず一つ目は我が儘で陰険なこと、二つ目は行いが偏屈で頑固なこと、三つ目は言うことが偽善的で饒舌なこと、四つ目は書くことが強暴で粗雑なこと、そして五つ目は悪事に加担して翻弄することである。この五つのものが一つでも有れば君子の誅伐から免れることは出来ないのだが、少正卯はこれらを兼ね備えており、だから彼の居る所には人が集まってきて徒党を組むだけの力を持ち、その話す内容を言葉巧みに繕って人々を欺しおおせ、その強暴な記述は人々を煽って謀反を起こしかねないほどの力を持つほどで、これらはつまらぬ人物ではあるが突出した人物と言うことになるから、大事の起きる前に誅殺せねばならなかったのだ。こう言う訳で、湯は尹諧を誅殺し、文王は潘正を誅殺し、太公は華士を誅殺し、管仲は付里乙を誅殺し、子產は鄧析と史付を誅殺したのであり、この六人は世代は違うが思いは同じものがあり、誅殺せねばならなかったのだ。詩経にも、{憂愁の心に胸が詰まり、群小に憤激す。}とある。小人どもが群れ集うのは、畏れるに足ることなのだ。」と。
[参考]
 ・< 荀子、宥坐篇>に殆ど同じ内容の文章が見える。
 ・少正卯(しょうせいぼう):春秋時代の鲁国の大夫。法家の先駆者の一人。弁舌の達者な著名な人物。
 ・尹諧(いんかい):詳細不明。
 ・潘正(はんせい):詳細不明。< 荀子、宥坐篇>では潘止となっている。
 ・太公:太公望。周の文王に用いられ、殷を滅亡に追いやった立役者。
 ・華士:斉国の統制に従わなかった隠者。<韓非子、韓非子外儲說右上篇>に関連記事有り。
 ・付里乙:詳細不明。
 ・子產:春秋時代の鄭の名宰相。強国に挟まれた鄭の平和と繁栄を良く保った。
 ・鄧析:名家の七家の一つ。詳細不明。
 ・史付:詳細不明。
 ・詩:<詩経、國風、邶風、柏舟>に次の詩が見える。すなわち、
    憂心悄悄、慍于群小。覯閔既多、受侮不少。靜言思之、寤辟有摽。
                                           続く(28/10/01)

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